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飾りのないティータイム

大学図書館を出て、すぐ右へ。ケヤキの並木道を歩いて行った先に、地元の人も訪れる中庭がある。3限目から4限目の間、彼女はいつも、木かげのベンチに座っている。

僕が彼女の存在に気づいたのは、ほんの数週間ほど前だった。シックな色合いの保温水筒から、上品そうなカップに紅茶を注ぐ姿。それを静かに傾ける優雅な仕草。映画の1シーンを切り抜いたような美しさに、僕はすっかり見惚れてしまった。

それからというもの、僕が図書館で借りる本は、専攻の工学本から、『紅茶史』だとか『世界の紅茶辞典』『紅茶、正しい淹れ方』に様変わり。彼女と話をしてみたい。「僕も紅茶が好きです」とカッコ良く言いたい。そのための知識を得ようと、僕は必死になっていた。

そして今日も、僕は曇り空の下、中庭への道を歩いていた。そして件の木が見えたとき、気づいた。いつもの位置に、彼女がいない。

(あれっ?)

風邪かな? いや、怪我とかかも。もしかして、彼氏とデートとか……一瞬にして嫌な想像が巡る。だが、その不安はやはり一瞬でかき消えた。悩む僕の隣を、彼女が息を切らせて走り過ぎたのだから。

(なんだ、遅れただけか)

ホッと胸をなでおろす。彼女はいつものように、バッグから水筒を……

(あれっ?)

違う。あれはいつもの水筒ではない。ペットボトルだ。それも。

午後ティーだ。


僕はよろめいた。

そして、水滴の浮かぶペットボトルに口を付け、ゴクゴクと飲んだ。


僕はめまいがした。

美しく優雅なティータイム。そんな身勝手な空想がこなごなに打ち砕かれ、CMでよく見るような、ありふれた美しさに取って代わられていた。

わけのわからない衝動に駆られ、僕はその場から逃げ出した。

◆ ◆ ◆

気づけば、下宿先に帰ってきていた。手にはコンビニの袋。机の上の『紅茶辞典』をベッドの上に放り出す。空いたスペースにドサリと袋を置き、中身を取り出した。無糖の午後ティーと、チョコクッキーだ。

勉強で詰まった時、僕はいつも甘いものと紅茶を飲む。でも最近は、安っぽいものを飲むと、彼女との距離がますます空いてしまう気がして、飲んでいなかった。

頭はまだ少しボーッとしていた。無意識的に買ってしまったのだろう。そして僕は……少しだけ迷うと、クッキーの袋を開けた。

(……いただきます)

チョコクッキーを一口齧る。サックリした、ほろ苦い生地に、硬くて甘いチョコチップが心地いい。それから紅茶を飲む。爽やかな冷たさ。口の中に残っていた甘さが押し流され、凛とした紅茶の香りが残る。

僕は思わず、ため息をついた。この幸せ、何週間ぶりだろう。何を思って、僕はここから遠ざかっていたんだろう?

クッキーを食べ終えた頃には、僕はすっかり落ち着いていた。……そして、あんなに僕を悩ませていた紅茶という存在が、ひどく身近に帰ってきたような気がしていた。

(ああ、そうだ)

好きって、こういうことだったんだ。

◆ ◆ ◆

翌日の、3限目と4限目の間。雲のすき間から、陽の光が差し込んできている。僕は購買の袋を下げて、中庭に向かう。彼女はいつものように、そこにいた。心臓が高鳴った。僕は意を決して、声を掛けた。

「あの……紅茶、お好きなんですか?」

彼女は少し驚いたように僕を見返し、それからニッコリと笑った。

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。