見出し画像

マスクの高値バブルにとどめを刺したのはアベノマスクだったのか

著者:ハラオカヒサ、(加藤文宏)


はじめに

当記事は2020年4月7日に配布が決定された布(ガーゼ)マスクいわゆるアベノマスクを考察します。今回、中国からマスクを輸入し販売していた人物を筆者が探し出し取材しました。

マスクを配布したのは日本だけではなく、フランスでも2020年5月10日から8万枚の布マスクが配布されました。ちなみにフランスの人口は6706万人です。このフランスの政策が批判を浴びたとする報道を私は目にしたことがありませんが、当時首相だった安倍晋三に対して“アベ政治を許さない”というスローガンが掲げられていることもあってアベノマスクは批判の矢面に立たされました。

“アベ政治を許さない”に代表される批判は、配布マスクに対しても冷静さを欠いた感情的な罵詈雑言が飛び交うありさまで、配布の意味と配布の効果を冷静に検証したり議論するのを邪魔されるほどでした。配布完了後から現在に至るまでこの政策のまともな検証・評価はどれくらいあったでしょうか。

政策批判はあってとうぜんです。

気分に流されて批判を口にしていなかったか。空っぽのスローガンで人々は扇動されていなかったか。空っぽのスローガンで扇動されて、私たちの社会は何度も失敗を繰り返してきたのではないか。“アベ政治を許さない”だけでなく、正反対の政権寄りの党派性にも傾くことなくマスク不足と価格の高騰、後の価格下落について考察します。

さて、コロナ禍カレンダーと考察を2021年5月26日からnoteに公開しはじめて、この原稿を書いている5月31日で5日が経過しました。

これからも無料記事を中心に連載して行く計画です。評価とともに、提供されたサポートは記事作成に必要な時間と資料とやる気のため活用していく所存です。(以上、ハラオカヒサ)

私たちは2系統のマスクを買った

・マスクが消えた

2020年1月20日、店舗からマスクが消え始めた。

この時期、ドラッグストアは花粉症用にマスクを在庫したり店頭陳列を増やしているはずだが瞬く間に欠品状態に陥った。

1月19日からはじまった春節で中国からの観光客が多数来日したが、彼らが都市部のドラッグストアでマスクを大量買いしているのが目撃されている。この買い漁りができごとの発端だったが、日本在住者がマスクを慌てて買い始めるきっかけになったとは考えにくい。

中国人観光客がマスクを大量に買いマスクが不足したとするのも誤りだろう。一時的に店頭で品薄になったとしても、この段階では中国製造のマスクの輸入は続いていて、国産品も製造に滞りはなかった。

マスク不足の本質的な原因は、1月末に中国が不織布を国費調達して流通を管理した輸出制限であり、欧米各国でも不織布ならびにマスクの需要が高まったためだ。

日本企業の中国工場で製造されるマスクもまた中国政府の管理下におかれて日本向けの輸出が止まった。ここにコロナ禍の需要増が重なって日本国内からマスクが消えた。

中国の輸出制限が緩和され輸入マスクが市場に戻ってくるまでの期間、私たちが買った中国製は[1月末の制限前に輸入され在庫されていたマスク]だった。

これが1系統めのマスクだ。

・1系統めのマスクをどこで買ったか

この時期顕著だったのが転売の動きだった。

1月23日からヤフオクでマスクの落札件数が増加しはじめる。

画像1

2019年までマスクはオークションの出品物としてはとてもマイナーで目立つ存在ではなかった。しかし1月半ばから平均落札金額があがりはじめ、前述のように1月23日から落札件数が増加している。その後またたくまに件数は5,000件を超え、平均落札額は1.5万円を超え2万円以上で取引が成立するケースもあった。

この期間のできごとを確認しよう。

1月21日、WHOから「新型コロナ肺炎はヒトヒト感染する」という発表があった。1月24日にはTwitter上に「コロナ脳」の初出があり、1月28日になると「パニック」に言及されていて、人々がいつもと違う行動を取るようになっていたことがわかる。

コロナ脳初出jpg

花粉症対策で例年購入される数を超えてマスクが売れたことで市中在庫が払底した。その後、前述のように不織布とマスクの輸出を中国が制限(禁止)したため再開後も多大な影響を残した。

なかなか店頭に並ばないマスクだったが、ドラッグストアや大手スーパーでは高値傾向ではあったが常識的な価格だった。jpmarket-conditions.comがまとめた資料によれば[大人用,不織布製,プリーツ型,5枚入り]の最高価格は2016年9月に記録された458円で、2020年は6月の391円が最高だった。同統計で2021年1月から4月は320円台から340円台で推移している。

