雁皮はいつ採取するの?②

前回のお話はこちら。
「光る君へ」に登場した、越前和紙についての話に違和感を感じたのである。

些細なことが気になる私は、雁皮の採集時期の食い違いが気になった。
毎日新聞社刊の「手漉和紙大鑑」がいうように、春の新芽が出てくる前なのか、それともドラマのセリフ通り秋にとってくるものなのか。

早々にNHKに問い合わせていたのだが、お返事は以下のようなものであった。

撮影と準備を指導してくださった越前の方に、台本を作る段階で取材したところ、5月の黄色い花が咲くころに、よさそうなものに(樹皮が青くピカピカ光る)目をつけておいて、11月ごろに採取してまわる、とおっしゃっていました。

なるほど、実際に越前の方に取材されたのか。
その結果、秋だと言われたのだから、サッサと諦めればいいのに、どうにも納得がいかない。
もしかして、雁皮と楮と間違えているのではないか?
楮なら、秋に葉が落ちた枝を刈り取って使うし。
けれど、楮の花は桃色だ。
花の色が黄色いのは雁皮かミツマタだ。

考えても仕方ない。
推論で矛盾を導き出してみよう。

春に刈り取りとった場合、稲作に支障が出るため、あえて秋に採集していたということは、考えられないだろうか?

例えば、紙すきを行っていたのが稲作農民であり、農閑期の副業的に紙を作っていたのだとすると、春に刈り取ってしまった場合、下準備と紙すきは春から夏に向けて行われる。
そうなると、米作りの農繁期に思い切りぶつかる。
だから、春には目印だけ付けて、秋に刈り取っていた、と。
それなら納得できる。

ところが、越前の和紙は国府のあった武生の町にほど近い、今立郡の五箇という地域で古くから作られており、そこは山間部でろくな耕作地も作れないところだったらしい。

いわれによると、五個のあたりは1500年も前から紙づくりが始められており、そのきっかけとなったのが川上御前という美しいお姫様だった。
彼女が
「ここいらは、山ばかりでろくに作物もとれないだろう。水がきれいだからそれを活かして紙を作ったらいい」
と、貧しい村に紙づくりの技術を教えてくれたというのである。

実際、五箇のあたりは、紙づくりをなりわいとする人が多く、朝廷や幕府にその品質を信頼されて高値で買い取られていた頃は、景気が良かったらしいのだが、ひとたび飢饉が起きると、金はあっても米がない村なので、大変な被害を生んできたらしい。
なので、紙を作るのは年間通じて、いつでも行われていた仕事であり、春に山から原料となる雁皮を切り出したところで、農作業に支障が出ることはなかったのであった。

推論、おおはずれ。
もう、秋ってことでいいのかなあ。
いまだになんとなく納得しきれていない私がいるのだけれど、これは放置していいのかなあ。
毎日新聞社発行という、ネームバリューが正しそうに見せているのだろうか。
もうちょっとだけ、調べてみたい。

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