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HSPを知ったら生きやすくなってきた

近年、急激にHSPという言葉を聞くようになってきた。HSPとはHighly Sensitive Parsonの略で、敏感な人とか繊細な人とか表現される人たちのこと。5人に1人ほどの割合でこの「気質」を持っていると言われており、病気というわけではない。

私がこの言葉を知ったのは2017年頃。本屋に平積みされた、とある本のタイトルに惹かれたのが始まりである。

『「敏感すぎる自分」を好きになれる本』。

当時、自分の生きづらさの本質を形容するなら「敏感すぎる」という言葉になるのではないか、と思索していた私には、あまりにもドンピシャすぎるフレーズだった。

さらに、自己肯定感を高めたいと願い続けてもがいていた私には、「自分を好きになれる」という言葉も思い切り刺さったのだ。

そこに書かれている特徴を読んでいると当てはまるものがあり過ぎて、ようやくこの生きづらさを表現する言葉を見付けた安堵と、この気質を肯定する文章の優しさにひどく救われたのだった。

私は長らく生きづらさを感じている。大学生の頃、とある講義で発達障害のことを知ってからは、自分は軽度のそれではなかろうかと何度も思った。

いろいろなサイトでADHDをはじめ発達障害の特徴を調べてみた。要所要所当てはまるものもあるが、発達障害だとしても軽度すぎるだろうと思わざるをえなかった。

だからといって、病院で「違う」と言われるのが怖かった。それでも自分の生きづらさに名前が欲しかった。

そんな時、前述の本を読んで、平穏な家庭に育ちながらも生きづらさを感じ続けてしまうことへの答えが出たように思った。

周りがとにかく気になるのも、他人への怒声に泣きそうになるのも、怒られた人に共感して悲しくなるのも、トイレの個室が落ち着くのも、車の臭いがしんどかったのも、お祭りの和太鼓を間近で聴くのがしんどかったのも、イライラしている人を見て落ち着かないのも、敏感にそれらを感じ取りやすい気質だったから。

つまりHSPではない人たちは、あまり周囲の人間の感情に引っ張られずに行動したり発言したりしているのだと気付いて、周りへの理解が少し進んだ。

だとしたら私も、周りの感情に引っ張られすぎなくても良いのではないか。周りの感情を少し無視してみても良いんじゃないか?と、自分の枷も少し外すことができた。

一方で、自然の美しい風景に感動したり、綺麗な音楽に心が震えたり、小さな季節の変化を見つけられたり、好みの絵が心に刺さったり、空の色合いに泣きそうになったりと、自分の感受性の強さはむしろ好ましく思っている。これがHSP気質によるものなら、とても得難い気質を得たと思う。

好きなものを「好き」だと感じられ、良いものを「良い」と感じられる自分の感性は、結構好きだ。何かで抑えつけられたり奪われたりしたくない、自分の大切な感性だ。

HSPを知り、生きづらさを解決する方向性を見出し、自分の感性を肯定することで、私ははるかに生きやすくなっていった。

これは同時に周囲の人々にも恵まれた結果だと思うが、HSPを知ったこともやはり大きい。

自分の気質を分かっているからこそ対策ができる。例えば相手に共感しすぎない、1人になる時間をつくる、刺激を断つ工夫をしてみる、といった対策を意識的にすることで、疲れ過ぎずに日々を過ごせるようになってきた。

日頃は自分が敏感であることを踏まえて行動しよう。疲れたら感受性を回復させる場所に行こう、その手段をいくつか持っておこう。これが最近の基本スタンスとなっている。

この気質は疲れるけどわりと好きだ。見事に「敏感すぎる自分を好きに」なっている。

最後にHSPについて解りやすい記事を。

あと、こちらの本も買いました。「繊細さん」って表現が優しいですよね。

そんな感じで、この気質を大切にしながらこれからも生きていく次第です。

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