繰り返すが、この時期販売されていたマスクは[1月末の制限前に輸入され在庫されていたマスク]と、わずかながら国内生産されていたマスクだ。

日衛連調べのデータを紹介する。

画像15

2019年までのデータだが、年々海外生産が増え国産比率は低下の一途を辿っていた。

画像16

2020年も在庫は危機的状態にあった。輸入マスクが倉庫からなくなり、微々たる国産品が砂漠に水を撒くように市場で消えていった。

この時期、通常ルートで流通したマスクの価格はほぼ例年なみだった。

だがあまりにも足りず、これまでもマスクを扱っていた小売が無理をして商品を調達したり、他業種が商機ありと参入して価格を釣り上げた結果、コロナ禍がはじまったばかりの2020年1月に50枚入りの最高値が9,900円に達した。

この値動きに反応したのが転売人たちで、2月は価格がやや戻したもののオークションでは3月まで異様なまでの落札価格の高騰が続いた。品薄と価格高騰を見た転売人たちが1月からマスクを買い占めていったので店頭やECサイトの価格を更に押し上げたという見かたもできるだろう。

画像17

法外な価格はこうしてうまれたのだった。

・2系統めのマスクは値崩れした

2020年4月末からGWにかけてマスク価格が下落する。

画像17


この値下がり期に登場したのが2系統めのマスクだ。

1月末にはじまった中国の輸出制限が3月末に大幅に緩和された。このとき買い付けられたマスクが4月半ば頃日本に到着し、市場へはGW前後に流れていった。

白い箱に簡単な印刷を施しただけのそっけない箱マスクを見かける機会が多かったが、これらはまさに2系統めのマスクだった(凝った印刷の箱マスクや数枚ごと包装されていたものもある)。

画像18

中国からバラで送られてきた不織布マスクを国内で箱詰めしていたため、コストをかけず手っ取り早く市場に出すため箱に入ってさえいればよかったのだ。

2系統めを輸入したのは、これまでもマスクなど衛生用品を輸入してきた業者と、1系統めの価格高騰を見て一儲けしようと参入した業者や個人だった。のちほどインタビューを紹介する輸入業者は前者で、商機が続くことを見込んだだけでなく営業先からも要望されてマスクを確保している。

この時期の特徴は、3月15日以降マスクの転売が禁止されたことによってオークションでの扱いがなくなり、マスクが衛生用品とまったく無関係な通販業者や小売店、飲食店、路上販売などで売られるようになったことだ。

価格が下落したとはいえ5月いっぱいは例年並とは言えず割高感があった。7月以降、価格が落ち着きを取り戻し品薄傾向は解消された。

2020年4月後半から5月6月、得体のしれない業者によって正体不明のマスクが売られ、やがて2系統めのマスクは叩き売り状態に落ちぶれて行く。マスクに1系統めと2系統めがあったことを知らない人たちには、3月まで高かったマスクと同じものが値崩れしていったように感じられたかもしれない。

━━━━━

とつぜんアベノマスクを配ることになったのか

アベノマスクとは何だったのか。

いわゆるアベノマスクは「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」における全戸配布布製マスクのことだ。

配布1
配布2
配布3

ではマスクの配布は思いつきでとつぜん決まったのだろうか。

マスク不足は2月の半ばまでに一般用だけでなく医療用で深刻な事態になっていた。

サージカルマスクと防護服の調達が困難になるなか、厚生労働省は都道府県を経由して医療機関に物資を配布していた。

厚労省000625111
厚労省000625111-2

さらに経済産業省はマスクを増産する企業に補助金をつけた。経産省の後押しによってシャープなど新たにマスク製造に乗り出す企業があらわれた。

そのうえで不織布を使ったサージカルマスクを医療等の現場用に確保し、品不足と高値でマスクを購入できない人々を支援するため、洗って使える布製マスクを全戸に配布したのがアベノマスクだ。さらに価格の安定化のためでもあるとされた。

アベノマスク配布決定前後は、マスクを買えない人と買える人の差が激しかった。所得、居住地域、生活や労働パターンの違いでマスクを買えるか否か明暗がわかれたため、恵まれていた人は困窮している人の存在すら知らなかったかもしれない。マスク配布の意味と緊急性を理解できなかった人がいる理由でもある。

