映画感想/『ぼくたちの哲学教室』
哲学とは、
相手の想いを受け入れて
自分の想いを言葉で示すこと
それが私がこの映画で感じたことです。
実際の小学校で行われている「哲学」教育を映したドキュメンタリー。
場所は、北アイルランドのベルファスト。
ケネス・ブラナー監督の映画『ベルファスト』の印象が記憶に新しい。
「哲学」の教室では、まず、一つの問い、
例えば「不安とは何かな?」と先生から子供たちへ問いかける。
それに対して教室内の子供たちは、手を挙げ、答える。
「プレッシャーみたいなもの」「緊張すること」「気持ちの一種」「未来におこる何かに対して抱く恐怖心」
こうやっって子供たち自身で答えを導き出していく。
「言葉」を使って。
低学年への授業では、
∧
上のように描いたものを見せて、
「何に見える?」と問う。
「三角」「とんがり」「やじるし」「サメ」
先生は「同じものを見ていても、みんな違うように感じるんだね」とその状況を整理して示す。
授業外で起きた問題も、対話で解決する。
AとBの間でケンカが起これば、
当人たちに「なぜそんなことが起こったのか」を「言葉」で語らせる。そして先生は決して子供たちの言葉を否定しない。
先生「友だちとはどんな人?」
A「とても大事な人」
先生「Bは君のとても大事な人?」
A「それほどでもない」
先生「ではAは友だちか?」
B「友だちじゃない」
こんな答えを言ってもいい。
こんな答えを言っても先生は怒らない。
けれども争い憎しみあうことを防ぐために、思考的な解決へのヒントを差し示していく。
一人で悩みを抱えている子がいる。
先生は、まず悩みを打ち明けてくれたことに「ありがとう」の言葉をかける。
何が辛いのか一緒に考えてみよう、とリストアップしていく。
「何が辛い?」「ぜんぶ」「ではそのなかで一番辛いことは?」
心配する他の先生が、時々この2人がいる部屋を訪ねてくる。
「ほら、みんなあなたのことを心配して来てくれる。あなたはみんなから愛されているね」
学校外で生徒が万引きをした。制服を着ていたので学校に連絡が入った。
先生は、万引きをした子と対話する。
ホワイトボードを使って、なぜそんなことをしてしまったのか、どう感じているのかを、言葉で文字にして書きながら、思考を一緒に整理していく。
私は、子供だからこそ、この授業ができるのだと深く感心した。
大人になると、こんな本質的な問いをされても、綺麗事を言ってごまかしてしまう。あるいは「不正解」と思われることが怖くて発言できないかもしれない。はたまた全く答えを考え出すことすらできないかもしれない。
小学生という時期にこの経験を積んだ生徒たちは、きっと強い。
正直、当人たちからすると説教くさく感じ、反発したくなることも多いだろう。
けれど無理やりにでも「本当に感じたままを言葉にする癖」を付けさせられる、というのはとても貴重な経験だと思う。
そして、どんな言葉だろうと、それを一旦受け入れてくれる大人がいるというのは、本当にとてもとても貴重だ。
この映画を観ながら、
私は、道徳の授業や、ディベートの授業を思い出していた。
あれらが意味あるものだったかどうかは、正直よく分からないが、
この映画でみた「哲学」の授業と違ったのは、
「何か正解がある」というような錯覚を持たされてしまったことかもしれない。
「正しいことを言わないといけない」という空気感がすでに漂っていた気がする。
大人になった今でも、世間で問題となったことなどに対して、「それは間違っているのでは」というような「正誤」の視点で見てしまうことが多い。
実際、正誤の観点から語る大人が多い。
自分と違う意見を持つ人に対して、意見が違うというだけで、その人格そのものを否定的に捉えてしまうこともある。
相手の意見を聞き入れず、頭ごなしに否定してしまう自分もいる。
そんなことを考えながら、上映時間の約2時間、涙が止まらなかった。
------
監督:ナーサ・ニ・キアナン、デクラン・マッグラ
出演:ケヴィン・マカリーヴィーとホーリークロス男子小学校の子どもたち