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鋭くも優しい、左薬指の門番。

左手の薬指が光る。
結婚していることが分かる。

結婚指輪はつける人もいるしつけない人もいる、
購入しない人もいると思う。

私の話をすると
指輪に対して特に強い憧れはなく、
あってもなくても良いのかなという気持ちがあるがそもそも指輪は自分のためではなく
誰かのための物なのかもしれないと、最近思っている。


指輪をしているということに救われた経験が2度あったからだ。


1度目は学生最後の春休み。
合宿免許で北海道の釧路へ行った際。
この人と一緒にいたいかもという人に出会った。
きゅん!とか、ときめき〜!とかではない、
なんだろう安心感というか
とにかく話してて楽しい、
25歳元自衛隊(!)の教官だった。 
が、まあ普通に指輪してた。

もう危うく釧路の女になる決意を固めるところだったじゃないか。
危ない危ない。

2度目は会社帰りの電車の中。
中学生の時好きだった、塾の先生が正面に立っていた時だ。
ずばり6年ぶりの再会。
この先生がいたから私は母校となる高校に合格できたと言っても過言ではないくらい、お世話になった。
声をかけると、覚えてるよ!と言ってくれて当時の懐かしい話で盛り上がって
((え、ええこれは映画かな??これは映画だな!!!ここから6年越しの恋が始まるのね!!エンダーーーーイヤ〜〜!!))
と一頻り私の中のホイットニー・ヒューストンが大熱唱したところで気がついた。
あ、ふっつーに指輪してる。

もう危うく日本中の女子をときめかせる
映画のヒロインになってしまうところだった。
危ねえ危ねえ。


何が言いたいのかというと
指輪というのは「結婚してるんです。」という
メッセージの伝達こそがわりと重要な役割なのではないか、ということだ。

奥さんがいるんだ、と分かったから
言わないようにした言葉や、抱かないようにした気持ち、上がりきらなかったテンションがある。
それらは指輪という1つの輪っかによって、
ギリギリのところでこの世に放たれずに済んだ。
放たれてしまった後に結婚していること知ったら、もう悲しく切ない。

きっと結婚指輪というのは門番のような存在なのだ。
誰かの心に辛さや切なさを生むのを防ぐ門番。
指輪があることに気づいて察する瞬間もなかなか鋭い辛さはあれど
ごめん結婚してるから…と言葉で伝えられるより、きっと優しい。
始まって2分でエンドロールは笑えるけど
盛り上がったところでいきなり終わる映画は笑えない。

そんなこんなで、もし私が20代30代前半くらいで結婚したら、
誰かのために指輪をつけるつもりでいる。
(だから高級品である必要は全然ない)

指輪をはめるということはきっと優しさを身につけるということだと思うから。

(誰からも告白されたことのない私には
いらぬ気配りとは思うが…!笑)




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