私はいったい何をしていたんだろう?

山本文緒の「恋愛中毒」を読み終わった。
毎日、寝る前に少しずつ読んでいて10日ほどかかったろうか。

初めの方の『付き合いたての恋人が少しずつ手探りで近づこうとする、楽しく焦ったい時期』のあたりを読んでいた時は
「幸せな恋の話か、ありきたりだな」
と思って、さほど興味はなかった。

それでも読ませる筆力に引っ張られてやめられずにいたら、今夜ついにラストまで一気に読み終わってしまった。

この大どんでん返し。
正気と狂気が入れ替わる瞬間の、あの世界がぐらつく感じ。
やられた、という感想しかない。

「中毒」というタイトルは「依存症」という言葉が今ほど一般的ではなかった頃に出た作品だからなのだろうと思ったら、案の定、初出は1998年。
私が子育てにあたふたしていた頃で、すっかり小説から離れていた時期だ。

何をしてたんだろう私は、と思う。

この才能が、手を伸ばせばすぐ読めるところにあったのに、彼女と同時代を生きてきたというのに、私が山本文緒を知ったのは、彼女が亡くなったあとだったのだ。

癌の闘病期「無人島のふたり120日以上生きなくちゃ日記」が、初めての山本文緒体験だったのである。

夫の定年退職で、急に人生の終わりを意識しだし、亡くなった方の闘病期ばかりを読んでいた頃だった。

そこから山本文緒を読もうと決めて、「自転しながら公転する」「プラナリア」「恋愛中毒」と読み、全てが傑作であることに衝撃を受けた。
キャラクター造形の深さ、視点の書き分け、誰が語り手なのかによる解釈の違いを、きちんと読者に伝える多様性の提供、当たり前だが、ハッピーエンドは主観でしかないことを教えてくれる。
全てが面白い。

なんだろうなぁ。
こういう感性に触れることをせずにいた期間、私は独善的で攻撃的で、エネルギッシュでギラギラしていたように思う。

文学とは、内省のためにあるのだと改めて思った。
「恋愛中毒」を読み、自分の中の同じ部分が、恥ずかしさで燃えるように痛かった。
こうやって突きつけられる経験をしなかったから、私は傲慢になってしまったのだろうか。

くだらないビジネス書や、自己啓発書や心理学の解説本を読むくらいなら、名作とされる小説だけをひたすら読みつづけていればよかった。
その方がよほどためになった。

いつか絶対ちゃんと感想を書くぞ。
山本文緒を、後世に残したい。

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