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ママが伝えたいこと。ミモザの日におめでとう。

「ユウタ、今頃なにしてるかな。」

きっとまだベッドの中で気持ちよさそうにぐうぐう寝てるんだろうな。
ユウタの寝顔を想像していとおしくなる。

茶褐色の土埃の道、目の前には地平線。
鮮やかなグリーンの草原の中を車を走らせながらユウタのことを考えていた。

ワンルームマンションの狭いキッチンで長い髪の女性が
朝食の準備をしている。
窓から降り注ぐ朝日が小さなローテーブルに置かれた
コーヒーに反射して、きらきらと輝いている。
ユウタは、のろのろとベッドから出て
伸びをしながら、おはよっと声をかける。

あーダメダメ。頭を思い切り振って、妄想を振り切る。
今日は同僚の麻衣と夕飯を食べる約束だ。「楽しみだな。」
チリチリとした痛みを胸に感じながら、声に出して言ってみる。

ここはウガンダ北部、南スーダンの国境付近の町アルア県にある難民キャンプ。2016年に南スーダンで発生した武力衝突以降、ウガンダに逃れてきた難民は80万人以上。このキャンプにも28万人ほどの難民が暮らしている。

ウガンダ首都近くで小学校教諭をしている彼女は休日、ここでボランティア活動をしている。
普段はチャイルドフレンドリースペースという、いわゆる児童館のような施設に居て子供たちの教育支援や生活支援、カウンセリングに当たっているのだ。

この施設に足を運べる子供はまだ恵まれている。貧しくとも父親が道路整備や潅水設備工事、農作業などで一定の収入があり、キャンプ内の小学校や中学校に通う子供たちだ。彼女は小石でおはじき、蔓であやとり、アボカドの種でお手玉とそこにある道具で遊びを作るのが得意で彼女の周りにはいつだって子供たちがいっぱいだった。

彼女が最初にこの施設を訪れた時、自分の名前が現地語で「輝くもの」という意味があると聞かされた。みんな素敵だとほめてくれて、不思議な縁を感じていた。

でも彼女がこのキャンプに来る真の目的は別にあった。

16歳のサラに会うため。
サラはもうすぐ1歳になる娘と弟妹、祖母と5人で暮らしていた。

南スーダンから一家で銃撃におびえながらこの国に逃れてきた。母親とは逃げてくる間にはぐれ、今も行方がわからない。
貧しい生活の中で父は牛一頭と引き換えにサラを結婚させた。
まもなく妊娠し出産したサラに夫は暴力を繰り返し、耐えられなくなり逃げ帰ってきた。

帰った家には祖母とやせ細った弟たちがただ空腹に耐え、家の奥で身を寄せ合っていた。
”私がなんとかしなくちゃ”
サラは農作業やシアバターを売って、家族5人を支えていた。

まだ16歳。
彼女が初めてサラに会った時、すごく賢そうな子だなと思った。南スーダンの中学校では成績優秀で誰からも好かれる活発な女の子だったと、おばあちゃんが教えてくれた。

でも彼女には気になることがあった。
サラは笑わない。それどころか、いつも口を一文字に結んで、厳しい顔をしていた。「何か困っていることはない?」と声をかけると最初は何も答えなかった。

聞こえなかったのかと思って、もう一度「そこにいるのは弟と妹かしら?」
なんてしつこく話しかけるもんだから、サラはぴしゃりといった。

「仕事中だから、そこをどいてくれる?」

ここではサラのように、14,5歳で母になり、学校に行かず、家族のために働く少女は、珍しくない。彼女がサラを気になってしょうがないのは、自分に似てるような気がしたから。

長女としてこの世に生まれ、お姉ちゃんとして生きてきた。お姉ちゃんだからお母さんを助け、弟妹の面倒を見るのは当たり前だった。

本当は使いたいけど、貸してあげる。
本当はお父さんやお母さんと遊びたいけど、弟や妹が泣いているから譲るよ。

彼女はそんな自分とサラを重ねて、放っておけなかった。

サラの中にある本当の気持ちを私が聞いて、サラの心が少し軽くなってくれたらいい。
少しでも笑ってくれたらいい。希望を持ってくれたらいい。
そう思っていた。

彼女は小さいころから
工作が好きだった。平日だろうが、夜だろうが朝だろうが、アイデアが浮かぶと作り始めて止まらない。
そんな彼女は必然のごとく、美大に進学。

ユウタともこの大学で出会った。

強がりで素直に甘えられない彼女のことを見透かして、いつだって助け舟をだして、静かに話を聞いてくれる彼が大好きで、
彼女にはいなくては生きていけないくらいの存在だった。
お互いに進路も決まった。私は憧れの舞台美術制作会社に、彼は最大手の広告代理店だった。

