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フェイントかけるな


「瓶と缶、ゴミ出ししてきてもらっていい?
…ごめんね」 

妻が少し間を開けて謝罪の言葉を付け足したのは、おそらく僕の顔にわかりやすく「この人でなし」と書いてあったからだろう。

12月26日夜9時過ぎに受ける提案としてはいささかハードルが高い。廊下にすら出たくない寒さなのに、外に出ろだって?

「明日の朝でもいいかな?流石に寒いしさ…お風呂にも入った後で外に出るのは気がひけるよ」

ゴミ捨てという行為は、単独で行うよりも何かのついでで行った方が確実に煩わしさが緩和されるのだ。

「うん、わかってる。仕事行くついでの方が行きやすいのは分かってるんだけどさ、でもね」

でも?

「瓶と缶の回収は火曜日の朝4時なの」

自治体に負けた。早すぎるだろ中体連本番かよ。かくして僕は寝てる0歳児を起こさないように抜き足差し足で移動しつつ、両手に花どころか両手にゴミを持ち玄関を開けたのだった。

外に出ると容赦なく冷たい空気が僕の頬を往復ビンタしてきた。ゴミ捨て場までの距離を小走りで稼ぐ。そういえばゴミ捨ての日時について、マナーが悪い人がいるから一部変更になるってお知らせが前に来てたっけ…
誰だそいつ。ぶっとばすぞ。業者に早起きさせるなよ。イライラを頭の隅に押し込めつつ、ゴミ捨ては完了した。

さて…
外に出たら出たで不思議なもので、このまま帰るのはもったいない気がしてきてしまった。
空を見上げると空気が澄んでいるのか満天の星。ゴミ捨て場の横を見ると3台並んだ自動販売機。ゴミ捨て場から家までは歩いて5分。5分の道のりを温かい飲み物と星空で彩るくらいは許されて然るべき贅沢だろう。

3台の自動販売機の前に立ち、それぞれの「あったか〜い」を観察してみる。夜だからカフェインがあまり多そうなのはNG。お茶、十六茶…いや、どちらかと言えば甘い飲み物の方がいいな。…おっ!バンホーテンココア!
バンホーテンのココアは高級感があって好きだ。ココアはやっぱり森永だけど、ココアはなんだかんだバンホーテンなのだ。ちびったいサイズで130円というのはいささか高い気がするが、迷いはなかった。

財布を見ると100円玉数枚と10円玉が4枚。いいぞ、お釣りがなく買えるというのも気分が良い。さっそく130円分ぴったり投入し、硬貨が吸い込まれるカシャンという音を耳で確認しつつ、ココアのボタンを押してみる。さて、これを飲んであったま〜りながら星空を堪能するとしよう。体をかがめて右手を受け取り口に近づけココアの到着を待った。が。

…なぜだ。一向に出てこない。もう一度押してみる。出てこない。もう一度。出てこない。連打してみる。無反応。
あれれ〜?おっかしいぞ〜〜???
脳内のcvに高山みなみを起用し冷静になると、ディスプレイに金額表示がされていない事には気がついた。
本来ならば130と表示されているはずのディスプレイは真っ黒で、下に1000円札が不足していると情報が書いてあるのみ。

どうやらお金は入れたものの反応はしてないみたいだ。仕方ない、お金を入れ直そう。肩透かしをされた期待感を慰めつつ、硬貨返却レバーを引いてみる。が。

…なぜだ。一向に出てこない。もう一度引いてみる。出てこない。もう一度。出てこない。連打。無反応。連打。無反応。連打。無反応。サマータイム連打。時は戻らない。自動販売機を軽く揺らしてみる。不審者が発生、しかしお金は戻らない。
((なんで…なんっでだよぉ!!!))
心の中で大声を出した。夜9時なので。

僕の130円が戻ってこない事はもう薄々勘づいていたが、それでも思考を放棄してしばらくレバーを弾き続けた。しかし、僕を諦めさせるのに時間は必要なかった。背後を通った通行人がこちらに視線を向けていたのに気づいたからだ。釣り銭泥棒と間違われる前に、一度自動販売機からの撤退が必要だった。敗北だった。

通行人が通り過ぎるのを待って、僕は再び自動販売機の前に立っていた。ここまで来ると僕を突き動かしたのは意地だった。ほんの少し前に描いたあったか〜い飲み物を嗜みながら星空を眺めて家に帰る絵をどうしても完成させたかった。大丈夫、自動販売機は3台あるのだ。今度は少ないお金から、ちゃんとお金が入ったのを確認してから買えばいい。

迷ってる時間はなく、僕は早々に隣の自動販売機のカフェオレに狙いを定めた。カフェイン!?知るか!!甘くてあったか〜ければなんでもいいやい!

