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パラサイト/半地下の家族  貧困の苦しさ

パラサイト/半地下の家族

かなり流行っていたと思うのであらすじなどは不要に思えるが、いわば貧困家族が身分詐称をして富豪家族に取り入る様を描く映画だ。

普段、邦画以外の映画をほとんど見ないため、韓国映画にはなじみが無く、とりわけポン・ジュノ監督という監督もこの作品を視聴して初めて知ったような具合である。
しかし、単純な本筋のテーマへの解像度はともかく、美術的描写の美しさ、脚本のわかりやすさ、テンポを保った構成力などどれも非凡さを強く感じた。

「カメラを止めるな!」的なごちゃまぜのカオスから極大のホームランを生み出す手法では無くて、綿密に作劇を計算しつくした上で、更に俳優や街・建築の美しさで魅力を底上げするアーロン・ジャッジみたいな作品だったように思う。

作劇の妙に関してはごちゃごちゃ語っても仕方ないのでここらで割愛するが、まず、ポン・ジュノ監督自身の構成力、美的センスの高さから「作品のテーマ抜きに」素晴らしい映画であることは明言しておきたい。
おそらく、ポン・ジュノ監督作品は大抵どれを見ても面白いだろう。


作品のテーマとして最も本筋に近いと思われるのは「貧困家庭の現実」といったところだと思う。
主人公らの半地下ファミリーが、富豪ファミリーに取りいっていく様は、サイコ・ホラー的な風味付けがされていたが、それに関してはラストのオチで主人公らに対する制裁が大したことなかった(執行猶予で、お父さんも生存している)ことから、まあ演出的スパイスに過ぎなかったものと思われる。

問題なのは、どうやら実際にああやって半地下(物理的に半分地下に埋まっている訳アリ物件に暮らしている)で生活しているような貧困層が韓国には少なくないらしいということである。
作劇的には、富豪一家との対比によってその生活の悲惨さ、経済的格差を描いているのだろう。


筆不精の私が、こうして感想の記事を書こうと思うほどにこの映画に興味を抱いたのは、そういった経済的格差や貧困層の実態に強く関心があるからである。

私は、地方出身ではあるが中流の上流程度の家庭で育った身であり、作中の富豪一家には遠く及ばないながらも何不自由なく育ってきたと言ってもよい身の上である。
しかしながら、経済的に甘えて「他人の言いなりになる」ことには耐えられない性分だったので(こういった発想自体がまずボンボンらしくもある)、高専に進学して実家を出て以降は親からの支援は可能な限り最小に留め、自立するよう努力してきた。

それはそれとして、自立心と併せ持った無鉄砲でがさつな性分が災いして現状かなりの貧困状態なのだが、まあ実家も安定した職もある時点でたかが知れた程度である。

実家から出奔して東京、大阪と移り住みながらそれなりに多様な人々と交流してきたが、本当の貧困者を二、三人目の当たりにした。


私が思う貧困の定義とは、ひとえに「つぶしが効かない」ことであると思う。
資格や学歴があり、転職が比較的容易であることや割のいい働き口を斡旋してくれるような知り合いが居る、もしくは頼れる実家がある場合などはいくらお金が無かろうとそれほど差し迫った事態にはなり得ないだろう。

そういった保険が無い立場で、不意に仕事を辞めてしまったりすると途端に厳しい状況になるのである。
とはいえ、それでも生活保護や福祉の窓口はいくらでもあるが、経済的制約が課されている状況というのはふつうとても苦しく、窮屈であるので支援が得られているから充足するということではない。

そう、とても苦しいのだ。
お金が無いということは、あらゆる面で娯楽や嗜好品が許されないということであり、「毎日ごつ盛りだけを食べていればよい」というのではなくて「ごつ盛り以外の食べ物を選ぶことができない」といったような具合である。当然、相当の努力をしなければ栄養バランスの確保などは難しく、一度バランスが崩れ、メンタル面や体調面に不調をきたすとそういった努力も難しくなる。

見たい映画や展覧会、小旅行なども「行かない」のと「行けない」のでは全く感じ方が異なる。元々選ぶ余地が与えられないということは強いストレスを感じるのだ。
そういった環境は、いわばまさに「狭窄」であり、ひとの精神的な余裕を削り、精神的に余裕のない退廃的で無軌道な人間に変質させるのである。


私が過去に知り合ったいくつかの友人もそういった具合の環境で、常に苦労しているようだった。
特にふたりの女性は毒親に耐えかねて縁を切った折にDV気質の男と所帯を設け、最終的にシングルマザーとなっていた。
実家というよすがが無い中で一人暮らしをすることはとても寂しかったのだろうが、自分が生存できていればそれで良いとも言える一人暮らしとは異なり、責任を取らねばならない子供を抱えた時、狭窄はさらに進んでいっただろう。

ふたりの内ひとりは自殺し、彼女の子供の行方は知れていない。


○○


パラサイト/半地下の家族に登場するキム一家は、その点、結束が固く仲の良い家族であったことが救いであった。

特に職の無い親父というのが、甲斐性なくしょうもない存在になってしまいがちだと思うが、威厳を保っていて、本人、まあ、ソン・ガンホの強面がそうさせていたのか、子供たちが親父を無下にしない優しい子達だからそうだったのか、それともオカンが適度にけなし、おだてたり、器用だったから成立していたのかわからないが、そういったところが良い家族たらしめていたと思う。

長男が見つけたウマい働き口(富豪一家の下人としての立場)に、家族全員で入り込むさまは、手段を選ばない感じが無様だし、身の上を騙しているところが何とも気持ち悪いが、事実として成功していたし、まるで我が家のように宴会を開くあのシーンは擁護できないが、それを除けばどちらの家族も実害を被っておらず、問題も無かっただろう。

手段を選ばない無様さ、気持ち悪さも、まあ、本来覗きえないひとつの家族のプライベートを、「半地下」という貧困者を侮蔑するようなタイトルの映画の観客として、内心無意識に侮蔑の感情を持ちながら観察して感じたものに過ぎないものだから、彼らの直面している現実にある程度共感しつつ、侮蔑的な視点でなくニュートラルにとらえることのできる人間にとっては許容できる範疇だと思う。


先進国における貧困者の多さや経済格差、就職率の低さなど、社会的な背景を前提にした啓蒙という部分がテーマの主体と言っても良いが、それ以上に見どころであるのは、高い解像度で描かれたこの半地下の一家の生き様だと思う。
本来退廃して解散してしまうような状況であるのに、むしろ団結して状況を打開するこの家族の美しさも然りであるし、それをわざわざ覗き見て、気持ち悪がって差別的に鑑賞する私たちの内心の差別もなかなか見応えがあるはずだ。


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