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時間、お金、エネルギー、どう使うかはどう生きるか

今朝は目覚ましを使わずに
起きたくなったら起きようと決めていた。

ちょっと前は家事だけをして暮らしていたから
本当に時間の使い方が自由で
自分のこころやからだの声を聞く練習を強化していたのもあって
朝早く起きることがすごく少なくなっていて
そうなるとそのルーティーンにからだが慣れて早起きが苦手なのかなと感じていた。(特に寒い季節はいつまでもぬくぬくしていたい)

でも少し前からいよいよ行動したい!と想いが募って
手を差し伸べてくれる人も現れて
わたしは少しづつ社会の中で仕事をするということを始めた。

そのひとつのオンラインクラスの運営のお仕事はいろんな時間帯が選べるけれど
わたしは朝一がお気に入り。

起きる時はつらかったりもするけど
起きてしまえば早起きの心地良さや、
その日の充実感を味わえて
それを何度か繰り返すうちにからだも慣れてきたのか目覚ましをかけない日の起床時間も少し早くなった。


さて、今日書きたいと思ったこと。
うろ覚えなので間違ってる部分もあるかもだけど

山本キッドさんとダルビッシュさんのお話。
山本キッドさんが治療されてる時に義理の弟?兄?であるダルビッシュさんが
金銭的に援助をしたんだったかな?
そのことに対して彼が言っていたことが
わたしの胸に響いて、今も大切に時々思い出す考え方なの。

自分にとってお金というのは自分の命を削って(時間は命だから)得たものだから
つまり自分の大切な命そのものであって、
その大切な命を渡したいと思うほど、彼は自分にとって大切な存在だ。

表現とか全然違っちゃってると思うけど
内容としてはこんな感じのことだったと思うんだけど。。

たまにこの言葉を思い出して
自分に問いかけたいと思ってるんだよね。

命が限りあるものだと知っているからこそ
そしてそのことにありがたいと感じたり
真剣に命と、じぶんと向き合っていたいと思うからこそ

じゃあその命の時間をどう使うか?に真剣になる。
だからって常にシリアスに生きるということじゃなくて

だからこそのんびりする時間を大切にしたり(わたしにとって大切だから)
じぶんを愛してあげて、じぶんが喜ぶ時間を増やしてあげたり
じぶんのエネルギーをどこに、誰に、注ぐのかを真剣に考えたり
お金を何に使うのか、誰に循環したいのか、意識する。

泣きたい時は思いっきり泣かせてあげたいし
嬉しい時は叫んだっていい。騒いだっていい。
歌ってもいいし、踊ってもいいし、沈黙の中でじっとしていてもいい。

どの瞬間も人生は美しいのだから。
そのことを目の当たりにしてきたから。

誰か、は関係ない。
わたし、がどう生きたいか。
ただそれだけなんだろうね。

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