生まれが育てた非モテ、克服への道(非モテは生まれで決まる:まとめ)
元イさんなのだ。無料でほとんど読めて、おまけ分だけ有料なのだ。
不可抗力で「非モテ」に生まれ、育てられる
直近の2つの記事ではこのようなことを書いてきたのだ。
1つ目の記事では
1990年辺りからの30年間で「人付き合いを疎にしてもそれなりに楽しく生活していける」環境を強固に作ってしまった。
人付き合いをしにくい環境に生まれてしまうかどうかは自分には選べず、不運にもそこに生まれてしまったら、自然と非モテになってしまう。
2つ目の記事では
人付き合いが疎な社会で、親が子の自己決定権を侵害してきて、価値観や行動基準なども親の思う「正しさ」で染め上げて、それが余計に恋愛を困難にしている時代なのだ。
だからこそ親から自己決定権を取り戻し、自分自身の価値基準を育てよう。
このような内容だったのだ。
不可抗力で非モテへと育ってしまった成人男子、それは自分の責任ではない、そういう内容なのだ。
ただ、社会に出てしまったらそのまま「非モテ」であり続けるか、そこを脱するために動くかどうかは自分で決められるのだ。脱したいなら動かなければいけないのだ。自己決定しなければいけないのだ。どう動くか決めていい、その権利があるのだ。
ところが「決められない」ようになるのが親の呪縛なのだな。むずかしいのだ。
この記事では、直近の2つの記事でとっちらかった「なにが非モテに生み育てるのか?」の、原因について整理しようと思うのだ。前向きな形で書いていこうと思うのだ。前回がクソ長い内容だったので短めにしていこうと思うのだ。
問題の克服には問題点の把握
非モテに生み育てた真犯人は誰なのか!?問題の克服には問題点の把握なのだ。まずここでは克服すべき問題点をいくつかハッキリさせて、次回以降で個別の対策などを書いていこうかと思うのだ。
1:まずは「人付き合いを疎にしても快適でいられる社会環境」なのだ。
つまりインターネットやめろ!スマホ捨てろ!ソシャゲはアンイストールしてゲーム機はゴミ箱行きなのだ!という話になるのだ。
非モテではなく、普通に恋愛をこなしてこれた人たちは子供の頃から人付き合いが密で、他人と一緒に過ごすことや、他人とやり取りする事をたくさんして経験値を積んでいるのだ。経験値を積んで慣れることでまた経験を積んで更に慣れ………
人付き合いをなるべく避け続けて、避けたままでも時間を楽しく潰してこれた人たちとは経験値の差、スキルの差、レベルの差はプロの職人やアスリートとシロートほどにひらいてしまうのだ。
(記事本文でも書いてるのだが、これは努力の差ではないし、自己責任でもないのだ!!成人する頃にはもうそういう差ができてしまっているのだ)
2つ目には「親に自己決定権を奪われた」なのだ。
これは毒親に限らず、なのだ。
本来なら「人付き合いが密」な環境で友だちとふれあい、自己の価値観や意志を育て、いちいち事細かに自分の人生に介入してこようとする父母に反抗して、自己決定権を行使して自分の人生を獲得するようになる、という人生らしいのだ。
その過程の中で、ただ性欲や寂しさを埋めるための恋人や友人ではなく、生活や人生をともにしたいと思う人間を得て、人生を豊かにしていくものだと思うのだが………
「人付き合いが疎」な状態においては親の介入や、人格形成について親の意向を激しく影響を受ける事になるのだ。
特に反抗期も迎えることもなく、自己決定権に関しても親に委ねてしまうと余計に「付き合う友人のチョイス」や「進路、就職」果ては「着る服、靴カバン」まで親に決められてしまい……そしてある年齢で訪れる「恋愛、結婚」に関しては無責任に手放されてしまうのだ。そしてどうしていいかわからず途方に暮れ、ただ非モテとして嘆きながら生活するのだ。
元イさんは個人的にはこれを「親による去勢」と呼んでいるのだ。
自分で自分のことを決める、ということをおろそかにしたり「決めていいかどうかすらわからない」という状態になると深刻なのだ。恋愛面以外も含めていろいろな支障が出ているはずだと思うのだ。
3つめ、自分の価値基準や行動規範をきちんと育てられず、「正しさ」を押し付けられて育ったなのだ。
親に自己決定権を奪われた、に似ているのだが、何かを決める時の価値基準がバグる、ということなのだ。
今朝、見かけてしまったのだが冗談でもなんでもなくガチの「人は処女童貞同士で結婚すべき」というツイート、これなどまさにバグっているのだ。どちらかというと低年齢向けの少女漫画や少年漫画、ディズニー系の作品の世界観の延長なのだ。
現代社会で色んな人と意見を交えていくと、この「ご本人の中での絶対の規準」は(もし本当に誰かに恋をして結婚したいと思うなら)アップデートしていって、つまり価値観が成長していくものだと思うのだが、残念ながら自分の頭で考えたわけでなく幼い頃から刷り込まれてそのまま植え付けられた「他人からの価値観」は、硬直化してしまって変えることは難しいと思うのだ。
たまたま童貞処女の結婚なのだが、これが親による「早慶上智以上の女の子じゃないと結婚はダメ」とか「水商売してる相手はダメ」とか、まあとにかくあらゆる「他人からの正しい価値観」を刷り込まれてしまうと、非常に現実の他人とすりあわせて生活していく事が難しくなるのだ。
「人付き合いが疎」で、「親に自己決定権を奪われた」状態にいると「親やメディア」の言う「正しい価値観」を刷り込まれて、自分の頭で考えて、自分の中の価値基準、人間観、人生観を成長させられなくなってしまうのだ。
価値観を成長させられないでいると、自分の中の他人の価値観を強く持ったままで他人と関わらなければならず、それは「他人とうまく共存していくこと」を阻害する可能性が大きくなるのだ。現実に則さない自分の価値観を、現実に合わせて形を変えてすり合わせることができなくなるのだ。
処女じゃないけど、自分を愛してくれて、結婚してもいいと思ってくれる子を「非処女なこと」一点で振ることになるのだ。それが彼の幸せといえばそれまでなのだが、彼が処女と童貞じゃないといけないという価値観さえなければ、とっくにうまく行っていたのだ。
まとめなのだ。
不可抗力で非モテに生まれ、非モテに育てられてしまった人が抱えさせられた「困難」「問題点」は
1:人付き合いが疎の状態のまま育つ
2:親に自己決定権を奪われ、意志が育たない
3:他人の価値観を刷り込まれて、価値観と大きく異なる現実とすり合わせられなくなる
ということになのだ。
次回からは一つずつ克服について書いていこうと思うのだ。
ここからはおまけの投げ銭コーナーなのだ。今回は35歳まで彼女がいたことがなかったバッチリ非モテと言える元イさんの、親に価値観を刷り込まれた話について書こうと思うのだ。個人情報なので、一応有料ということにしておくのだ。
「早く続きかけ!!」という方もよろしくおねがいしますなのだ。
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