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[小説]僕らは皆、生きていく

◯PART-S 彼女の場合

はっ、はっ、はっ。
夜、暗闇の中眠れなくなる。布団を頭までかぶり、震えてうずくまる。フラッシュバック。お前なんかいらない。いらない。怒号のような声が頭の中を飛び交う。
指先まで冷え切った手でスマホを掴んだ。
12月18日、火曜日、2:33。

浩輔とセンパイのグループLINEを開く。一番最後の投稿は、日曜に3人で行ったラーメン屋の写真。少し心が弛緩する。
ためらいながら、彼らの命に従う。
「死にたくなったらグループLINEですぐ報告!」

◯PART-Y 俺の場合

シャン、シャン、シャン。
俺の指がスマホの画面をタップするたび、小気味のいい音が鳴る。
この譜面はもう何度も見た。今日こそフルコンボができそうだ。画面の中でアイドル達が俺を応援するように、一生懸命踊っている。
今日も可愛いな、みなぴー。…と思っていたところに、ティロリン♪という間抜けな音でポップアップが表示された。
瞬発的な苛立ちで表示を消そうとしたが、メッセージのプレビューを見てすぐにゲームを一時停止した。

「眠れない」
これが彼女の精一杯のSOSであることを、俺たちは知っている。

「通知のせいでフルコンボできんかったわ」
電話をかけて第一声で、不満を述べた。お前のせいで起こされた訳じゃない、と暗に伝える。電話の向こうで、力無さげに「…ゴメン」と笑う様子が聞こえてくる。
火曜の深夜、営業マンの浩輔は寝てるだろう。俺は明日の勤務は遅番だ。だからソシャゲに勤しんでいたのだが。

「また眠れないのか?」
「うん」
「何かあったか?」
「うん…どうなんだろ…」
「じゃあソシャゲの話していい?」

「うん」という声にほぼ被せるように、俺は最近追加されたみなぴーのエピソードで、いかにみなぴーが気遣い屋か、それを理解した上で包み込んでくれるさっちがいかにお姉さんか、ということをダラダラ話し始めた。

電話の向こうで、か細い相槌や、かすかな笑い声が時折聞こえる。
面白がらせるために話しているわけではないから、反応の薄さは気にしない。

沙和が沈んでいる時、だいたい<現在>のせいじゃない。だから沙和の話を聞いても特に何も出てこないことがほとんどだ。(一応聞くけど)
過去や思い出から引き剥がし、<現在>に意識を向けさせる。
そのためにくだらないーいや、俺にとっては大事な生活の一部なのだがーソシャゲの話をするのが、俺たちの習慣になっていた。

「それで、クリスマスガチャはたぶん今年はさっちの新作なんじゃないかと思うんだよね」
「……」

数分前の「うん」を最後に、電話の向こうから静かな吐息が聞こえてくる。
どうやら寝落ちしてくれたようだ。
今日を凌いだ、と俺は一息つく。
布団にくるまり泣きながら眠る沙和を少し想像して、またソシャゲを開き、やりかけだった曲を再開した。今日こそ、そろそろフルコンボしたい。

いつか死んでしまいそうな沙和と、いつか死んでしまいそうな沙和と付き合っているギリギリの浩輔と、死にそうでもギリギリでもない、強いて言えばソシャゲに生活を捧げている俺。

これが俺たちの日常だ。いつも通り。
問題がないとは言わないが、まあぼちぼち生きている。

◯PART-K 彼の場合

ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。
朝6:15、シャワーから出て、スマホのアラームを止める。昨日寝落ちしてしまっただけある。いつもより早く起きてしまった。
冷蔵庫から牛乳を取り出して、一杯飲んだ。
片手でスマホを操作して画面を確認すると、深夜にきていたLINEにようやく気がつき、心臓が冷える。

しまった、日曜に会った時、少し怪しい感じがあったので警戒していたのに。
ここのところ早出と残業と休日出勤が立て続いており、体力を使い切って熟睡してしまった。
少し下にスワイプすると、どうやら昨日はセンパイが気がついていてくれたみたいだ。それなら大丈夫だろう、と心底ホッと息を吐く。
またソシャゲの話でもしたのだろうか。センパイの頼もしさが嬉しく、寂しい。

俺たちは、センパイに支えられていて、良いのだろうか。沙和と付き合っているのは、俺で良いのだろうか。
フタをしているのに溢れる一抹の不安。苦味。
いや、だからこそ、こうして仕事に励んでいるのじゃないか。せめて立派になろう。沙和が、俺といることを後悔しないように。

身支度を整え、コートを羽織り、鞄を持つ。
今週は初めて決まりそうな大口案件の打ち合わせがある。この機会を、逃すわけにはいかない。
玄関のドアを開けて、朝の冷たい空気を吸った。

◯PART-S 彼女の朝

起きて、布団からモソモソと出る。
「あー…」思ったよりもガラガラの声が出て、可笑しい。頰は一ミリも緩まないけれど。
今日はもともと眼科と役所に行く予定で、休みを取っていた。こうなることを見越していたわけではないが、ファインプレーだ。救われた。

