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我慢は何事にも必要なんてのは思い込み?

仕事をする上で我慢するのは当たり前だと思いますか?

仕事なんてそんなもんだよって割り切れますか?

残念ながら、私にはそれがどうしても納得がいかないし、辛い。

つまり、ちっとも我慢できないし、割り切れない。
無理やり割り切ることもあるけど、それは不本意すぎて自分にそれでいいのか真偽を問いたくなるし、一度封じたつもりでも、結局思考が熟成発酵して爆発してしまう時がくる気がする、というか今までは爆発してしまっていた。

お恥ずかしながら、アラフォーになっても、なお。

ではどんな風に考えているかというと。

精神活動や思考活動が活発で、かつライフワークの私にとっては、とてつもなくグルグル頭を駆け巡っては答えを出しては、当てはめてみて、こりゃ違うな・・・なんて繰り返しを続けているのだけれど。

どうやら我慢というものには、本当はしなくていい我慢と、する必要がある我慢があるのではないか?という考え。

しなくていい我慢というのは、辛いのに辛いと言わない、本当は傷ついているのに笑顔でやり過ごしてしまうとか、きついと感じているのに我慢して請け負ってしまったりとか。我慢して人を立てたり、人を優先したりすることもそうなのかもしれない。

一方、必要な我慢というのは、何か目的のあることを達成するための我慢である。

例えば、目標の仕事に就くための勉強するために好きなことをする時間を抑えて我慢することや、上手になるための辛い粘り強い練習をすることなどが該当するのではないか?
この我慢は、苦にはならないし、自分の中での勲章として残る気がする。

では、仕事でする我慢はどうだろう?

これが、収入のため、安定した生活のため、地位や名誉、体裁のためと考えれば妥当な我慢ということなのかな?

あ〜これは、必要な我慢なのか?しなくてもいい我慢なのか?問題。

我慢したことで得られるものもあるのだろうし、我慢したのに得られなかったらそれこそ無駄な我慢になってしまうし、我慢しないほうが上手くいくこともある・・・らしいし。


もし、我慢をしなくていいなら、看護師はすぐに辞めて心ゆくまで一日中余白メインの時間を過ごしてみたい。

次々と移り変わっていく知りたいことを探究し、興味のあることを次々と自分のペースで体験していく。
生きていく上で潤うし、幸せを実感できるが、お金にはならない。

仕事に我慢が必須なのであれば、できれば必要な我慢が望ましく、かつ自分を否定しなくていい我慢であってほしい。

人生の目標が幸せをたくさん感じることなのだとしたら・・・

やっぱり看護師はしていないんだよな〜理想の世界では。笑



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