左と右の関係を探っていたら重要な発見をした。僕の心が露になり、それを皆に伝えなければならないと感じた。
21時まで開館している図書館に司書がいる。僕はそこにもう5年ほど通い詰めている。僕と司書が仲良くなるには充分な時間だった。ほとんど人がいなくなった閉館近くの時間に現れ、近代文学を借りまくる中年の姿は記憶しやすかったのだろうと自分でも思う。
利用者で僕だけと仲が良いのかは知らないが、「だけ」と思う方が、通う理由になるのも事実だ。司書の年齢は、僕と変わらないか少し下に思われた。
いつものように、指先までしっとりとしているように見える指で、伸ばすのか切るのか迷っている髪を掻き上げている。その指はキレイだけど、しっかりと時間が与える影も知っているように見える。
掻き上げた髪がまるで意味がなかったかのように元に戻って来ながらも、そこには視覚には見えない、嗅覚に訴えるとても微少な良い香りを確実に僕に届けてくれる。そして受付のカウンター越しから、いつものように得意の上目遣いで話しかけてくる。
「あなた、最近本の傾向が違うわね。何があなたに起こったのかを聞いてもいいのかしら」
キーボードの上で、いつものように僕の目を惹き付ける指が左右で違う動きをしている。この指は、キレイだと知っていて見られるというのを知っている指だといつも感じる。
僕は、いまだにピアノを弾くのに左右の指が違う生き物のように動くのが信じられないでいる。どうしてバラバラに意志を持つように動かせることが出来るのだろうといつも思いながら、弾けもしないのにピアノの前に指を置くことがある。案の定ぎこちない違和感の音色しか出せない。それと同じで、両目もカメレオンのように左右で違う動きが出来ないことを不思議に思っている。
いっそのこと、左右ではなく、右左と言い換えたら出来るのではないかとすら思い、口に出してみたことがあるのだが、それを「ゆうさ」と言わせるか、「みぎひだり」と言わせるかで深く悩んだ。
「質問に答える前に質問していいかい?」
僕は、司書の指に語りかけるように聞いてみた。指は、一瞬止まったかのように見え、こちらを感じたかのように見えたけれど、実際は指を止めることはないかのように見える。何だかコンサートで一瞬アーティストに見つめられたと思い込むあの高揚感と勘違いする気分だった。
「どうして左右と呼ぶときに左が先にくるのだと思う?」
司書は、キーボードに触れる指を止め左右の指を絡ませてから僕を上目遣いに見た。
「答えなんてそれぞれよ。向かい合うあなたから見た左は私から見たら右よ。見かた、見えかたによって、左も右もあやふやになるわ。反対方向のはずなのにもしかしたら、同じ方向を向いているのかもね。本当におかしいわよね」
まるで答えを知っているような素振りの言い方なのに、答えになっていない、あやふやに少し答えを覗いた気がした。
「僕なりの答えを見つけなればならないんだ」
僕は、適当な受け答えをして司書を困らせた。司書が僕の問いかけに逃げられないことを僕は知っている。
少し、困ったような目をして僕を見たが、司書の指は仕事を喜ぶような動きで滑かに動いている。
「面白い話を見つけたわよ。読んでもいいかしら」
僕は、再び絡み合う司書の左右の指を見ながら頷いた。
「どうやら、右が上位と言っているみたいね。でも、あなたが言う質問の意味とは少し違うのかしらね。でもね、本当に隠されている大事なものは実は左に多かったりもするのよ。心臓や胃、脾臓もね。だけどそれもあなたから見た私の右側だから別に気にしなくてもいいわ」
僕は、司書に試されている気分になっていたが司書との時間が嫌いじゃなかった。
「みぎひだりに上位下位をつけるなんて、不思議だけどね。見えかた一つで違ってくる。さっき君が言った通り、これは絶対に何かがあやふやなんだ」
この話には、僕からはもうこれ以上の結論が出ないことを知っているような司書は、僕に本を手渡すと再び指で魔法を描くようにキーボードへ向かった。
「不確かで、あやふやなものほど違う意味が隠されている筈なんだ」
「答えが見つかると良いわね。見つかったらまず私にその答えを教えて欲しいわ。同じと思うものから省いたらどう見えるかしらね」
何度も絡み合ってほどける指と、司書の話す言葉と言葉の間の時間にいつも妖艶さを感じ、右往左往している自分に「右往左往は右上位」とツッコミながら帰宅した。
家に帰り、机の上で振り返って書いていた。
左、右、左、右
本当に大事なものは隠されている。僕は自分の指と司書の指を重ねるイメージで同じと思うものを省いた。すると簡単に答えに辿り着いた。最初から答えは決まっていた。僕が隠していたそのものの正体が分かった。
僕は、日を改めて司書に会いに行った。司書が僕を認める視線に少しドキドキしていたが、それを隠すのはやめようと考えた。
「左右には、やっぱり意味があったんだ。君は僕に、右が上位で左が下位だったと教えてくれたね。その通りだった。下位に隠されているのは下心だった。下心を表に出さないで隠すには左を前にする必要があった。君はこうも言ったね。同じと思うものから省いたらどうだと。僕は左と右の同じ部分を省いたよ。残されたのは、『エ・ロ』だった。僕はこれを考えた人の気持ちがよく分かる。ちょっとした遊び心だ。隠したいのに隠せない。秘めてるのに溢れているんだとね。僕の考えが正しいかはわからない。だけど、僕の答えはこれなんだ。それと遅くなったけれど質問の答えだ。読む本の傾向が変わったかどうかだけどね。そんな僕の些細な変化に気付く君が、僕を左から見始めたということじゃないかな」
司書は笑いながら、いつもない筈の左の薬指に艶かしく光る指環を見せた。
なんのはなしですか
左右の関係を学び直したはなし。
これを秘めた下心と左右の木の子論と呼ぶことにする。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。