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【23/03/30更新】小野絢乃 『o_ff』 付属テキスト

 YEBISU ART LABOにて開催中の個展『o_ff』に関する3つのテキストを掲載します。
 また会期は4月9日(日)までに延長されました。よろしくお願いいたします。

小野絢乃 2023年3月29日



石拾い


 ちょうど一年前、2022年の春頃。大学での制作を早々に切り上げた日は石拾いをしていた。

 特に目的があったわけではなく、YouTubeで見た探石の動画に触発されてなんとなくアパートの近くにある川へ赴いたのがきっかけだった。

 赤津から水流に乗って運ばれてくる石は庄内川を経て名古屋港へ至る。その旅程に私の住む町を時間をかけて横切っていく(途方もない時間を過ごした石にとっては一瞬の出来事かもしれないが)。

 私が石を拾うスポットは中流にあたる場所で、掌で転がるほどのとりとめのない石たちが、角張っているとも滑らかとも言えない、適当に捻った練り消しのような形をして転がっている。

 つまり、そのへんの川で、なんとなく、自分的に良い感じだと思える石を探していた。

赤津川


 石を拾いたいと思ったのは、なんとなく無意義な時間を過ごしたかったからだ。

 以後役に立つことを期待できるという状態のことを有意義と呼ぶ。未来のために今ここにあるリソースを犠牲にできるか、という基準で私の過ごす時間は有意義/無意義に振り分けられる。受験勉強などがわかりやすい例だと思う。

 その基準において、石拾いは無意義だった。何の材料にもならず、癒しにも鍛錬にもならなかった。

 川辺に静止している数えきれない石を眺めて、そこから自分の判断で一つ二つを選び取る。
 拾った石はアパートに持ち帰るが、恭しく飾ったり鑑賞したりすることは重要ではない。拾った石が、私自身の判断で選び取ったという手応えを証明してくれればそれで十分だった。

拾った石


 何かを選び取る時、その判断は私が下していると言えるだろうか。
 SNSや広告、ソーシャルゲームは人の欲望やコンプレックスを過剰に刺激することで利益を上げているように思える。
 そのような構造下で、思慮や欲求を個人が持つものだと断言できるだろうか。持たれているのは個人の方ではないか。

 志ある有意義な日々に私は疲れていた。
 次第に有意義であるべき様々な事柄がどうでもよくなり、何も良くなくても、幸福でなくても、それを肯定する必要を感じた。従来通りに生き続ければ、いずれ心身が壊れると思ったのだ。

 結果として、石という本質的に良くも悪くもない無意義な物体を川辺で選び取る日々を私は過ごした。それは抵抗や生存戦略だったかもしれない。少なくともその時の私にとっては。
 私の志向は「無意義」という評価軸を加えて再調整されていった。



良くない形


 キャラクターの身体を石の形に変化させた。

 アパートに置かれた石はその空間において圧倒的な年長者となり、ただの石をヒエラルキーのトップにまで押し上げる。
 内包する膨大な時間、唯一無二で捉え所のない形、何者にも歪められない強度、圧力によって固められた堆積層、様々な情報を含んで石は存在している。
 そういった超越的な存在は、アパート内に不思議な力場を感じさせる。

 次第にそのような強固な存在として私やキャラクターを位置付けられないかと考えた。恣意的な形や役割、捉え所を持たず、それでいて強かな石のように。
 逆説的に言えば、私もキャラクターもそのような存在ではなかったのだ。

 それが『キャラクターをどう描写するか』という制作上の問題意識と結びついた末、キャラクターの身体は石となった。

《City》部分 2022.07


 「恣意的な形や役割、捉え所を持たず、それでいて強かなもの」と石を形容したが、厳密に言えばそれは誤りである。

 石には固有色や劣化損傷による多様な表情があり、彫刻的に鑑賞することが可能なモチーフだ。実際そのような視点を基準に私は石を選び取っている。

 本来朴訥とした存在であるはずの石も、良い形とか、何かに似ているとか、模様がかっこいいなど、人による価値付けに容易く晒されるという点を踏まえると、強かとは言えないのかもしれない。
 あるいは、何かに価値を付けることや、物事を有意義の範疇に丸め込むことに関して、人の想像力が強かなのだろう。

