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推しには調子に乗ってもらいたいもんや。 〜誰かを推したいけどしんどい人へ


《推し》って言葉が流行ってずいぶん経つ。


あたいもここ2、3年でようやく使い始めたが、昔はAKBとかのアイドルグループが好きな人達からしか聞かなかったニッチな言葉だった。

たしか、あの手のアイドルグループでは、毎年行われるファンからの人気投票により、メディア露出の多いセンターや人気上位の選抜メンバーが確定していく。

なので、ファンの人たちは応援している子を《推しメンバー》と呼び、そのメンバーを上位に押し上げたくていろいろと奮闘していたようだ。当時はアイドルグループ含め人気投票の行事ごとまでが社会現象になっていた。

その推しメンバーこと《推しメン》が《推し》の語源だと聞いている。


そんな風に、推しとは応援したい人や物事のことで、主にファンが支持している対象のことを指して使う言葉だ。


ちなみにあたいの推しは英国俳優のコリンファース(61さい)

英国紳士総選挙でも一位になるほど人気のあるオジだ。
みんなも是非コリンの出演している映画を観てほしい。
「英国王のスピーチ」や「シングルマン」に「キングスマン」など、イギリスが舞台の有名映画で主役を張っているすごい役者さんで、演技力もさることながら、高貴な役柄を演じるに値するハイソな佇まいのうえに、どこかお茶目で可愛らしいベビーフェイスが特徴で、年齢性別問わずこちらの母性をくすぐってくる存在なのだ。ちなみにあたいはコリンの写真を1600枚以上スマホに入れているぞ。



しかし考えてみると、今やもう《推し》って言葉は一般に広く使われ、ファン活動専門の用語でも無くなっているような気もする。

最近ではファッション誌やインスタでも、街角のポップやフライヤーにも推しって文字を見かける。ノリ的には店員や店側からのオススメくらいの使われ方で、言葉自体が市民権を得たのと同時に、推しの定義も拡大したのかもしれない。


それに例えば、一口に推しと言っても、推しを誰にも教えずにひっそりと推す人もいれば、推しの人物と恋愛関係にまで発展したいと望む人もいるし、推しが生活の糧や心の支え、はたまたそれらを超えて信仰や生き甲斐になる人も、あるいは何となく推してるけど、そこまで好きでもないし何かを懸けていないっていうような気軽な人もいる。

つまりは、今使われている推しって言葉は、人によっては程度も意味も異なるが、とりあえず《自分の好きな人や物》だったり《推薦・オススメできるもの》っていう感じの理解であたいは済ませてる。

好きの深度や好きな相手との繋がり方も人それぞれなのだから、推しも同じくらい人それぞれの向き合い方や付き合い方がある。
そういう風に色んな人の立場や、目線や、信条が内包された顔の広い言葉が推しなんだろう。
ざっくり言えば《ヤバい》とか《マジ神》とかと一緒。
意味合いがふんわりした便利な言葉やね。


だけど、ひとつ定義を挙げるなら、たぶん推しって言葉は家族や恋人、血縁上の関係や身内の好きな人にはあんまり使わない。

自分からは遠い立ち位置にいて、片想いにも近い一方通行の感情を向けている相手のことを推しと言うんだと思う。


それはつまり、関わりようがなく、自分の手の届かない場所にいる人だったり。
あるいはファンであるこちらを決して個人的に見ることもないプロに徹している人だったり。
画面やステージや本の先のような、向こう側にいる人だったり。
ライブや講演会、握手会やパーティー、サイン会やトークショーのような、会いにいける場所が限られて、なおかつお金を払って会いに行くーーその行為が応援に繋がるような存在の人だったり。

そういう人やコンテンツに対して、背中を押すような感覚で応援したり、その偶像に焦がれたりすることが多くの人にとっての推しなんじゃないかな、とあたいは見てて思うのだ。

じゃないと、身近な人間に推しという感覚でいるのは、ある意味無責任で、独りよがりな、相互的な関係じゃなくなってしまうから。

だって、自身の子どもをいくら愛してても、推しだと言って自分の一方的な期待を込めたりすることも、
恋人を推しだと言って嫌なところに目を向けずに神格化することも、
友達に活動や夢を応援すると言ってただお金だけを注ぎ込むことも、
身内や、組織内の同胞を溺愛しすぎて贔屓目と擁護を繰り返すことも、
一見深い愛のようで一方的な依存と、相手を腐すただの毒になる。


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