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#6 挑戦者の法則 - なぜ2位は愛されるのか?

#2 親近感の法則であれだけ「NTTドコモ」を絶賛しておきながら、実際のところドコモユーザーでないことをもらしていましたので、その理由について、早めに弁明しておきたいと思います。

突然ですが、みなさんは「圧倒的に強い王者」と「その王者に立ち向かう挑戦者」、どちらがお好きですか?「スラムダンクと言えば、山王工業でしょ?やっぱ絶対的王者がかっこいいよね!」と言う方ももちろんいるかもしれませんが、全員がそうか?と言えば、必ずしもそうではないのでは?と私は考えます。

例えば大相撲。横綱に昇進するには厳しい条件をクリアする必要があり、観客はそれを応援します。しかし一旦横綱になると、今度はその横綱にいつ土がつくのか?を固唾を飲んで見守ります。時に横綱を敗る力士が現れようものならば、「大金星!」と褒め称え、座布団が宙を舞います。…何とも皮肉なものです。人間は圧倒的な強さを本質的には愛さないのかもしれません。

この群衆心理と手元の経営資源を掛け合わせて体系化したのが、フィリップ・コトラーの「競争戦略」になります。今回はニッチャー/フォロワーの観点は割愛して左の部分にご注目ください。チャレンジャー(挑戦者)がリーダー(王者)に戦いを挑む時の戦略が書かれていますね。リーダーよりも手元の資源で劣勢となるチャレンジャーが有利に立つために、いかにしてリーダーの取るポジションから距離を取るか?つまり、いかに違いを明確にするべきか?という差別化戦略が示されています。時に限られた資源が有効に作用したとき、チャレンジャーはリーダーを鮮やかにひっくり返すことができるのです。

コトラーの競争戦略理論 (1980)

ここまで書けばもうおわかりかと思いますが、私は完全なる「挑戦者派」です。車は「トヨタ」より「ホンダ」が好きですし、学生の頃は「何か強くて偉そうだからアメリカを好きになれない。だから英語は勉強しない」と謎の抵抗をしていた時もありました。関西出身ですので東京という、いかにも「首都」な感じもどうも好きにはなれません。家庭用ゲーム機が群雄割拠となり始めた時も、任天堂よりプレステ派でした。うーん、ちょっと斜に構えすぎですかね?

挑戦者が提供するプロダクトやサービスは概して不便だったり、質が劣ってたり、サービスが突然終了したり、いいことはあまりないかもしれません。それでも「挑戦者」を応援していたい。挑戦者もそういう味方がいることを自覚していて、時にそれを自ら口走ってしまったりもします。

KDDI TVCM「2位が世界を面白くする」
KDDI ポスター

こんな潔い姿勢を見ると、さらにまた応援したくなってしまうわけです。そんなこんなで「一位を選びたくない」というひねくれた一点だけで、ドコモを選ぶ機会はついぞありませんでした… ドコモ、最高のネーミングなんですけどね。

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