 有意義を見出す想像力は、無意義を志向する妨げとなる。

 またキャラクターというモチーフ自体も、マーケットの生態系に沿って姿形を変形し続けてきた存在であり、彼らの身体も有意義な記号で満ち溢れている。

 無意義環境下でキャラクターを石にする場合、有意義を見出せないよう石とキャラクター、それぞれの情報をデチューンしながら合成しなければならない。

左 拾った石
右《Origin》制作途中


 エッジは指で撫で、細かい凹凸は拾わず、模様も施さない。形のぬるいフィギュアをなんとなくイメージしつつ粘土で模刻する。
 「良い」と思える要素を排して造形したため、どの角度から見ても特にカッコ良くはない。それが私の求めた形である。

 話は少し逸れるが、キャラクターを所有することなくいかにフェアな関係を想像できるか、という挑戦が以前の私にはあった。
 しかしそれに挫折し続けていた。だから私は「関係しない」という形に、私とキャラクターの関係を再配置しようと考えた。

 そのために、彼らを非物質な存在から物質を伴った存在へ変換し、「手放す」という行為を挟む必要があった。

 『o_ff』の「キャラクターを石にして月へ送る」というコンセプトはそのように練り上がった。

《City》2022.07



地球にはいられない


 模刻した粘土は焼成し、強靭な焼き物になった。見た目はごろんとした謎の塊で、とても無意義に感じられた。
 しかしまだ、石となったキャラクターに有意義さを感じる部分がある。

 それは重みである。物体に宿る質量は私の想像力の中で有意義さを発揮する。

 ある程度の重みがあれば、それは重しとしての機能を発揮する。もしくはスマホ立てにもなるかもしれない。
 そういった有意義さを回避するために、重力の及ばない土地を目指す必要があった。人と同じ世界にいる限り、有意義の範疇に丸め込まれてしまうだろう。

 竹取物語において、かぐや姫は地球で生きた後、月へ帰ることになる。迎えの月人は言う。


"さあ、かぐや姫、こんな汚れた所に、
 どうして、長くいらっしゃるのですか"


 地球でのあらゆる営為が、月人には穢れに見えたのかもしれない。
 先述したように、私は疲れていた。SNSに、広告に、生活に、制作に、生に、有意義な営みに。だから月人の考えには幾らか共感できた。
 生きている以上引き受けざるを得ない苦しみがある。その一つが「重力」であり、月面はそれが軽減される世界なのだ。

 またかぐや姫と地上の人々の関係を断つ道具として羽衣がある。羽衣は羽織った者のもの思いを消去し、飛翔能力を付与する。

 《insulator》はキャラクターと私の関係を「関係しない」に再設定し、地上から月面へ輸送する際に使われる羽衣を模した作品である。
 insulatorは「絶縁」を意味する。

 石になったキャラクターに羽衣を着せて、私は彼らを、地球から遠く離れた月面に送る。

《insulator》2022.12
YEBISU ART LABO『メタ・フェイス』(2022)に出品





以下、展示作品についての補足

 『o_ff』に出品されている作品について簡単に補足説明させていただきます。


《Letter》2023.02

 過去の作品にある図像を石板に刻み直し月面に置く、という設定の絵画。
 西行の仮名消息や藤原行成の仮名消息から着想。仮名消息は仮名で書かれた手紙のこと。


《Shell Fragment》2023.02

 漢字の起源である殷の甲骨文から着想。


 《Shell Fragment》の形状参考元。原付の外殻が破損した際に手に入れた破片。なんとなく保管していた私物のゴミ。


《Hometown Maquette》2023.03

 高畑勲『かぐや姫の物語』において、都に移ったかぐや姫は、自身への慰めとして故郷を模した箱庭を離れ屋に作る。
 しかしあることをきっかけにそれを破壊してしまう場面から着想。
 会場で配布しているテキスト『脱落すること、絶縁すること』は、この作品のために書いたもの。



またTwitterのスペースにて、同時開催されていた個展『Lost Sheep』と『o_ff』を比較して話しています。
 よろしければ以下のリンクからお聴きください。



『o_ff』はYEBISU ART LABOにて開催中。
よろしくお願いいたします。
小野絢乃

日程:2023年3月3日(金)〜4月2日(日)
   休 - 月火(水は2日前までに予約が必要)
時間:12:00〜19:00
場所:YEBISU ART LABO
最寄駅:東山線「伏見」駅

⚠️会期は4月9日(日)まで延長となりました。

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