公正さをかなぐり捨てた 人権正義の構造と行方
絶望感から激しい反発へ
この記事を公開する直前に、[謝罪写真で神奈川新聞はColaboの意向を汲んだ作為的な報道をしたのか]の閲覧数が12,000件を超え、評価数も750件を超えた。他の2記事と合わせて2万回以上閲覧されているため、1000人に1人の割合で声を届けようと思う人がいるなら20通ほどのDMが届く塩梅だ。こうして届いた意見には2つの傾向があった。
人権活動家や左派系弁護士や報道機関のおかしさは、「いまに始まったことではない」と語る人がいる。そして、「今更しかたない」と言う。公正さをかなぐり捨てた三者に絶望しきっているのだ。
「いまに始まったことではない」と指摘しつつ、絶望するのではなく三者の結びつきに強い反発を示す人がいる。これらの背景にあるとされる左派政党の名を挙げて「なんとしても選挙で落選させなくてはいけない」と強い言葉で批判する者も少なくなかった。
三者および左派政党はパンドラの箱を開けてしまったのだ。
当記事は有料枠なので、多方面にカドが立つ話をざっくばらんにしようと思う。あの界隈は、やり方が稚拙などという生やさしい状態を通り越し、ひどく頭が悪いとしか思えないという話だ。
彼らは、あんなことをするため大人になったのだろうか。
公私混同と対立層の排斥
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