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サイコロシアン・ルーレット #9

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皮肉屋だった同僚の雰囲気が変わったのを、シンシアは鋭敏に感じ取っていた。彼女は怯え、口を挟めなかった。やがてドレッドは吐き捨てるように言った。

「……馬鹿言っちゃ困るぜ。連中が俺らの味方なもんかよ」

彼の瞳には不穏な怒りがふつふつと燃えている。タグチは慌てて2人の間に入った。

「あー、あー、うん。お前の言いたいことも分かる。大変だったもんな」

彼はドレッドに『抑えろ』と身振りで示しながら、シンシアの方を向いて言った。

「ごめんな、ドレッドの兄貴はファミリーの連中のせいで……」

「ちげえよ。兄貴が死んだのは連中のせいじゃねえ」

「え?」

タグチは素で聞き返した。ドレッドは述懐する。

「クソドラッグに手を出して、結局死んだのは兄貴の自業自得だ。そのことはいい。だがな、俺はその後が許せねえんだ」

「どういうこと……ですか?」

シンシアはおずおずと尋ねた。ドレッドの怒りを彼女はひしと感じている。だが恐怖を抑え込んででも、それを聞かずにはいられなかったのだ。

「……チッ。お前、何にも知らねえんだな。いいか、連中」

瞬間、ドレッドの口が手で覆われる。タグチだ。彼は指先で会合の間を示した。

「落ち着けドレッド。……俺が話す。ここで怒鳴り声なんか上げてみろ、間違いなく見咎められるぞ」

「……」

ドレッドは不遜に頷いて同意を示した。

「ありがとう」

タグチは安堵の笑いを向けた。シンシアは黙って彼に一礼した。クアドンの住民は、ゆっくりと語り始めた。

「……数年前まで、この町は平和だった。少なくとも表面上はね。でも今は違う」

タグチは遠いところを見るような目をした。

「ブルーオーシャン。今、中でドンパチやってる組織の名前じゃない。同じ名前のドラッグだ。奴らがそれを持ち込んで、クアドンで売り捌き始めたんだ」

「ドラッグ……」

「都会じゃ当たり前にあるみたいだけど、この町には無かった。ファミリーが取り締まってたからね。だから当然、ファミリーも黙っちゃいなかった。売人を見つけ出して……いや、詳しくは止そう。密売を止めさせたし、使用者を見つけては無理やりドラッグを抜いた。猿轡を噛ませて縛り上げ、禁断症状と戦わせてね。……当然、地獄の苦しみさ」

タグチの胸に遠い日の記憶が去来する。隣の部屋から聞こえてきた呻き声。数日が明けたのちに見た、隣人のげっそりと痩せ、落ち窪んだ形相。だがその恐怖が彼にドラッグの誘惑を断ち切らせた。

「……ドレッドの兄貴もそれで死んだ。でも、それでも汚染は止まらなかった」

「なぜ……?」

「若者も、中年も、老人も。みんな鬱屈としてた。いつまでも続く憂鬱な気分をブッ飛ばしてくれる何かが欲しかった。ブルーオーシャンはそんな気持ちに誰よりも的確に答えた。イジメよりも後腐れなくて、酒みたいに悪酔いしない。薬が効いてる間は天国にいられる」

タグチはドラッグを勧める同僚の姿を思い起こす。ヘラヘラとだらしなく笑う、堅物だった男の姿を。翌日会った時、彼は元どおりになっていた。それがたまらなく怖かった。

「それに手を伸ばすのが、ギロチン台に手を差し込むようなことであっても、みんな躊躇しなかった。やがて中毒者が増えてくると、組織は一斉にドラッグを値上げした。禁断症状の恐怖をネタに金を搾り取りに来たんだ」

「……そして奴らは裏切った」

ドレッドがポツリと呟いた。タグチは振り返る。

「ドレッド……」

「安心しろ。ちったあ落ち着いたさ。ファミリーの連中は、ブルーオーシャンの汚染を止めるために海賊版を売り出したんだ」

「海賊版?」

「組成がどうとか言ってたが……俺には仕組みは分かんねえ。ま、要するに劣化版さ。幸福感こそ薄いが、安い値段でブルーオーシャンの禁断症状から逃れられる。これを売り捌いて連中の資金源を断とうってな」

「禁煙剤のようなもの……ですか?」

シンシアはなるべく穏当に例えた。ドレッドは苦々しげに答える。

「ああ、そうさ。クアドンが金づるにならなくなれば、連中は勝手に逃げていく。そうなれば劣化版の供給を断ち、じきにクアドンは元の町に戻る……ラルフの野郎はそう言った。だが結果はどうだよ?」

拳を握りしめる。爪が立ち、血が滲むほどに。兄を奪われた男は声を震わせる。

「海賊版で禁断症状はごまかせても、脳にこびりついた快感は消えねえ。時が経ち、金が貯まってくれば、またブルーオーシャンを買い始める。今やクアドンの大部分がどちらかのドラッグの常用者で、税金みたいにギャングどもに金を払ってる。……これで汚染が止まったって言えるか? 解決したのか? ……兄貴を殺してまで進めた根絶策は……!」

「ドレッド!」

タグチが思わず叫んだ。そこまでだ。彼はそう続けようとして、己の声量に気づいた。

「おい、馬鹿……」

ドレッドが毒づいた。だが責めはしなかった。すぐに会合の間から短い金髪の偉丈夫が現れた。彼は後ろ手にドアを閉め、険しい顔で3人に尋ねた。

「……どうかしたのか?」

「い、いや、何でもないですよ。ちょっと転びそうになっただけで……」

「ええ。アンタには関係ないことですよ、ラルフさん」

タグチは愛想笑いした。ドレッドはまるで嫌悪を隠さずに言った。

「……ラルフ」

シンシアはその男を見上げた。ドレッドが、怒りと共にその名を口にした男を。彼は少しの間、辺りを警戒し、室内に「大丈夫だ」と一言告げ、ようやく彼女の方を向いた。2人の視線が一瞬交差した。男は彼女を指で示し、顔見知りの2人に尋ねた。

「……この子は? さっきも見たが、前からはいなかったよな。新しい従業員か?」

「へ、へえ。ジェシカ婆さんとこの姪っ子さんで。休学して見識を広めに……」

「つまり帰るのか? この場所のことを知って?」

ラルフの眼光が鋭く光った。

「えっ! あ、あ、いや、その……」

タグチは蒼白になった。フォローするつもりが、とんだ墓穴を……! だがそんな彼の横からシンシアが口を挟んだ。

「口外しません」

「口約束じゃあな」

ラルフは威圧的に詰め寄った。シンシアは物怖じしなかった。彼女は扉が閉まっていることを確かめると、声を潜めて言った。

「保証があります。……タリエイ・ゴルデルの」

「……なんだって?」

ラルフは静かに問うた。タグチとドレッドが息を呑む音が聞こえた。

「本気だな? もし嘘だと分かれば……」

「ええ、分かっています」

シンシアは厳かに言った。その声色には強い意思が宿っていた。ラルフは何かを言おうとし……やがて引き下がり、会合の間へと戻って行った。

「シンシアちゃん、君はいったい……」

タグチは彼女の変化に戸惑い、尋ねようとした。シンシアは小さく首を振った。

「仕事はまだ続きます。……話はその後にしましょう」

短いやり取りは一方的に打ち切られる。ドレッドは無言だった。表面上の冷静を繕いながらも、彼は激情を込めた瞳をもう1人の裏切り者へ向けていた。

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。