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連続のほうへ─パースの連続主義をめぐって

チャールズ・サンダース・パース。19世紀から20世紀初頭のアメリカで活躍した哲学者である。

彼は「プラグマティズム」というアメリカ哲学を代表するような発想を生み出したにもかかわらず、大学に職を得ることができず、大量の論文だけを残して消え去っていった謎の多い哲学者だ。

彼の業績は多岐にわたるが、ここでは彼が展開した進化論的宇宙論に着目したい。伊藤邦武『パースの宇宙論』を手がかりにして、パースの宇宙論を概観することにしよう。

第一性、第二性、第三性

パースにおいて3は根本的な数である。彼が描きだすのは、3つの要素が絡みあうことによって進化していくこの宇宙の姿だ。それぞれをまとめれば以下のようになる。

第一性:絶対的偶然。規則を欠いた混沌状態。
第二性:規則性。
第三性:習慣化。第一性と第二性を媒介するもの。

パースが描く宇宙は、この3つが絡みあうことで進展していく。パースによれば、この世界には必然的法則は存在しない。宇宙の初期状態は、絶対的偶然性なのだ。あらゆる規則性を欠いた混沌状態(第一性)が、すべての出発点となる。

原初の混沌状態(第一性)から、習慣化の働き(第三性)によって、規則性(第二性)が生みだされていく。これがパースが描く宇宙の進化である。たとえば、ランダムな水の流れは、まわりの地形を徐々に変形させ、ひとつの川の流れを形成することになるだろう。こんなことをイメージしたら良いかもしれない。

宇宙は根本的な混沌状態からはじまり、習慣化の働きをとおして徐々に秩序化され、その完成へ向けて突き進んでいく。パースにしたがえば、いっけん不動の規則性のように思える自然法則でさえも、こうした宇宙の進化のなかでたまたま作り上げられてきたものにすぎないのだ。

偶然主義、連続主義

伊藤邦武は、以上のようなパース的宇宙の進化にとって重要な原理として、3つのものを挙げている。「偶然主義」(Tychism)、「連続主義」(Synechism)、「アガペー主義」(Agapism)の3つだ。ここでは簡便化のために、前のふたつに着目することにしたい。それぞれをまとめれば以下のようになる。

偶然主義:必然的法則の不在を表現した原理。あらゆる規則性は、原初の偶然的な混沌状態から徐々に形成されていく。第一性に対応。
連続主義:規則性が徐々に形成され、連続的に進化していくことを表現した原理。第二性と第三性に対応。

偶然主義が表現するように、宇宙の初期状態は偶然的な混沌状態である。この前提があるからこそ、宇宙が進化するという議論が成立することになる。もし必然的な法則が存在するとしたら、それによって予見可能な出来事が時間軸上においてただ展開されていくだけの決定論的な宇宙となるだろう。その場合、宇宙そのものが進化することはない。

だが、パースの偶然主義にしたがえば、宇宙は進化する。その進化は、連続主義が表現するように、連続的に進展していくのだ。

ふたつの連続性

ところで、伊藤の解説を読むかぎり、パースのなかには少なくともふたつの連続性があるように思われる。

ひとつ目は、宇宙の進化における連続性である。これは、先ほど確認した連続主義によって表現されていたものだ。

だが、これだけではない。伊藤は、これとはべつの連続性を提示する。宇宙の原初状態における連続性だ。伊藤によれば、宇宙のカオス的な原初状態(第一性)は、連続性の世界なのである。それは、いかなる断絶も欠いた徹底した連続性の世界だ。伊藤は、この連続性をつぎのように表現している。

「何かが連続的であるということは、そこに継ぎ目がないこと、断絶がないことである。それは、そこに現れるすべてのメンバーが滑らかにつながって、一つの流れ、一つの継ぎ目のない変化を生きていて、たとえなんらかの事情で飛躍や空隙が生じたとしても、直ちにその空隙をうめるような新たなメンバーが生まれ出るということである」(伊藤邦武『パースの宇宙論』121頁)