センパイの声と、有給と。これで乗り切れる。明日はいつもの私に戻れる。

「ありがとう」とグループLINEに送った。
生存報告。「ごめんね」は言わないルール。そうなっている。
深く潜ろうとする自分を堰き止め、思考を停止する。
この奇妙な連帯関係を続けて、もう6年くらいになるだろうか。
思わぬ形で生き延びている、私。

* * *

私と、浩輔と、センパイが出会ったのは大学1年生の4月、ボランティアサークルの歓迎会だった。
今となっては少しボンヤリしている記憶。

私は地元・山形から東京のM大学への入学を機に、一人暮らしを始めていた。
初めての大学生活、初めての一人暮らし。それは幼馴染である、浩輔も同じだった。
(勉強の出来る浩輔はもっと良い大学に行けるはずだったが、成績優秀者に付与される授業料免除を目当てに、わざわざランクを落としてM大学を選んだようだ。)

私は初めての一人暮らし、初めての大学生活という慣れない生活の中で、浩輔がいてくれているのがすごく嬉しかったのを覚えている。

* * *

「ボランティア、興味ないっすかー」

勧誘されている私たちよりも、よっぽど興味のなさそうな気だるげな声が降ってくる。
振り向くと、これまたボランティアに興味のなさそうな、しわくちゃのTシャツにしわくちゃのネルシャツを羽織った、目に覇気のない男が、チラシを差し出して佇んでいた。
伸ばしているだけでセットもしていなさそうな髪の毛、アゴ先に蓄えたヒゲ。やたら大きい体。

私と浩輔は男の怪しさに、目を合わせる。
これが私と、浩輔と、センパイのファーストコンタクトだった。

「興味ないよね?でも俺のノルマがまだ残ってるから、新歓だけでもこない?タダにするし」
「…」

引き続き、浩輔と目を合わせる。
何個かのサークルに声をかけられていたが、「タダ」と強調されたのは初めてだった。ノルマを告げられたのも。

「タダなら、行きます」
「…じゃあ、私も」

浩輔の応答に背中を押されるように、参加を表明する。
入学したての私たちは、引越しの準備も相まって、まだまだ貧乏だ。

「ああ、そう?ありがとうね。チラシに書いてあるけど、来週の木曜だから。あ、名前確認していい?」

言われるがままに、名前と、学部と、連絡先を伝えた。
男は相も変わらず興味がなさそうに、淡々とメモしている。

「ハイ、じゃあ後でも一応連絡するんで。バックれても良いんだけど、まあその時は一応教えてもらえると嬉しいかな」

と残して、手を振って男は去った。
私と浩輔は男を見送り、また目を合わせて「なんかすごかったね」「やる気なさそうだったね」と笑い合った。
私が可笑しい時、浩輔も笑ってくれる。その心地良さも、お腹がくすぐったくなる。

* * *

「センパイ、挨拶お願いしまーす!」

新入生のヒナたちが所在なさげに集まる中、ボランティアサークルの"先輩"たちが声を張り上げた。
"センパイ"と呼ばれた男がのそのそと立ち上がると、驚いたことに私たちに声をかけた男だった。

「あー、一応会長的な存在です。1年生の皆、いろいろ不安だったり緊張してると思うけど。まあ緩いサークルなんで。…えー、じゃあ、皆さんお腹空いてると思うんでー、カンパイ!」

お酒の場がよくわからない私にも「気だるげな挨拶」とわかるそれで、乾杯の音頭が取られた。
カンパーイ、カンパーイ、カンパーイ。恐る恐るグラスをぶつける1年生と、盛り上げようと笑顔を貼り付けた上級生たちがやってくる。
「どこ出身?」「どこの学部?」「あの教授の授業とってる?」「ほかに何個サークル見た?」「ま、楽しんでってよ!」
決まりきったフローチャートを3巡か4巡した頃、"センパイ"が私たちの隣に座った。

「どう?ダルいっしょ?」
笑顔を作り続けて頬が引きつっている私と浩輔を前に、遠慮なくセンパイが割って入ってきたので、私たちは顔を見合わせて笑ってしまった。一から十まで気だるげな態度だけれど、慕われるのがわかる。ざっくりとした会話の入りが心地良い。

「何か聞きたいことあったらなんでも聞いていーよ」
と会話の主導権をぶん投げるそれも、質問疲れしていた私たちにはちょうど良かった。
横から隣の上級生が、「"センパイ"って呼ばれてる理由、聞いてやってよー!」と野次を飛ばしてくる。"センパイ"は「うるせー」と大きな声で野次を返した。
私は隣の上級生に従い、素直に「なんで皆に"センパイ"って呼ばれてるんですか?」と尋ねた。

「あー」と言いたくなさそうにセンパイは話し始めた。
高校を卒業してから1年就職して、1年浪人して、1年留年して、誰よりも年上だから"センパイ"と呼ばれるのだと言う。
「タチ悪いよな、俺は止めろって言ってんだけど」とセンパイは苦笑いしながら補足した。

2度目の留年が見えてきた時、必修のゼミの教授にボランティアサークルの立ち上げに携わったら単位をおめこぼししてやると言われたそうだ。
「ボランティアって柄じゃないんだけどね、見た目の通り」
またセンパイの補足。

