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謝罪写真で神奈川新聞はColaboの意向を汲んだ作為的な報道をしたのか


加藤文宏

違和感から疑念へ 

 私は商業写真を撮影してきたほか、インタビューとポートレートを重視した雑誌を創刊させて現場でディレクションを行なってきた。撮影の実務から離れた時期もあったが、それなりに場数を踏んできている。
 神奈川新聞に掲載された、NHKの責任者が女性支援団体Colaboに謝罪したとする写真を見たとき、平身低頭する人の姿を戦果のごとく紹介する姿勢に不審の念が生じただけでなく、構図と撮影状況の不自然さを感じた。
 この違和感を発端として、どのような状況で、どのように撮影されたか考察したのが「Colaboへの平身低頭写真が ハラスメントへの取り組みを 昭和に逆戻りさせた」であり、「Colaboと弁護士への平身低頭 人権正義運動が向かった人権の墓場」だ。
 これらを執筆した段階では、謝罪写真が撮影された「ロケーション(空間)」がわからなかった。Colaboの事務所が入居しているビルを取材しようと試みたが、同団体の事務所と類似する空き部屋を検証できなかったので、不動産仲介業者が使用している資料で検討することにした。
 新聞に掲載された写真から想像された「間取り」と大きく異なっていなかったが、あらたに判明した事実から違和感は疑念に変わった。

謝罪セレモニー

 神奈川新聞が掲載した謝罪写真は、同紙記者が他のメディアを出し抜いて撮影できた独占的スクープだったのか。あのタインミングで、あの場所で、NHK職員に平身低頭させたうえで撮影して、神奈川新聞に謝罪写真を掲載する筋書きがあったのではないか。これが、疑念だ。

これまでの記事同様に写真の著作権と肖像権に配慮するため、検証には写真を正確にトレースした画像を使用する。

四畳半程度の空間

 この疑念を検討するため、まず撮影時の状況をあきらかにしようと思う。 
 新聞掲載写真、動画、仁藤夢乃氏が紹介した写真を比較すると、下図で示した場所に各人がいたと類推される。
 [撮影者①(神奈川新聞版撮影者)]の背後にある壁面と、ピンク色の壁までの距離は3.5m程度。Colabo側3名とNHK職員2名の距離は3m程度。距離等の類推に多少の誤りがあったとしても、[撮影者①]、Colabo側3名、NHK職員2名が四畳半よりやや広い空間に居たのはまちがいないはずだ。

計画されていたセレモニー

 [動画撮影用カメラ②]は三脚などに固定されていたようで映像が微動だにしない。四畳半程度の空間で発生するできごとを、じっくり撮影するために事前にカメラが設置されたと考えられる。
 じっくり撮影するつもりだったものは、自然な「出迎え」や「挨拶」ではないだろう。なぜなら「出迎え」や「挨拶」は短時間で終わるもので、それそのものに重要な意味はない。それにもかかわらず、設置されていたカメラの映像にはColabo側とNHKの主要人物がぴたりと収まって収録されている。
 [動画撮影用カメラ②]は、四畳半程度の空間で行われる「セレモニー」を収録するため設置されていたのだ。

セレモニーは非公開の面談そのものだった

 なぜ、NHK職員はColabo側3名に歩み寄らずに3m程度も距離を置いて立ち尽くしていたのか。
 3m程度距離を置いた位置に立っていることで、事前に設置されていた[動画撮影用カメラ②]の構図が完成しているのだから、動画や写真を撮影する筋書きがあった上で、「そこで待っていてください」などと指示されたのではないか。
 仁藤氏は「今回謝罪に来ていただくってことでしたので、この問題に関心を持っている方々が、関心を寄せていらっしゃって」と発言している。あきらかに動画を観る第三者を意識した言葉だ。しかも非公開の面談とされていたにもかかわらず、本題へと話を進めている。


神奈川新聞の行動

 非公開であるはずの面談が、四畳半程度の空間で謝罪セレモニーとして動画撮影されているとき、神奈川新聞が平身低頭するNHK職員を撮影した。
 [撮影者①(神奈川新聞版撮影者)]は[動画撮影用カメラ②]の左側にいた。
 [写真③]の位置(NHK職員の背後)からも謝罪場面を余すことなく撮影できる。しかし、神奈川新聞はColabo側とNHK職員双方の「顔」をはっきり写すことを目的にしていたのだろう。全員の顔を撮影できるポジションは①だけである。
 [撮影者①]の背後には壁があり、被写体と距離を取れない。このため超広角レンズを使って、当事者全員が写真内に収まるよう撮影した。使用された超広角レンズは、報道関係者であっても常時撮影に持ち出すものではない。撮影する場所と内容から、レンズが選択され使用されたと考えるのが妥当だろう(章末*注参照)。
 掲載された写真は撮影した原版をトリミング(切り取り)したものであるのがわかる。超広角レンズの遠近感を誇張する特性からみて、本来の写真中央は下図赤線で示した垂直線部分近辺であり、この位置は[動画撮影用カメラ②]の位置でもある。
 写真をトリミングした意図は、失敗写真をマシに見せるためだったのか、X/Twitterで囁かれているように杖を使っているNHK職員を消し去るためだったか、[写真③]の撮影者が写っていたためか理由まではわからない。

