中核派系団体が行った福島市内デモにみる極左暴力集団の浸潤
加藤文宏
3月11日に行われた中核派系デモ
2023年3月11日、福島市内で原発存続に否定的な主張を展開するデモが行われた。デモを主催した『すべての原発いますぐなくそう!全国会議(略称:な全/NAZEN)』は、警察庁から[東日本大震災後、同調者の獲得を図るため、セクト色を隠し原発の即時停止等を訴えるなど、反原発闘争の盛り上げを図る]中核派の大衆運動と指摘されている団体である。
警察庁が指摘するだけでなく、一般的な定義のうえでも中核派は極左暴力集団(過激派)とされ、共産党からは“ニセ「左翼」暴力集団”とも呼ばれている。こうした中核派の大衆運動組織NAZENが行ったデモをめぐって、福島県議会議員の渡辺康平氏が注意喚起を行うと、「『極左暴力集団中核派デモ』とは一体どういうことか?」と言う者、こうした誤りを訂正して警鐘を鳴らす人、警鐘の鳴らし方を批判する国会議員とさまざまな声が錯綜した。
ことの成り行きは以下のまとめに詳しい。
中核派の浸潤
中核派は1971年の渋谷暴動事件で、暴動の鎮圧にあたっていた機動隊員を火炎瓶で焼殺したほか、脅迫、殺人、放火、爆破事件を起こし、内部対立いわゆる内ゲバで構成員に死傷者を出しただけでなく、無関係な学生を殺害することもあった。
これらの凶悪事件に対して中核派は謝罪や反省を行っていないだけでなく、機動隊員焼殺事件の犯人を支援して逃亡させていたのも同組織である。
福島第一原発事故後に展開された反原発運動の中心的位置に、中核派など極左暴力集団が入り込んでいたことを、参加者であった元環境活動家が証言している。中核派の目的は「反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命」の実現で、民主主義社会を暴力で破壊しようとしている。NAZENは反原発運動を利用するため結成され、彼らの反原発運動は警察庁が指摘するように同調者の獲得が主な目的であり、エネルギー問題の解決や被災地復興への現実的な提案をもとにしたものではない。
反原発を口実にした中核派の福島県での拠点づくりは、原発事故直後からはじまっている。
2012年12月に福島駅西口近くの住宅街に開院した「ふくしま共同診療所」は、中核派の機関紙「前進」で「拠点建設」のためにあると明言され、公安調査庁も中核派系医療機関と認定している施設だ。幹線道路から一歩入った周辺地域は平凡な家並が続き、指摘されなければ診療所が極左暴力集団と関係していると気づく者はいないだろう。筆者が訪ねた日も、駐車場では同じ建物内にある他の施設を利用したとおぼしき人が立ち話をし、目の前の道を母親と幼児が通り過ぎていった。
拠点づくりは、診療所開院だけではない。中核派は福島大学を「闘う大拠点に」するとしている。福島大学では2015年に構内で中核派関係者が逮捕されているばかりか、学生が拉致監禁され「学生運動内に潜り込んだスパイ・H(福島大生)を摘発・粉砕する大勝利がかちとられた」と声明が出された。このように中核派の市民生活への浸潤は、号令だけでなく着実に進行している。
第二の成田を目指すかのように
中核派の「闘う大拠点に」されたのが千葉県だ。成田闘争(三里塚闘争)は、左派学生らが介入することで激化の一途をたどり、東峰十字路事件では警察官3名が殉職した。しかも1988年に中核派が土地の収容をめぐって起こした千葉県収用委員会会長襲撃事件の影響は、現在まで千葉県のインフラ整備に影を落としている。
収用委員宅に放火するなどしていた中核派は、委員長の小川彰氏を襲撃して両足の複雑骨折など瀕死の重傷を負わせた。小川氏へのテロにとどまらず他の委員も脅迫され続けたことで、千葉県は委員会を停止せざるを得なくなった。このため公共事業の用地取得で土地収用法が機能しなくなり、任意取得となったため補償金の高騰のほか、事業の停止や停滞が常態化してインフラ整備が遅れたり頓挫した。
2004年になって収用委員会はようやく再開されたが、千葉県の発展や開発に生じた歪みはいまだ回復していない。なお小川氏は手術を繰り返したが歩くのがやっとの状態で後遺症に苦しみ、2003年に行方不明になったのち水死体で発見された。姿を消す前、「もう限界だ。自由にさせてくれ」と言っていたと妻が証言している。小川氏の死から11年後、空港反対運動を指揮した中核派の活動家は「いい作戦だったと考えている。今後、収用委員会を襲えば他の場所でも収用不能となるということを実践した」と証言した。これが中核派の千葉県収用委員会会長襲撃事件への認識である。
中核派が原発事故を期に福島県に運動の拠点を置いたのは、「第二の成田」を目指す動きと言ってよい。前述したとおり、エネルギー問題の解決や被災地復興を目指すのが目的ではなく、千葉県収用委員会会長襲撃事件の顛末から明らかなように、解決への道半ばの課題を混乱させ遅延させるのが手段であり目的なのだ。
問題意識の大きな溝
極左暴力集団にシンパシーを抱く者がいる。彼らの中核派など過激派との関係は濃淡さまざまであり、一方的に片思いを続けている者もいる。中核派が大衆運動組織NAZENを通じて獲得しようとしているのは、こうした同調者だ。同調者は市民ではあるが、一般的な市民と呼びがたい存在で、つながりが濃くなればまちがいなく中核派系活動家だ。
だからこそ中核派の浸潤を問題視する議員や市民などが、警鐘を鳴らしたのが今回のできごとである。
ジャーナリストを名乗る者が、デモとNAZENの関係やNAZENの正体を知らないのは奇妙であるから、印象操作を行おうと『デモの方々を『極左暴力集団中核派』呼ばわりする「根拠」を明示してほしい』と発言したのではないかと勘繰られた。知らなかったのなら、今後は公平な報道のため運動の背景を説明してもらいたいものだ。
また、警鐘を鳴らした人々の方法や表現を批判することに集中した国会議員がいた。
反原発運動の汚点のひとつが極左暴力集団の関与だった。中核派批判は原発の存続についての立場と関係ないものであるから、危険性を啓蒙しなければならないと考える人々から議員は批判を浴びた。しかし会話は成立しなかった。
筆者は発言の引用をまちがえていると該当ツイートの削除を求められただけでなく、削除なき場合は訴えるとされ、福島市内デモについてのツイートをすべて消す判断に至った。今すべきことは引用を争点にした訴訟への対応ではなく、福島県を第二の成田にしないためであったり、復興への課題を問う言論であるから判断に躊躇いはなかった。
今回のできごとは、デモと参加者への批判と批判の方法を不当とするか、中核派を警戒するか、中核派をめぐる問題意識に埋めがたい差があるのを浮き彫りにした。筆者がツイート削除の事情を説明すると多数の人々が反応を示したので、これによって問題意識の溝に気づく人が増えたなら、削除と事情説明の目論見は正しかったと言える。
議員は独特な信念によって発言や抗議を行なっていると想像される。だが、警鐘を鳴らした人々への批判に大忙しで、共産党曰く“ニセ「左翼」暴力集団”中核派の姿勢を強く批判しないのはなぜかという多くの者からの疑問は、解決されないまま彼と彼が所属する政党の周りに漂い続けることになった。これで得るものはあったのだろうか、あるとしたら何だったのだろう。いずれであっても福島県の復興に益するものとは思えないのが、継承の鳴らし方への批判に空虚さを感じる理由である。
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