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安倍元首相暗殺事件とそっくり 権力勾配がお題目として利用されるキャンセルカルチャー

加藤文宏

──権力現象には非対称性があるから「弱い側は無法なことをしていい」と正当化されたのがキャンセルカルチャーだ。そして、こうした「正義に基づく懲罰」が行き着いた先に、安倍晋三元首相暗殺事件があった。当記事では、キャンセルカルチャーがどのように繰り広げられているか構造をあきらかにする。


キャンセルカルチャーは食いぶちを奪うリンチ

 キャンセルカルチャーとは、法的な処罰対象にならない発言や行動を問題視して、これらを行った人物に「正義に基づく懲罰」を与えて社会から排除する運動だ。
 目の前で熊と無力なテディベアが対峙している様子を想像してもらいたい。熊はごわごわした茶色の毛に覆われ屈強な筋肉と鋭い爪を持っている。いっぽうテディベアは小さくふわふわの毛に覆われているだけだ。このか弱い存在が自衛のために、「正義」を拠り所として熊を排除しようというのがキャンセルカルチャーの建前だ。
 だが実際はこうだ。テディベアは両手に持った刃物をぶんぶん振り回しながら「正義」を声高に主張し、この声を聞きつけた者たちが寄り集まって熊に銃を構えることでキャンセルカルチャーは始まる。しかも屈強で凶暴な熊がテディベアに襲いかかっているとされる構図が虚構にすぎないとしたら、キャンセルカルチャーは相手を吊し上げたうえで引き摺り下ろして居場所をなくして食いぶちを奪うリンチでしかない。そもそも「正義」とは何で、誰が決めるのか。
 では、キャンセルカルチャーが日本でどのように繰り広げられているか構造をあきらかにしようと思う。

日本型キャンセルカルチャーは法律しばきが定番化

 アメリカではBLM運動(ブラック・ライヴズ・マター/黒人に対する人種差別に対抗する運動)やLGBTQ運動(性的少数者の社会的な受容と権利拡大を目指した運動)の過激化を契機に、キャンセルカルチャーのあり方が問題視されるようになった。
 たとえば、バラク・オバマ氏は「世の中を良くするためには誰かの非を指摘し、攻撃するしかないと考える若者も多く、SNSによってこのようなキャンセルカルチャーが加速しているが、それは変化をもたらすアクティビズムではない(文春オンライン「オバマ元大統領が「行き過ぎたキャンセルカルチャー」を危惧する理由 より)」とキャンセルカルチャーへの懸念を表明した。
 またハリー・ポッターシリーズの著者J・K・ローリングが、性的少数者問題で「生物学的性別より性自認を尊重する」主張に違和感を表明するとキャンセルカルチャーが発動されたものの、発言から4年の時を経て彼女の名誉を復権させる動きが本格化している。
 だが本邦の事情は、アメリカとまったく異なる経過をたどっている。
 日本では2010年代に勃興した「対レイシスト行動集団(しばき隊)」の「しばく(ひっぱたく、暴力を振るう、痛めつける)」活動と、さらに弁護士が加わる「法律しばき」と呼ぶ手法が問題視された。
 しかし問題視されても、キャンセルカルチャーに歯止めをかけることはできなかった。
 歴史学者の呉座勇一氏が鍵掛け状態のツイッター内で発言した内容に、英文学者の北村紗衣氏が発動させたキャンセルカルチャー(呉座オープンレター事案)は、法律しばきと一体化したキャンセルカルチャーであった。呉座氏と北村氏の紛争から派生した、北村氏が雁琳(山内翔太)氏を訴えた裁判もキャンセルカルチャーと一体化した法律しばきだったといえよう。

文系世界のヒエラルキーと異端審問

 呉座オープンレター事案に限らず、キャンセルカルチャーから連想されるのは中世キリスト教会の異端審問だ。
 異端審問では、教会の権威を批判した者だけでなく、権威側の意に沿わない者たちまでもが信仰の真偽を問われて有罪とされ、「セクト」「カルト」呼ばわりで排除されただけでなく火刑に処される例も少なくなかった。
 キャンセルカルチャーに勤しむ学術界の人々が、人文系しかも文学や社会学分野に集中しているのは、彼らの仕事の妥当性が客観的評価よりムラ社会内の権力構造いわゆるヒエラルキーで決定されがちなことと無縁ではないだろう。人文系アカデミアの周辺で生き残ろうとする者たとえば編集者や作家たちも、正しさと権威をムラ社会内の権力構造に求める。こうしていれば、生存にまつわる恐怖を克服できるからだ。
 呉座オープンレター事案に当事者の北村氏だけでなく、人文系アカデミアと周辺に生息する編集者や作家らが名を連ねたのは、とばっちりを受けたくない、裏切り者と目されて攻撃されたくない、得する側へつきたいといじめに加担する子供と変わらぬ功利的な態度だったとみなされてもしかたないだろう。もしくは人文系アカデミアの権威と「正義」を盲信しているかである。「ヒエラルキー」が聖職者の位階制を指し示す語であったことを思えば、なかなか味わい深い様相ではないか。

底辺に位置する追随層の役得

 だがヒエラルキーの底辺に位置して、ひたすら追随する人々は何のために権威にへつらい続けているのだろうか。そもそもアカデミアの一員ではなく、SNS上でも有象無象にすぎない彼らは、権威から「異端視」されたとしても何ひとつデメリットを被らないはずだ。
 では、追随層が権威に媚びる理由を、他分野の例から明らかにしよう。

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