[小説]つわり代替サービス
「今日からよろしくお願いします」
私のベッドのそばに座る"旦那さん"が、深々と頭を下げた。洒落っ気はないが美容室に行ったばかりと言うように小ざっぱりとした短髪で、これまた洒落っ気のない、「とりあえず」みたいな感じのメタルフレームのメガネをかけている。
医療用のマッチングサービスでマッチした"旦那さん"だ。人によっては依頼者と会うことを避けている人もいるが、私は深々と感謝されるこの時間が嫌いではないため、相手が希望してきた場合は基本的に会うことにしている。
「はい、よろしくお願いします」
角度を変えられるベッドで上半身だけ起こしている私は、首から上だけでおじぎした。これからは看護師が1日に2〜3回、医師が2〜3日に1回様子を見にくる日々だ。街中にある病院は綺麗でサービスも良く、不快な思いをしたことがない。
「何か必要なものがあればおっしゃってくださいね」
沈痛な面持ちで"旦那さん"は私を思いやった。つわりを肩代わりさせるのが心苦しいのだろう。つわり代替サービスを利用する人たちはその用途の予想に反して、礼儀正しく、小綺麗で、気遣い力がある。サービス自体は保険適用外で高額らしいから、家計に余裕のある人しか頼めないということも少なからず影響しているだろう。興味のない私にとってはピンとこないが、世間的にはラグジュアリーなサービスのようだ。
「いつも軽い方だから、大丈夫ですよ」
笑い慣れていない私は、にちゃあ…という効果音がふさわしいかもしれないくらいのぎこちない笑顔を作った。実際、相性もあるのだろうが私はいつも症状が軽い。今日もつい先日つわり用のホルモンを投与されたばかりだが、歩くとうっすら気持ち悪いくらいで、一日中寝転がっている分には平気なのだった。
人によっては初日から吐いたり、気持ち悪くて少しも起き上がれないこともあるというのだから、ずいぶんラッキーなことである。
社会人としての生活に全く馴染めず途方に暮れていた私としては、これだけで最低限一人暮らしができる収入を得られるのはありがたい。
「また来週に伺わせてもらいますね」
雑談と言えるほどでもない、宙に浮いた言葉を何度か交わしたあと、"旦那さん"はそう言って病室を去っていった。
1週間。その間に抗体的なものが私に生まれ、その血清を妊婦に注入するとつわりがほぼ無くなるらしい。詳しい説明を何度か受けたが、すっかり忘れてしまったので、漠然と理解している。実際にはもう少し色々違うのかもしれないが、私はお金が稼げればいいだけなので、詳しいことはどうでも良いのであった。
人の気配が無くなったので、私はベッドのそばに置いてあるSwitchを手にとって、マインクラフトを起動した。今日は採掘のための拠点の建物を作りたい。いつも参考にしているYouTuberのチャンネルをスマホで流す。
ああ、ワクワクする。
* * *
「どうもありがとうございました」
化粧っ気はないがこれまた小ざっぱりしたボブの"奥さん"が頭を下げた。無意識なのか有意識なのかお腹を軽く抑えており、そこにはまだ見ぬ胎児がいるのだろう。
「おかげさまで、つわりが酷すぎてお医者さんから入院を勧められてたくらいだったのですが、仕事も続けられそうです」
ニコッと、綺麗に整った歯がちらりと見える爽やかな笑顔で"奥さん"が笑った。そのあと「入院」というワードで、私自身がまだ「入院」しつづけていることに思い当たり、「あっ」と小さい声を漏らし、しゅんと落ち込む。
「ごめんなさい…。でも、みきぽんさんならきっとご自分で妊娠した時は、つわりが軽く済むのでしょうね。こんなに何度も苦しい思いをされてるくらいですから」
"奥さん"はつわり代替サービスの私の登録名を呼び、「これで繕えた」というような顔で、また綺麗な歯並びを見せてニコッと笑った。
「いえ、私は子どもは産みませんので」
笑顔があまりにも爽やかだったので、咄嗟に本音が口をついて出てしまった。"奥さん"がギョッとして、「あっ」と吐息をもらす。自分の規範とせめぎ合う人が吐く息の苦しそうな感じ。それと私は関係ないので、ベッドの上からぼんやりと眺めていた。
「もうそろそろ時間じゃないか?」
空白を破るように、"旦那さん“が短いノックのあと、病室のドアを開けて入ってきた。「助けがきた」と言わんばかりに"奥さん"は「あ、そうだったね」といそいそとバッグを取って立ち上がる。
「じゃあ…本当にありがとうございました」
気まずい時間だっただろうに、"奥さん"は"旦那さん"と一緒にまた深々と頭を下げた。「あ…はい」とまた私はぎこちない笑顔を作って見送った。
人の気配がしなくなったので、またSwitchを手に取ってマインクラフトを起動する。いつも見ているYouTuberの動画を流…そうとして、ふと気になって検索ワードを入力した。
≪子どもほしくない なんで≫
ありとあらゆるページがヒットした。
「『子どもほしくない』Z世代の約5割」
「韓国の出生率は0.72」
「母親になって後悔してる」
二つ、三つくらいの記事を読んで、「そんなもんだよな」と満足して閉じた。「なんで」とわざわざ説明したり考える必要がないくらい、私にとっては当たり前で自然な感情だった。なんで。が、なんで?…とまでは言わないだけの社会性はあるが。
スッスッとスワイプして検索画面を閉じて、またYouTuberのチャンネルへ移動した。あ!今日、LIVE配信している!!
画面を遷移する1秒も惜しいくらいの気持ちでLIVE画面を開いた。経緯はさっぱり分からないけど、平原を馬に乗って移動しているのが見える。幸いにもLIVEは始まって数分しか経っていないようで、あと何時間かは見られるようだった。LIVEが珍しい人なだけに、さぁっと心の中に彩りが生まれる。
ああ、嬉しいな。