カフェオレも130円だった。まずは余った10円玉を入れてみる。ディスプレイに【10】と出た!良かった、どうやらこの自動販売機は信頼できそうだ。さて、10円玉は切れてしまったな…100円玉と、50円玉でいいか。安心して硬貨を入れた。やれやれ、遂に目的は達成。
これでようやく家に帰れ…

カランカランカランカラーン

帰れなかった。僕が送り出した150円は自動販売機に認識される事なくそのままお釣り取り出し口へ滑り出してきた。ひ、ひどい!ウチの子を仲間はずれにするなんて!10円玉は認識してくれたのに!どうやらコイツはコイツで気難しいタイプらしい。「別に全部素直にお金を受け付けるとは言ってないが?諦めたらどうだ?」ニヤニヤと言う擬音とともに自動販売機から幻聴が聞こえた。

「…なめるなよ?」
僕を誰だと思っている。さきほどお前のお隣さんに130円強奪された男だぞ。それに比べれば認識されないくらいなんだ!さっきの幻聴だってcvを釘宮理恵に変えれば…
「なっなによ!私にだって好き嫌いはあるんだから…諦めないで、色んな硬貨を試しなさいよ!バカバカバカ!あんぽんたん!」
この通り!よし!!
持病を発祥させつつ財布を開く。まだ100円玉は4枚あるし50円玉も1枚、500円玉だってある。全て試すまで諦めるわけにはいかない!

「や、やった…!」
財布の中の硬貨をあらかた試し終わった頃、ディスプレイには【210】という数字が踊っていた。2枚だけ認識してくれる100円玉があったのだ。ようやく報われた。長き戦いに勝ったのだ。世間体や幻聴と戦いつつ、ようやくここまで漕ぎ着けた。少し客観的に見れば何をそんなに意地になる事があったのかわからないかもしれない。車を出して1番近いコンビニに行く手もあったかもしれない。

ただ、きっと僕は戦ってみたかったのだ。一度は負けたこの自動販売機という相手に、寒空の下で凍えながら悔しい思いをさせられたこの相手に、どうしても勝ってから、買ってから今日という1日を終えたかったのだ。僕にとってあのまま帰る、別の場所で買うというのは逃げの一手でしかなかった。
そして僕は戦い、勝ったのだ!

万感の思いを込めてカフェオレのボタンを押す。がたんと言う音とともに缶が落ちてきた。忘れないようにお釣りを回収してから、缶に手を伸ばす。ああ、ようやくだ。無駄に時間を食ってしまった事を妻に謝らなければいけないな。あ、なんならもう一本妻に買って行ってもいいかもしれないな。缶に手が触れる。

瞬間。

ゾッとした。

なぜ?なぜ?なぜ?理解ができなかった。
確認した。ちゃんとあったか〜いの場所にあった。赤いシールが貼られていた。
理解ができなかった。何が起きたか?

缶が、冷たかったのだ。

暖を求めていた右手が驚いて、缶から手が離れたまま固まっていた。
いやしかしそんなはずはない!
ちゃんとあったか〜いのゾーンにあったし、
カフェオレの下にはあったか〜いを示す、赤いシールが貼られていたはずだ!
冷静になってもう一度反芻し、おそらくは自分に落ち度がないであろう事を確信しつつ、
カフェオレのサンプルとボタンにもう一度目をやった。
そして…


つめた〜いじゃねえか!!!!フェイントかけるな!!!!!


上着のポケットにカフェオレを入れ触れる事なく家に帰った。地面は結露で少し濡れていた。
カフェオレは次の日の朝ご飯のお供とした。

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