もしも、旅から帰らないなら
スーツケースとバックパックひとつに持てるだけを詰めて旅に出て、そのまま遠くの地で一生を終えるとしたら、私はなにをするために、なにを持っていくだろう。ふと、そんなことを考えた。
歩きたい、感じたい、書きたい。
歩くのが好きだ。徒歩の速度で変わっていく景色を全身で感じながら、溢れ出す言葉に身を委ねたい。一歩ごとに花が咲き枯れ落ちるように、呼吸と共に言葉を消費するように、街と一体化して歩いていきたい。
そして、それを書き残したい。自分がどこでなにを見て、なにを感じたのか。自分のためだけでいい。私の心が生きていたことを証明するために。いつかどこにも行けなくなったときに、私自身を慰め導くためにだけ存在する、ささやかな手記を残したい。
そのために、私にはなにが必要なのだろうか。
手帳と何本かのペン
手帳はさまざまなサイズをたくさん持っている。けれど、本当にひとつだけと言われたら、文庫サイズのMDノートかトラベラーズノートを選ぶと思う。
文庫サイズのMDノートは、長年愛用している革のブックカバーがジャストフィットで、それだけで特別な書き物をしている気になれる。今でも旅行のたびに持っていって少しずつ書き込んでいて、何冊も貯まったバックナンバーが、これまで生きてきた自分がなにを見て、なにを感じたかの集大成になっている。まとまった文章として残すなら断然こっち。
反面、トラベラーズノートはとにかく佇まいも使い方も軽い。リフィルの種類が多いため、用途に応じて色々と差し込めるのが、その時々の気分に絶妙にマッチする。出た当初に買って以来ずっと使っているので、経年変化して傷だらけの革の質感もたまらない。気軽に開いて気軽に書き込んだり、チケットを貼ったり自由にレイアウトするのならこっち。
そしてそれらに書き込むのは、ペリカンのスーベレーンK400、パイロットのカスタム74、カランダッシュのエクリドール ベネシアンとクロスの純銀ペンシル。パイロットのブルーブラックがとにかく好きで、インクはそれだけあれば十分だ。初めて買ったパイロットカスタム74は肌身離さず持ち歩いていて、スーベレーンは中字をさらさらと書きたいときにうってつけで、エクリドールは一生の友、クロスのペンシルは純銀という所有欲と黒鉛で書き残すことを満たしてくれる。
自分を遮断しない服
服はいろいろと経由した結果、モノトーンとデニムに落ち着いた。汗を処理できずに肌が荒れるため化繊が苦手で、綿・麻・ウールが手持ちの服のほぼ全てを占めている。そんな自分にとって重要なのは、着ていることを感じない=五感に集中できる快適さである、という境地に至り現在を迎えている。骨格ナチュラル、凹凸に乏しく色気のないオータムカラーは、似合わないものがはっきりしているため服選びが楽だ。
質実剛健なデニムとリネンのパンツ、着心地の良く素材感にハリのあるトップス、厚みのあるパーカーと防寒具、カジュアルなロングワンピース、最低限フォーマルを装えるジャケットがあれば、十分に生きていけると思う。
銅のマグカップ
瓶や缶からそのまま飲むビールはいい。地元に溶け込んでいる気がする。けれどやっぱり、自分だけのカップを持っていたい気持ちもある。おそらくソロキャンパーの性だろう。
チタン、ステンレス、銅と素材を変えて同じようなサイズのマグを揃えているが、やっぱり一番思い入れがあるのは純銅だ。頑丈で熱電率が良くて、なにより見ていて気分がアガる。殺菌作用があるというのも嬉しい。
リネンのショール
長年、ハードマンズリネンのダークグレーのストールを愛用している。ほぼブランケットに近いサイズで、巻いたり羽織ったり枕にしたり肌掛けにしたりと使い倒しているが、厚手で全くへたれる気配がない。決してファッション的に映えるものではなく実用性だけが突出しているわけだが、その汎用性が自分の心を掴んで離さない。
ナイフと光源、火元、湯沸かしセット
飛行機に持ち込めないのが痛恨だが、使い慣れたオピネルのNo.9か友人からもらった手のひらサイズのフォールディングナイフは、手元にあるとないとでは全く心持ちが違う。同様に乾電池で稼働するLEDランタンと火おこしができるセットは、キャンパー目線と言われても誰にでも必要だと思う。
あとはチタンのアルコールストーブ一式があれば、なんとか生きていける気がする。
リネンのハンカチ
どれだけリネン好きなんだと思うが、リトアニア製のリネンハンカチも長年愛用している一品だ。洗濯して干すとぱきっと硬くなるのに、使い始めるとすぐにふわふわ柔らかになる。リネンなので乾きやすく匂いもつきにくいため、毎日の通勤以外にも旅行やキャンプに大活躍している。ヘタレないので買い替える理由がないのがたった一つの欠点。
あと、できれば通信環境とiPhoneは確保したい。
さらに贅沢を言えばカメラとか本とか色々出てくるのだが、削ぎ落とした結果衣食住プラス書くことに集約されるあたり、やはり自分の根源は言葉なのだなと思う。
けれど、夫に同じことを聞けば全く違う答えになるだろう。少なくとも絶対にアルコールストーブとか万年筆と言い出すわけがない。
斯様に、ひとが生きていくための価値観というのは、国籍や年齢や職業、ひいては個性に基づいて多様なんだなあとしみじみと考えた秋の夜。
なお、脳内妄想ではスマートに荷造りしているが、実際はどこに出かけても忘れ物が多く現地調達頼みの人間なのが大変に残念である。
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