全戸にマスクが配布されると決まったとき、(1系統めのマスクが枯渇して、2系統めはまだ輸入されてなく)マスク1枚あたりの価格は80円近かった。この時期、早朝から開店前のドラッグストアに行列をつくって、陳列されたマスクを残らず買って行く高齢者の姿に、他の世代が苛立ちを高めていった。

画像10

画像11
画像18


アベノマスクで非常識な高値が崩壊したのか

2020年1月のマスク不足から価格上昇を経て、価格が下落する4月までに次のようなできごとがあったか一覧表にまとめてみた。

画像6

アベノマスクだけに注目すると「マスクを配った」で終わりだ。しかし、中国からの輸入が途絶えたあと、医療関係者用のサージカルマスクを確保し、補助金で国内製造にはずみをつけ、十分な流通量が確保されるまでのつなぎとして繰り返し使えるマスクを漏れなくは配布した。こうした経緯を俯瞰すると、マスクを配って終わりではなかったことがわかる。

マスクの価格バブルが崩壊した要因はひとつではないと思われる。

・補助金政策もあり国内メーカーの製造量が増えるという観測。
・マスクの転売を禁止。
・中国の輸出規制の緩和。
・シャープがマスク製造に参入し一般販売をはじめた。
・中国で不織布バブルが崩壊し、不織布とマスクが不良在庫化。
・高値で仕入れた中国産マスクが日本国内で行き場を失う。

こうした要因のなかにアベノマスクがあった。

要因のなかでもシャープがマスクを製造して一般個人への販売を開始したことがもっとも影響が大きいとする指摘があり、たしかに個人販売を開始した直後に価格の下落がはじまっている。

画像14

しかしシャープが通販を開始する以前、転売禁止令が出た3月に最高値が大幅に値下がりし、最安値が値上がりしている。

画像14

この期間に何があったか輸入業者に聞いた。

インタビューした輸入業者はコロナ禍以前から中国製不織布マスクを輸入し、2系統めのマスクも自社の既存パッケージで販売した。

「知らない人からしたら儲けたって恨まれるんでしょうけど、中国が規制をやめたあと参入した人たちとは事情が違うんですよ。在庫がなくなってきて、これからマスクはどうなるってお客さんに押されて、輸入できるようになったとき仕入れました」

中国が輸出規制を緩和したのが3月末だった

「向こうのマスク価格が上がっていて、こっちの事情の足元を見られたところもあって、一昨年よりだいぶ高かったですよ。この値段で売れる量とか可能性とか難しさがあったから大量には仕入れていません」

その後、中国のマスクバブルは崩壊する。

中国から買い付ける1ヶ月前の2月28日にシャープがマスク製造に参入すると発表した。このときどう思ったかを聞いた。

3月に1日15万枚といっても、まだぜんぜん足りないですよ。抽選をはじめてからも中国製のマスクが必要だったじゃないですか。2月の終わりから3月というのはマスクの在庫がほとんどない状態だったんです」

政府が補助金を出して生産を促しても、もともと国内生産量が少ないのだからいきなり供給過剰にはならない。

「シャープは50万枚まで増やすと言っていて、そうこうしているうちによそからもマスクが出てくる。そうだったとしてもいきなり輸入品が売れなくなるわけがないんです」

国内で新規参入があったり増産があっても、中国からマスクを輸入するのは既定路線だった。

3月15日、転売が禁止された。

「行き場がなくなったマスクが出てきます。出てきてもまだ足りない。このときはまだ規制中だから、誰も仕入れられていないし、中国からマスクは届いてないんです」

「輸出の規制がなくなって仕入れができるようになって、マスクが日本に上陸するんだから3月より売り場にマスクが増えます。5月に値段が下がるのは確実で、お客さんが買う値段は(平均価格)1枚100円とか80円くらいになるのは想定してました。うちが卸すドラッグストアとかもっと安く売りますから、高値でやたらに仕入れなかったんです」

4月7日、のちにアベノマスクと呼ばれるマスクの全戸配布が発表された。いきなり影響はないとわかっていたが状況が変わる可能性を感じた。

「まず補助金でシャープが参入しておしまいじゃなかったのがガーゼマスク……そのまえに転売禁止もあって……こうやって続いたのは、国がマスクをほったらかしておかないってことなんだろうと思いました。いろいろ考えますよ(笑) 3月にはじめて仕入れした人たちはどうか知りませんけど」

何を思ったか。

「いろんな人が参入していて大量に買い付けられたというのはわかっていたんですが想像以上だったところがあって。このときむこうでいい加減なできの悪いマスクがあったんですけど、そういうのをつかまされたのもいるだろうなとか、そういうのもあって下手すると日本で規制がかかるだろうなとか。供給過剰の問題だけでなくて、価格とか売り方の規制みたいなものもあり得るかとか。いつもと違うんだから」

