「すごい」の寿命を知りたい語り。
今年一番始めに「スゲーな」という言葉を心から発したことがある。
友人が同じ施設で三度男子トイレに間違えて入り、娘に怒られたというのだ。「今年はもう絶対に間違えない」と決意のメッセージを聞いてもいない僕に送ってきた。
僕は純然たる心からの「スゲーな」を送ったのだが、一つの違和感を感じたことを書き残したい。
心から「スゲーな」と人は皆感じて発しているのだろうか。
「スゲーな」の実際何割を本当にすごいと思っているのだろうか。
「スゲーな」の裏を知れたら一番スゲーことになってしまうのではなかろうか。
僕自身、女子達に囲まれて
「本当にすごいと思ってるかい?ウフフ」
とカッコ良く吐いている台詞を思い出した。
「思ってる。思ってる。スゴーい」
と言われて有頂天だったのだが、これはもしかしたら何も「すごい」と思われていないのではなかろうかと考えた。
仮に、女子の「すごい」がほとんど何とも思ってもいない「すごい」だとしたら、僕は「すごい」を開発した人に会いたい。
そもそも、最近の感覚だと「すごい」を使用すると、「すごくない」感覚にならないだろうか。僕だけなのか。「すごい」の消費で「すごい」の寿命が近付きつつある気がする。
こうなると言葉の意味は逆説的に進む気がしている。おなじ進み方の仲間だと「ヤバい」とかが同じ言葉の方向性の気がしている。
「すごいヤバい」
これが現在の一番「すごい」の最上位かも知れない。
確かにもしこれを女子に真剣に上目遣いで言われたら、僕は本気の嬉しいが入ってくる気がする。
言いたいことがまとまらないので、久しぶりに思うこと願うことを作詞しました。感じてみてください。そして誰か作曲して歌ってみてください。
二番もあるよ。
やっぱり才能が年に一度は溢れ出ちゃうわよね。
今年も頑張れそうだわ。
なんのはなしですか
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。