仕事が原因で適応障害になった話・その1
教員を目指して十数年。常勤講師として自宅近隣の学校を転々としてきた。
8年目くらいまでは教員採用試験を受けてきた。
面接までは行けたが、元々面接が苦手ということもあり、その年は落ちた。
翌年の試験でも落ち、それ以降受けることをやめた。
常勤講師でも教鞭をとれることに満足していたし、本採用になった後の研修が面倒であったということもある。
「もったいない、受けよう」と校長面談で言われることもあったが、「受けるモチベーションがない」と断ってきた。
定年まで教員を続ける気はない、常勤講師の働き口が無くなったらやめようとさえ思っていた。
学生の頃に抱いていた教員への憧れよりも、実際の仕事に対する不満が上回っていた。
ここ数年は特に、教員の仕事とは思えない仕事が回ってくることもあった。
業務時間内で終わるような作業であれば納得もできるが、多くは持ち帰ったり残業を余儀なくされたりした。
「その作業は学校に来ている業者に委託するべきでは?」というような作業でさえも、分掌の仕事として回ってきた。
辞める年はそのような仕事をする余裕もなかったが……他の先生はその作業を放課後にしているのに、自分はその仕事を放棄して自分の仕事をやっているという罪悪感が常に心の片隅あった(部活動に関しても同様であるが、この話は別の機会に記事にしようと思う)。
でも、そうしないと終わらないのである。
自分は残業をしない主義であり、業務時間に全てが終わるように仕事量を調節するタイプである。
分掌の仕事も業務時間に終わらせる、残業しても支払われる教員調整額の範囲内に収めることを心掛けていた。
俗に言う、『すぐに帰る先生』だ。
テスト作成などは終わらないので自宅でやらざるを得なかったが、学校に残ってダラダラと作業をするのではなく、帰宅後や休日に集中してやっていた(本当はいけないことであったが真面目にルールを守っていたら毎日午前様・休日出勤である)。
そのような業務態度であったので、私は「仕事をしない」と思われていた節がある。特に上司に。
「あいつの仕事量を増やそう」という上司の思惑通り、私の仕事は増えた。
これまで中学生の授業を受け持っていたのが、知的障碍・肢体不自を持った小学生を受け持ちながら中学生の授業も受け持つことになったのである。
私の主免は高校である。副免として中学・特別支援の免状を持ってはいるが、小学生を受け持った経験はもちろんない。
特別支援の免状は特殊で、小・中・高を教えることができる。
が、制度として教えることができるのと、教員にその適性があるかどうかは別の問題である。
一日中泣き続ける子どもの対応に困っている私に対して、「あなたはこれまで特別支援の教員として働いてきたのだろうが、その割に教員としての能力が低い」と当時組んでいた主担任が言い放った。
酷い暴言である。
「軽度の知的障碍の高校生を受け持った経験はありますが、小学生はありません。全然違うんですよ。」と弁明したが、理解を得られることはなかった。
様々な学校を転々としてきたことから各校種での経験が浅く、教員としての技量・専門性は低い自覚はある。
もっと勉強しなければならないということも分かっている。
ただ、私の思う専門性とは教科の専門性であり、特別支援教育の専門性ではない。
仕事の大半が自分のやりたいこととは違うという事実と、中学生の授業は例年通りという忙しさ、主担任との折り合いの悪さで、新学期1週間目にして頭痛の悪化・動悸に悩まされることになった。(その2に続く)
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