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もっとシンプルに。”つらいはつらい”でいいじゃないか。

HSS型HSPって、ちょっと、特殊というか、人にわかってもらえない的なことが多いと思う。

その分、自分の感情を理由とか由来とか根拠とか経緯とか、その全てを言葉にしようと必死になっている節がある。

noteを書いているのも、少しでもこんな自分がいるよってわかってもらいたいからなのかもしれない。

あまりにも当たり前から外れることが多く、いじられたり笑われたりすることで傷つくことに臆病になってしまったところは往々にしてある。

少し、人とは違った自分が大好きだけど、理解はしてもらえない、共感してもらえないってあがく癖がついてしまっている。

だから、少しでもスキがもらえると、誰かが理解してくれたか、こんな性質を面白いと思ってくれたか、変わった感覚だなーって認知してもらえてるのかもしれないと嬉しくなってしまうのが、快感になってしまった。

不快にさせたり、ダメ認定されそうになった時に、変わっているという気質が、許容されるように予防線を張っているというか。

そもそも、他者に許してもらう必要もないのだけれど。

本当は一番許してほしいのは、自分になのにね。

他者がそれはつらいよね?それなら、仕方がないよねって言ってくれれば私のつらいは成仏するのか??と。
そんな他人軸に生きている自分に気がついてハッとした。

どうして、こんなに”つらい”のか、どうしてこんなにややこしいのか、どうしてこんなに不器用なのか、傷つくのか・・・んー解明したい・・・って考えすぎたせいなのかな?
感覚が豊かすぎて、どうにか表現したいって気持ちが、先行してしまったのかな?

でも、自分の感情については、否定もせず、正解でも不正解でもなく、理由も根拠も必要ない。

だって、”つらい”んだから。

私は今つらいって思っているのだから。

これ、本当にシンプルで明快なこと。

誰に許されなくてもいいことなのに。

どんな性質だろうと、どんなに周りから見て幸せに見えていようと、私がつらい!しんどい!って感じているその事実は事実なんだから、それを無条件に認めてあげないと。それ以上でもそれ以下でもない。

そう、認めてあげるのは、もちろん自分なのだ。満たしてあげるのも自分。
自分を慰めてあげると良いのに、どうも外に向かって主張を繰り返している。どこかで自分を攻撃して、周りに理解を乞うてしまう。

ダメダメ、本当にこれを繰り返すと、自分自身を大事にできなくなってしまうのに。


こんなに自分のことに敏感で人一倍自分を理解しようとしていたはずなのに。

もっと、自分に優しく、自分の気持ちにこそ敏感に繊細になるってことが一番の自分を癒す方法なのかもしれないな。







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