受け取っているのは「刺激」なのか「不思議」なのか?
スマホやタブレットがポピュラーになってから「子どもにyoutubeを見せるな、スマホを触らせるな」VS.「小さいうちからデジタルデバイスに慣れておく方が先々有利」という議論をあちこちで見聞きします。
持論ですが、前提が全員違うのにどちらかに決めろというのは乱暴すぎると思います。子どもも家庭もバリエーションがあるのに、答えがどちらか一つしかないのは不自然。
それぞれのご家庭での様子を見ながら、どちらかを選べばいいと思うのです。
けれど、こういったデジタルデバイスをお子さんに与える上で、外してはいけない大原則が一つあります。
それは、その子には「不思議に対する感受性」が育っているだろうか、ということ。
この動画は、自分の影に初めて気づいて怖がる子どもたちを撮影したものです。どこまで行ってもぴったり自分にくっついて追いかけてくる影。うつる場所によって大きさが変わるのも不思議だし、日影に入るといなくなるのも不思議です。
他にも、夜道を歩きながらどこまでも自分についてくるお月さまを不思議に思った経験などは誰にでもあるのではないでしょうか?
私は、小さな子どもたちは屋外で育てたいと思っています。わが子だけでなく、誰のお子さんも、です。それは、屋外には「不思議」がたくさんあふれているから。それを見つける感受性と探求心を育てることが、その子の一生を面白くてわくわくするものに変えていけると思うからです。
探求心のないところに、過剰に入ってくる刺激は単に消費されて終わる「ひまつぶし」でしかありません。次々と流れる動画、ゲームをクリアすることで満たされる承認欲求、これらは果てしない「刺激」です。「刺激」は慣れるとだんだんと強いものを欲するようになるので「もっともっと!」と終わりがありません。中毒性があるのです。
「そうはいっても、幼少期からパソコンに親しんで天才プログラマーとして大成功する子だっているじゃないか」
そうですね、なかにはそういう子もいるでしょう。では、そういう「生み出す側に回る」子たちと、刺激を「受け取り消費するだけ」の子たちは何が違うのでしょうか?
それこそが「不思議に対する感受性」なのだと思います。
初めて見たものに対して感じる違和感や恐怖やワクワクに惹かれ「なぜそうなっているのか」を知りたくてたまらなくなる。そんな子が、その探求した成果を使って別の何かを生み出すことができるようになるのです。
今、工学部の第一線で働く教授陣で、子どもの頃ラジオを分解したことがない人はいないでしょう。なぜ音が出るのか。なぜ遠くからやってくる波を拾えるのか。なぜ見えない波を音に変換できるのか。一つ一つ自分で調べて解明できた時の喜びを覚えている人たちが、新らしいものを生み出す側に回れるのです。
その「なぜ?」を感じる心、不思議を探求する心は、自然の中で育まれるものでしょう。春になるとどうして一斉に同じ花が咲くのだろう? アリはどうしてこんなに細い手足で動けるのだろう? 蜘蛛はどうして自分の張った巣に引っかからないのだろう? 気づける子たちは、どんどん自分で不思議を発見していきます。五感を使って探検しながら。
それを知らずに大きくなることが「毎日つまらないなあ」と刺激を求め続ける大人を創り出しているのではないでしょうか。
子どもには自然を。私が野外での子育てを推奨する理由の一つはそこにあります。一生使えるワクワクの種を育ててあげたいと思っています。
ですから、もしも「子どもの何かを伸ばしてあげたい」とタブレットを与えるのなら、その前に、その子の「不思議に対する感受性」が育っていることをちゃんと見極めてほしいと願っています。デジタルデバイスから、刺激の消費と時間の浪費だけを学ぶことがないように。
あなたの愛情が、正しく子どもの中で花開きますように。
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