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サイコロシアン・ルーレット #2

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クアドンの町に行くには絶対に欠かせないものがある。行きの退屈しのぎと帰りの退屈しのぎ。それから滞在中の退屈しのぎだ。このジョークは他州のものの考案ではなく、クアドン出身者が自嘲げに口にするものだ。そしてこれは彼らの故郷を実に端的に表している。

クアドンには大抵のものがあり、カンザスの片田舎とは思えないほど様々なものが揃っている。だが特筆すべきものは何もないし、物が揃っていると言っても都会には及ばない。サービスの質も可もなく不可もなく、コミュニケーションは濃密で、些細な失言が思いがけない人物からの叱咤につながる。住民の新陳代謝は止まり、町会の顔ぶれは年々老けていく一方。

そんなクアドンにも、数こそ少ないが若者はいる。出ていく機会を逃した連中と、地縁に縛られた連中が。彼らは泥のような下働きをしながら、上の連中が体調を崩すのを待つばかり。なにせ、この町で上にのぼる手段はそれしかないのだから。

淀んだ反復作業の中で、何も成せないまま若さを失っていく日々。そんな日々を疎み、彼らは夜な夜な集まり、決まって翌日に差し支えない程度の酒を飲む。もっと危険なモノに手を伸ばしたい時もあるが、合法違法を問わず、この町でドラッグは手に入らないのだ。

鬱屈した不満を呪詛に変え、世を呪う姿。それは彼らより少しだけ歳を経た層のささやかな娯楽でもある。彼らもまた、同じ惨めさを味わい続けてきたのだから。そしてそんな若者たちも、やがて彼らと同じく嘲笑の蜜の味を覚える……クアドンでは、そんなありふれた惨めな日々が繰り返されてきた。

……ほんの数年前までは。


◆ ◆ ◆


日が高く輝き、緑を失いつつある町並みを明るく照らす。地上にはいたるところに冷たい風が流れ、枯れ枝に残ったわずかな葉すらも拭い去っていく。

エンリア・ストリートは一見すれば他と何ら変わりない住宅が並ぶストリートだ。だが住民は、祟り神のようにその名を口に出すことを恐れ、子供すらそこには決して近づこうとしない。だが今、黒いジャケットを着込んだ若い男が、車道の真ん中を息を切らせて走っていた。彼の名はキム。

「ヤ、バい、急げ、急げ……!」

白い息とともに独り言を吐き出す。彼に集合場所として伝えられたのは『エンリア・ストリートの赤い屋根』。該当するのは4軒。既に回ったのは3軒。全部ハズレだった。30分の余裕があったはずの集合時刻まで、あと2分。額ににじむ大量の汗は疲労によるものだけではない。

「赤い屋根、赤い、屋根!」

餓えた獣のように視線を走らせる。白い壁。青い屋根。緑の屋根。その奥に藍。赤。青。

(あった!)

キムはためらいなく緑の屋根の敷地に飛び込み、最短コースをひた走った。どうせこの区画は無人だ。車道を垂直に横断し、赤い屋根の玄関へと飛び込んだ。

「ハァー……!」

キムは胸を撫で下ろした。先客の靴が3足。時刻まであと1分。ギリギリだが、間に合った。彼はハンカチで滅茶苦茶に汗を拭い、荒い呼吸を僅かばかり整え、ゆっくりとリビングへの扉を開いた。

「おはようございま……」

「遅刻だよ、キム」

えっ。その言葉すら出ず、ドアノブに手を掛けたまま口をパクパクさせる。眼前の中年女性は威圧的に腕を組み、責めるような目でキムを見上げていた。彼女は親指を後ろに傾け、リビングの掛け時計を指差した。

「10分遅刻だ。時間を守るのは最低限の礼儀だって、いつも言ってたつもりなんだけどね」

「い、いや、それはその……」

アイシャ姐さんの指示が曖昧だったからです。キムはその言葉を飲み込んだ。集合場所は念のため直前に知らせる、彼女はそう言っていた。が、知らせが届いたのは集合時刻の1時間前で、しかも場所は特定すら不可能だったのだ。

「その、なんだい?」

アイシャは詰め寄った。ほつれた銀髪が顔の前で揺れた。キムはたじろいだ。

「それは……」

「10分だ」

割って入った声に、2人は同時に声の方向を見た。スキンヘッドの初老の男が掛け時計を指差した。

「この時計は10分遅れている。キムは間に合ったんだ。……ギリギリだがな」

「ヴィーコ兄さん? ……なんで誰も直さなかったんですか」

「直せと言っても直さなかった馬鹿がいたからな」

ヴィーコは抜けた後輩を白い目で見た。彼女は真顔で答えた。

「一体誰ですか、その馬鹿は」

……指先で額を抑え、ため息を吐く。

「ああ、もういい。今直せ。お前がだ」

「はぁ、分かりました……あー、キム。遅刻はしてなかったみたいだね、うん」

彼女は笑いながら詫びた。キムは目をぱちくりさせる。先輩は取り繕うように言った。

「だがアンタは一番若いんだ。一番に来てやる気見せるくらいじゃないと、そもそも駄目」

「はあ」

「次からは気をつけるんだよ。じゃ、アタシは重要任務があるから」

何食わぬ顔で掛け時計へ歩いていくアイシャを、キムは呆然と見送った。ヴィーコは肩を竦める。

「……変わらんな、アイツは」

「あ、えっと……」

キムは適切な返答を探ろうとする。ヴィーコは目を開き、彼に言った。

「いや、独り言だ。気にするな」

「は、はい」

キムは安堵し、座る場所を探そうと室内を見渡す。大きなテーブル。ヴィーコが新聞を読んでいる。尊敬できる人だが、怖くて気まずいので避ける。2人用のソファには、ウサギのマスコット付きのカバン。アイシャのものだ。気さくで話しやすいが、先の通りの性格だ。これも避ける。なら、残りは……

「キ、キムくん。こっちの席は空いてるよ」

後ろからのどもりがちな声に、キムは振り返った。大型テレビの前のカウチソファ。そこに腰掛けた中年男性が手を上げて挨拶した。

「エリック兄さん?」

いたのか。キムはその言葉を飲み込んだ。

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。