買い付けたマスクがこのとき船便で日本に向かっていた。

「うちとはぜんぜん関係ないですけど、まとめ買いしないかってFAXを送ったのが出てきたの憶えてますか。ちょうど中国からマスクが届いてイケイケだった4月半ばですよ」

FAX販売では、50枚入り1箱に換算して4,500円、高機能マスク50枚入り1箱が19,500円という例がある。4月半ばといえば買い占めの行列がひどかった時期だ。

「マスクを仕入れたところが急に弱気になっていったんです。売り急いだんです。箱詰めが終わったと思ったら、もう弱気になってる異常さだったんです」

なぜ弱気になったのか。

「商談で高すぎると言われたって話はあちこちにありましたよ。いろんな人が売り込んでましたけどね。ドラッグストアが彼らの主戦場ではなかったんだから、ECサイトでも移動販売でも売ればよかった。直接消費者に売ろうとしてFAXを送るだけでなく、いろんなルートがあったのでしょうけど売れた感じがない。品薄なのに売れない。売り始めてすぐ売れない」

「マスクが買えない消費者が弱気のままだったら、高値をつけられたと思いませんか。あのときマスクが倉庫に溢れていたのを誰も知らなかったんです。3月はほんとうにマスクが足りなくなっていて箱マスクの最低価格が値上がりして2000円を超えていたのに4月は反応が悪くて売れないんです。3月の最安値でさえ売れなくなった。ひと月だけでも高値を支えられなかった」

3月にマスクの流通量が底を打っていたから、輸出再開で入荷したマスクが市場に出るまで4月とはいえ品不足は深刻だった。

「直前まで売れていたのに、品薄なのに道にダンボールを積んで売っても売れなくなった。そのうちリヤカーに積んで1箱2,000円になっても売れていないんですよ。買う人の心理から餓えたギラギラした感じが消えていたと思います。みんな気づいていたかわからないですが」

この輸入業者が3月の時点で想定した平均的な価格1枚あたり80円から、4月の後半だけで15%下落し、5月中旬には40円になった。

「シャープの直接の影響というより、転売禁止になって、政府はマスクも配っているし、世の中がそういう方向に向かっていると消費者の気持ちが変化したんですよ、たぶん。最初は売っているだけでありがたい感じがしていた人も、5月はぼったくりかよ馬鹿野郎って思ってたんじゃないですか」

この輸入業者が言うように、中国の輸出規制が緩和されたことと、大量のマスクが輸入されたことによって値崩れが生じたのは間違いない。1月から3月までよりマスク相場が値下がりするのは大半の輸入業者が想定済みで、想定できなかったのは副業で一儲けしようとした新参者くらいだろう。

「シャープが抽選をはじめてからも中国製のマスクが必要だった」というのも事実で、品薄感が消えたのは2020年の夏場以降だった。

アベノマスクが配布されただけでサージカルマスクの価格が1ヶ月で半値になるほど需要減につながったとするのは無理がある。この点について輸入業者は、医療関係者用のサージカルマスクを確保し、補助金で国内製造にはずみをつけ、十分な流通量が確保されるまでのつなぎとして繰り返し使えるマスクを漏れなくは配布する一連の政策がシグナルになって、小売や消費者の気分に変化があったとしている。

輸入業者が言う「マスクをほったらかしておかない」政策だ。

そんなものはなかったとする立場を否定しないが、2020年2月から5月を振り返るとき「マスクをほったらかしておかない」というメッセージが続き、のちにアベノマスクと呼ばれるほどキャッチーなできごとがあったことが重要だったのではないかと感じる。

あのときの私たちは今(2021年6月1日)の私たちではない。新型コロナ肺炎の正体にはわからないことが多く、これから何がはじまるかも見通しがたたなかった。唯一の身を守る手立てだったマスクは市場から消え去っていた。どのような日々だったかコロナ禍カレンダーで思い出していただきたい。

画像19
画像20
画像21
画像22

アベノマスクがマスクの高値バブルにとどめを刺したのではない。しかし、アベノマスクは一連の政策を印象付けるシグナルになっているのは間違いないように思われる。

「政府は国民を見捨てていない」というシグナルは重要だ。

会って聞いて、調査して、何が起こっているか知る記事を心がけています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。ご依頼ごとなど↓「クリエーターへのお問い合わせ」からどうぞ。