「じゃあ、今いくつなんですか?」「何年生まれなんですか?」私と浩輔が意地悪な質問を重ねると、センパイが「う〜〜ん」と、もっともっと苦しそうに回答する。
そうしてセンパイを介して、私たちはいたずらっ子のように笑い合ううちに、あっという間に二次会、三次会、そしてセンパイの家へと雪崩れ込み、飲み明かして、皆で雑魚寝をした。

私と浩輔はこの、大人のようで大人らしくない、大人じゃないのに大人びている"センパイ"をいたく気に入り、このサークルに、ひいては大学近くで溜まり場と化していたセンパイの家に、入り浸るようになったのだ。

* * *

○PART-Y 俺と彼女の場合

たまに沙和とセックスをする。
たまに、といっても本当に数ヶ月に1回、あるかないかくらいだが。

「あ、ごめん、痛い?」
「うん…」

ハイともイイエともつかない声を、沙和が漏らす。痛いか痛くないか、わからないのだと前に言っていた。(一応聞くけど)
ただ体の質量を感じないと、怖いのだという。私の体がここにあり、誰かの体がここにある、そうすると自分の輪郭を確認できるのだと言っていた。よく分からないが。

「センパイは、たのしい?」

途切れるような声で尋ねられる。
楽しい?セックスが?まあ溜まっている時は気持ちいいけど、好きかどうかで言うと、わざわざヤりたいとはあまり思わない。

「うーん、普通」
「普通」

俺の言葉を繰り返し、沙和が笑った。
沙和の体の振動が、2人の性器を通して伝わってくる。繋がっているのだなと実感する。それ以上でも、以下でもない。

「センパイがそういう人で良かったって、ほんとうに思う」
「ふーん」

沙和の考えていることは、あまりよくわからない。が、沙和を理解するのは恭介の役目なんだろう。俺はわからなくて良いと思っている。…それにしても、連日の仕事続きで、どうも腰が痛い。

「ごめん、もう体が限界。終わっていい?」

沙和が頷いたので、動きを早めて、射精する。沙和が少し声を上げるが、「感じて」いるのかはわからない。だけど、これは快感を目的にしているわけじゃないので、それも関係ないことだ。

* * *

俺のTシャツと短パンを着た沙和が、毛布をキツく抱きしめて、苦しそうに眠っている。「可哀想だ」と思う。曲がりなりにも大学生活で、可愛がってきた後輩だ。

沙和はセックスをする前も、した後も、いつも苦しそうに眠る。俺たちの行為は愛の確認でもコミュニケーションでもないから、ある意味当然なのだろう。
彼女が生きていくために必要な確認作業が、今日はたまたまセックスだった。それだけだ。

「う…」
唸り声を上げる沙和の顔に、髪の毛がかかっているので、払ってやる。少し頭を撫で、夢の中で苦しむ彼女に届けばいいと思う。

俺と沙和がたまにセックスをすることは、言い方は変だが浩輔の公認だ。

浩輔と沙和は付き合い始めて何年も経つが、初めの1年以降は、長らくセックスレスの期間が続いているらしい。レスと言っても完全に無いわけではなく、半年か1年に1回くらいはするらしいが。

浩輔が「出来なくなってしまった」と真っ青な顔で、俺に相談してきたことを思い出す。安い居酒屋で、掘りごたつのスペースで、初め隣の客の大声にかき消されて聞き取れなかった。

怖いのだと言う。沙和の細い体が。そこに侵入することが。沙和が俺を信頼すればするほど、俺はいつか彼女をこのまま殺してしまうんじゃないかと、そう思うと怖くて触れなくなるのだと。

その当時、彼女もいなかったし、今もいない俺に大層な助言ができる訳もなく、(自慢じゃないが、人生で付き合った人数は2人しかいない)浩輔が吐き出す言葉を神妙な顔で受け取ることしか出来なかった。

続けて沙和の話も聞く機会があったが、「セックスが好きなわけではない」と言っていた。
であれば問題ないのでは?と思ったのだが、そうもいかず、「たまに誰かの体を感じないと、不安で仕方がない」のだそうだ。それは性欲とは違うらしい。

浩輔と沙和が訥々と語る二人の悩みをどちらも神妙な顔で聞き続けた俺が、まさか「センパイにならお願いできるかもしれない」と後に異口同音で頼まれるなんて当時想像する術もなく。

「こんなのは、絶対におかしいだろう」と
思いながらも、真っ青な沙和がそばにいると、やはり心配になって体を重ねてしまう。本当に死んでしまうんじゃないか。そう思う。

介護の現場で死にゆく老人たちを見守る俺からは、まだ若い命が目の前で散っていくなんて耐えられない。
沙和を引き止めたい。沙和を引き止めたい浩輔もまた、大切な後輩だ。生きていてほしい。
真っ直ぐで、俺の50倍くらい勤勉で、可愛らしい君たちの人生から、苦痛が少しでも取り除かれるなら、俺の体の1つや2つがなんだろうと。

そう思うのは、おかしいことだろうか。

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