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政権をとる気がないことがよくわかるなあ ~ 入管法修正案拒否について

政治に関する話題はあまり取り上げないことにしようと思っているのだけれども、一作日(4月28日)、衆議院の法務委員会で入管法の改正案が可決された際のニュース記事を見ていて、立憲民主党の判断があまりにもひどいと思ったので、一言だけ述べたい。「難民認定を判断する「第三者機関」の設置検討を付則に記す」という与党提示の修正案を立民が党として受け入れなかったのは最低に愚かな判断だということである。

今回の入管法改正案は、全体としては現状の課題解決に向けたものとしては、それなりによくできていると思う。争点になっているスリーストライク制の議論の焦点は、「本来保護されるべき者」がこの規定によって強制送還されてしまうことの危険性が払しょくできないという点にあるのだが、これは「保護されるべき難民とは?」ということについて、関係者間で明確な概念共有ができていないということが根本にある。要は、「日本政府の認める難民の範囲」と「(支援団体などが求める)本来難民として認められるべきいわゆる「国際水準」の範囲」との乖離の問題である。
(さらには、これまでの入管実務、入管行政に対する批判、不信感も背景にあると思われるが、制度論とは違う要素なのでここでは横に置いておく)
このような乖離が生じる背景には、単純には説明できない様々な社会的要因があり、簡単に埋まるものではないのだが、それを埋めようとする努力を不断に続けていくことは重要。例えば、よく指摘される入管庁がかなり広範囲の行政裁量を有しているにもかかわらず、その依拠する処が明確でないという点については、例えば、今年3月に入管庁が、「難民該当性判断の手引」を策定したのは一歩前進だと思う。
今回の入管法改正の修正協議でも「第三者機関の設置」の「検討」では、結局は有耶無耶にされかねないという面もあろうし、政府としては「設置したくない」ので有耶無耶にしようという動きになることは十分想定されるが、だからといって拒否すれば、何ら得るところがないだけで終わるというのは小学生でもわかること。「責任野党?」として行うべきことは「検討」ということばを手掛かりに、それを実現に結び付けていくように継続的に取り組んでいくことではないのか。もし、報道にあるように「不十分」とか「支援団体に顔向けできない」などの声に押されて反対になったということであれば、結局、現在いる(そして年を追うごとに減りつつある)「味方」にむけた面子だけ考えて、当事者である難民のことなど何も考えていないというに等しい。まあ、将来政権を担うなどということを誰も本気で考えていないのであろう。
維新、国民の「難民認定職員の研修規定の創設」はプラス1点かもしれないが、零点よりははるかに良い。「第三者機関の設置の検討」もプラス1点かもしれないが、こちらは将来プラス10点、20点になる可能性もあったチャンスなのに本当にもったいなかったと思う。

少し偉そうに書いたが、私自身は、難民問題に詳しいわけでも自分が何か行動しているわけでもなく、ただ、今回の立民の振る舞いが日本の「リベラル」勢力の悪い部分の典型だなと感じたので一文書きたくなった次第。
なお、本件については、NPO法人Welgee代表の渡部カンコロンゴ清花さんが、入管法改正案について反対の立場から論じている3月時点でのnoteの記事「入管法改正、これは命の問題だ。難民当事者と向き合ってきた視点からの大きな懸念とは?」を紹介しておきたい。結論を異にするところはあるが、この記事自体は、必要かつバランスの取れた情報を提供しつつ、問題の所在と自己の主張を冷静に述べられているもので非常に優れたもの。建設的な議論とはこういうトーンで行われるべきものとの印象を持つ。一読をお勧めしたい。

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