そんなさなか、高校の同級生で親友だった、あみと再会した。
あみは高校のころ、歌手になるのが夢でいつも成績はびりっけつ。口癖は「私は歌手になるから別にいいの」だった。
でも今目の前にいる彼女は、変わっていた。

目をキラキラ輝かせて、大学時代にボランティアとして訪れたアフリカや中東、アジアの国の情勢や子供たちの話、現地の友達の話、そして国際的に活動するNPO団体に就職したいと思っていることを語った。

NPO団体か。
そういう就職先もあるんだな。
初めて聞く、横文字の団体のことがなんとなく気になって、あみと別れた後の電車の中で検索してみる。

そこには、彼女の知らない世界があった。

"万年金欠”が彼女たち美大生の合言葉だったけど、そんなこと軽々しくいってはいけないような、過酷な人々がそこにはいた。子供たちは何日も食べ物を口にできずやせ細り、やがて亡くなっていく。コレラやチフス、マラリアにかかり、治療を受けられないまま苦しんで亡くなっていく。女の子は、家族の収入源となり年頃になると身売りされる。
気づいたら、募集期間が終わってしまっているその団体にメールで履歴書を添付して、私ができることがあったら、やらせてください!!
とメッセージを送っていた。

ユウタと会うのは1カ月ぶりだった。

卒業旅行のために、お金を貯めると言って、
日雇いのバイトやら、デザイン事務所の仕事を掛け持ちして忙しかったユウタと1カ月でまるで180度気持ちが変化した彼女。

とにかく、ウガンダ行きが決まって彼女は浮足立っていた。

”ほんとに私、あの子たちのために何かできるんだ。
役に立てるんだ!!”

「私、ウガンダに行くことにした。そこで現地の子供たちに勉強を教えるの。それから就労支援のボランティアもするの。貧困から抜け出して、私たちのように当たり前に子供たちが学べる環境をつくりたいの」

「はあ????」

ユウタは驚いていたけれど、いつもと違う彼女の気迫に本気だと悟ったのか、笑わなかった。
馬鹿にもしなかった。

落ち着いた声で 

「いつから行くの?」
といった。

出発は大学の卒業式の1週間後だった。

卒業までの1年間、2人は普段通り過ごしたけれど、
ユウタは頑張ってとか、帰ってくるのを待ってるとか、いつか結婚しようとかそんなことは言ってくれなかった。

出発の前日、
最後の夜。
ユウタが彼女に言った。

「君はいつか、大それたことをするセンスを持っていると思っていた。
いつか、俺の手からするっと抜け出して、あっという間に有名人になっちゃうような。危なっかしくて、俺がいなきゃだめだなって思わせるんだけど、
こうと決めたら、突き進む。人にはないパワーを持ってると思ってた。

俺にはもったいない。

そして、きっとずっと待ってることはできない。
いつ帰るかわからない君を、思い続ける自信はない。遠くから君のしあわせを願っているよ。」と。

優しくて、大好きなユウタ。
「ずっと待ってる。いつか結婚しよう」と
言ってくれると信じ込んでいた彼女には衝撃が大きすぎて、その後どんなふうにして帰って、どんな風にして今この空港にいるのか覚えていないくらいだった。

あれから4年。
私は何とかここでやってるよ。
誰かの役に少しは立ってるよ。
サラが最近、お医者さんになりたいってこっそり教えてくれたよ。


まだまだ、ここには私がやらなきゃいけないことがあるから日本には帰れないけど、いつかあなたのことを思い出しても、苦しくならない日が来たら、その時は再会して私の話を聞いてね。


今日は3月8日。国際女性デー。
すばらしい役割を担ってきた女性たちによってもたらされた勇気と決断を称える日だという。こんな素晴らしい日にあなたはまた1つ大人に近づいたのですね。


お誕生日おめでとう。


あなたが生まれて3日後に、日本では大きな地震が起きて多くの人の命がなくなりました。そして、たくさんの悲しみが生まれ、世の中は暗いムードに包まれました。

亡くなった多くの人たちに代わって、明るく咲く花のように、周囲を笑顔にできるような強い女性になってほしい。
そんな思いで、私たちがあなたにつけた名前。

あなたはその名のように、明るい笑顔と芯の強さを持つ素敵な女の子に育ってくれていますね。

いつか、この彼女のように、
自分の大切な何かを犠牲にしても、困っている人、救いを求めている誰かのために生きられるような、強くしなやかな女性になってくれたらママはうれしい。

ママを初めてママにしてくれて、ありがとう。

かけがえのない存在を持つことで、こんなにも強くなれることを教えてくれたあなたに、

心から愛をこめて。


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