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陣痛の乗り越え方は、どんな場面にでも応用が利くのではないか?

私の子どもたちは、姉弟で7歳の差が開いているのだが、これはその期間「授からなかった」からではない。
初産に40時間以上費やした時の記憶が、頭と体に深く刻み込まれていて、もう一度、あの恐ろしい痛みを経験したいと思えず、妊娠を避け続けていた結果の「7歳差」なのである。
2度と産まない、娘はひとりっ子でいい、とずっと思っていた。

ところが、産後6年もたつと「鼻からスイカを出すような」とか「ダンプがじわじわ腰に乗っかってくるような」と例えられる、あの痛みをリアルに思い出せなくなる。
そして、よそで見る新生児のかわいらしさに、ついつい、もう一人欲しいな、なんてことを思い始める。
そして、あんなに嫌だと思っていたのに、また、出産当日を迎えてしまうのだ。
ところが、2人目の分娩は、あっという間に、それこそ「案ずるより産むがやすし」を地で行く、6時間という短時間で終わってしまった。

その理由は、体が緩みお産に慣れていたから、というのもあったと思うが、次に何が起きるかを知っていたため、気持ちに余裕があったから、というのが一番大きな要因だと思っている。
痛みの強さは同じでも、頭が体と一緒になってそれを怖がっているかどうかで、痛みの感じ方が変わるのだ。

初産の時の私が「どこにゾンビが隠れているのかわからない状態で、ひとりで地下迷宮を歩かされている」くらいの恐怖を感じながら、出産に対峙していたとすると、2人目は「ゾンビ探知機を渡された状態で、うまいこと奴らを避けながら歩いていた」ような感覚だった。
緊張はもちろんしている。
ただ、恐怖に呑み込まれることがない。

未経験の人のために説明すると、陣痛というのは、間隔をあけて痛みがやってくるのだが、最初は痛みと痛みの間の休憩時間も長くて、肝心の痛みの強さも「ちょっとお腹が張るかな」程度だ。
お産が進行し、痛みの間隔が狭くなるにつれて、強度も増す。
陣痛は、山なりのカーブを描いて、徐々に痛くなりだんだんと収まっていくものなのだが、そのピークの高さが、出産が近づくにつれて高くなっていく、と言えば伝わるだろうか。

初産の時は、そのピークがどこまで高くなるのかわからず、恐怖で発狂しそうだった。
これ以上の痛みに襲われて、人間が生きていられるはずがない、と思った。
ところが2人目の時は、そのピークのマックス値を知っているので、ここが最高到達地点でこれ以上痛くならない、とわかる。
人間は出産の痛みごときでは死なないことも知っているので、余裕も生まれる。

そこで、私は痛みを観察することにした。
痛みを感じてから、何秒でピークに到達し、何秒で降りてくるのか、カウントをし始めたのだ。
これが案外、痛みに巻き込まれないために有効で、たしか、「ゆっくり12数えるとピークがやってきて、そこから12数えると去っていく」のだったと思う。
それに気づいてからは、次の痛みも「ほら、ぴったり12でピークだ!」と検証しながら、心の中でニンマリしていたので、体はもみくちゃでも、頭は冷静でいられた。

なぜ、今こんな数十年も前の出産の話を書いているのかというと、今日、プールに行ったからだ。
海でのシュノーケルシーズンが終わってしまったため、来季に向けて鍛えようと市民プールに行ったのだが、これが思ったよりずっと退屈だった。
同じところを何往復もするだけでは、つまらなすぎてやってられない。
そこで、背泳ぎしながら、腕を何かきすれば、25m泳ぎ切れるのか、平泳ぎなら、何かきなのか、をカウントし始めたのだが、あれ?これ、何かに似ているぞ、と考えていて思い出したのが出産の時のことだった、というわけである。

自分が向き合っている現実が、退屈すぎたり、辛すぎたりする時、観察対象を見つけて意識を逸らすのは、「どんな時でも小さな楽しみを見つけ出す」有効な方法だと思う。
覚えておいて損はない。
これから出産を控えている方は、ぜひ「カウント法」を試してみてほしい。

**連続投稿610日目**

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