つまり、連続性の世界には、いかなる断絶も継ぎ目も存在しないのだ。

伊藤は、原初の世界において、とりわけがこのような連続性を構成しているのだという。たしかに、わたしたちが生きている世界では、質は非連続的である。色や音は、確固とした質としてたがいに分離されている。青と赤は異なった色だ。分節化された質のあいだには断絶がある。しかし、太古の世界においては、あらゆる質はいかなる断絶をも帳消しにするほどに、連続的につながりあっていたのである。伊藤はつぎのように述べる。

「われわれがふつうの日常生活のなかで直接に感知する感じは、一見したところ互いに連続しておらず、ばらばらなものに見える。さまざまな香り、無数の微妙な音の世界、鮮やかな色が色とりどりに乱れた世界──それらはわれわれの感覚にはたしかにはっきりと分離し、特定の性質をもった、分節的なものからなる世界として現れる。しかしながら、太古の世界においては、これらはすべて完全な連続性のなかにあって、無数の質の無数の度合いが紡ぎ出すところの、いかなる断絶もないニュアンスのつながりの網のなかにあったと想定することもできないわけではない」(伊藤邦武『パースの宇宙論』135頁)。

ここまでの展開についてまとめよう。パース+伊藤が描く宇宙には、ふたつの連続性が関与している。まず、宇宙の原初状態における連続性がある。あらゆる質が連続的につながり、いかなる断絶も不在の世界。すべてがびっしりと詰まった稠密的な世界だ。

この太古の連続性の世界(第一性)から、習慣化の働き(第三性)をとおして、非連続的なものが切り出され、そこに秩序(第二性)がもたらされる。宇宙が〈第三性+第二性〉をつうじて進化していくこうした過程もまた連続的なものである。つまり、宇宙の進化における連続性があるのだ。

潜在的な連続性の世界が切り出され、現実化し、完成された秩序へ向けて連続的に進化していく。これが、パース+伊藤が描く進化論的宇宙論だ。

ラディカライズされた連続のほうへ

パース+伊藤によれば、太古の世界は徹底した連続性の世界である。だが、この連続性が本当に徹底したものであるならば、そこからの進化は不可能になってしまうのではないだろうか。太古の連続性の世界は、そこから進化し、時間的な進展を経た地点をも、その内部へと飲み込んでしまうのではないだろうか。

ふつうの意味における進化の場合を考えてみよう。わたしたちの祖先は、母なる海のなかで誕生した。数十億年の進化の過程を経て、生命は海の外へと進出し、拡散していった。その結果として、わたしたち人間がいる。わたしたちは、海を生命の起源として、外から眺めることができる。ノスタルジックな眼差しを海へと向けて、太古の世界に思いを馳せることが可能だ。

だが、パース+伊藤が描く宇宙論的進化の場合、それは不可能である。太古の連続性が本当に徹底したものであるならば、それにとって外部が存在することは不可能となる。あらゆるものはグラデーションをつうじてそれと連続し、そこに飲み込まれることになるだろう。この連続体から進化した地点もまた、その内部でしかない。つまり、じつは一歩も先に進んでいなかったことになるのだ。

太古の世界におけるラディカライズされた連続性は、あらゆるものを飲み込む。その外からノスタルジックな眼差しを向けることは不可能である。ラディカライズされた連続性の世界は、じつは太古の世界でもなんでもない。それは今現在の世界なのだ。わたしたちは、このあまりに強力な連続体を時間的にも空間的にも外化することができないのである。

ラディカライズされた連続性が原初状態に設定されるかぎり、見せかけの進化しか可能にならない。この原初状態を外から眼差すための本当の進化を可能にするためには、ラディカライズされた連続性を断ち切らなければならない。本当の意味での時間化/空間化が必要なのだ。それは、ラディカライズされた断絶である。

ラディカライズされた断絶 vs. ラディカライズされた連続。それは、最強の矛と最強の盾との戦いのようになるだろう。その結末はどうなるだろうか…。

見出し画像:Jong Marshes on Unsplash

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