*注/超広角レンズで撮影すると近くにあるものは巨大に、遠くにあるものは限りなく小さく描写される。またわずかな上下左右への傾きで異様な変形が発生する。現実離れした写真になるため、報道写真では超広角レンズは注意深く使用され、超広角レンズを使用したとキャプションが添えられる例も珍しくない)

役割を担っていた神奈川新聞

 要人の電撃訪問なら話は別だが、社交辞令にすぎない挨拶だけの場を撮影しようとする者はまずいない。さらに非公開の面談とは、単に当事者だけで面談するのではなく、事前に確認がなければ何を話したか記録を残さない前提で行われる。非公開の協議を、無断で録音していたため提訴された例が過去にある。そもそも「非公開」と注釈がつかない面談であっても、記者会見のような公開の場で行われるわけではない。
 非公開の面談とされていたにもかかわらず、仁藤氏は[動画撮影用カメラ②]の前で本題へと話を進めている。この場面に神奈川新聞は立ち会って撮影を行った。
 こうなると神奈川新聞は謝罪セレモニーがはじまるのを知っていただけでなく、いつ、どこで、どのように行われるかColabo側と打ち合わせをしていたのではないかと考えざるを得なくなる。そうでなければ四畳半程度の空間すべてを写真内に収める超広角レンズの用意から、撮影位置の決定まで準備は不可能で、さらに踏み込んで推察するならColabo側と撮影者によってリハーサルが行われた可能性まである。
 動画撮影者は事前確認のリハーサルをしたうえで、カメラを三脚に固定した。だから[動画撮影用カメラ②]のフレーム(画面)内に主要な人々をぴたりと収められたのだ。NHK職員だけでなくColabo側3名が、写真に撮影された位置に立ち止まっていたのを、偶然とするのは虫が良すぎる。

報道の公正さと第二のColabo問題

 1.神奈川新聞は非公開とされる面談の場に同席していた。写真に撮影された場面が「面談」ではなく「挨拶」だったとしても、仁藤氏は本題へ話を進めている。
 2.神奈川新聞は偶然「面談化」した場面に立ち会っていたのではなく、面談化させる筋書きを知っていた疑いが濃厚である。
 3.撮影された写真と動画から、面談化の筋書きだけでなく、撮影計画が練られてリハーサルが行われた疑いが濃厚である。
 4.こうして撮影された写真を[取材メモ流出でNHK謝罪 Colabo仁藤代表「加害者の成功体験に」]と見出しをつけた記事に掲載した。

 5.決定的な証拠がないため「疑い」と書いたが、神奈川新聞が事前の打ち合わせがないまま当該写真を撮影するのは限りなく不可能であり、Colabo側の思惑に沿って報道に至ったものと思われる。これは非公開面談の「流出」とも言えそうだ。

 はたして神奈川新聞は公正な報道をしたと言えるだろうか。
 たとえジャーナリストであっても中立などというものはなく、非中立の立場から公正に報道することが報道機関の責務だ。報道の公正さは計量器を使う態度を思い浮かべると理解しやすい。精肉店がはかりの設定や針の読み方をごまかすのでは公正な商売と言えないように、事実の量目をごまかす記事や番組は公正な報道ではない。
 神奈川新聞がColabo側の思惑に加担し、団体の意向を伝えるため報道したとするなら、これは事実に見せかけた宣伝だ。まったく公正ではなく、神奈川新聞はColabo側の機関紙と言うほかなくなる。
 世の中の片隅にある当記事だが、神奈川新聞関係者が目にとめることがあったなら「疑惑」について答えてもらいたいものだ。「事前に知らされていたが、撮影から掲載まで何ひとつ問題ない」と言うなら、同紙は報道ではなく特定団体の宣伝機関であると皆とともに認識を共有したい。「事前に知らされていなかった」と抗弁するなら、あんなものを公開した意識の低さを徹底的に糾弾したいと思う。


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