#私の仕事 ライター

仕事で書く文章と、noteに書く文章は全く違う。

仕事は「求められるもの」が決まっていて、そこにどれだけ寄せていけるかに心を配る。
プライベートで書くものは、自分の中の「ほんとう」にどれだけ寄せていけるかに集中する。
近づきたい対象が違うのだ。

だけれど、ひとつ共通しているのは、書きたいモノやコトに対して「好き」という気持ちが持てないと、書けないという点だ。

私の仕事は、製品のレビュー記事を書くことなのだが、その製品を「良い」と思っていないと、如実にそれが伝わってしまう。
本心ではお勧めできないと思っている時に書いたものは、必死で言葉を取り繕っている感が出ている。

私はもともと「嫌い」という感情が少ない方だと思っていた。
人でも物でも「こういうところ、好きだなあ」という入り口を一箇所見つけると、そこから潜り込んで、どんどん好きになるのがうまいのだと思っていた。
しかし、実際は「好きになったこと」を、記憶していることが多く、「嫌い」は忘れやすいだけだった。
「好き」と同じくらい「嫌い」という感情もちゃんと持っていたのだ。
仕事で書くようになってから、それがとてもよくわかる。

「すぐ壊れそう」
「これを推したら、私までセンスを疑われそう」
「これが無くても誰も困らない」
と、興味を持てずに使う製品に「好き」の気持ちを持つのは難しい。

正義感が顔を出す時は特に厄介だ。
「こんなの世の中に広めようとしたらダメでしょ。なけなしのお小遣いで買う人だっているんだろうに、嘘を書いて騙せない。そんな詐欺の手先みたいなことできない」
と義憤に駆られて、書く手が止まる。
こういう時は、自分の中に作り上げられた架空の読み手(それはだいたい自分)に気持ちが向いている時であり、作り手や発注元に背中を向けている時だ。

製品を作られた方々は、過去に既製品に不便を感じたことがあって、それを改善しようと取り組んだのだから、確実に「世界を今より良くしたい」気持ちを持っているはずだ。
向き合ってそれを見つけ出し、好きになって「これ、ほんといいわぁ」を表現するのが私の仕事なのである。

というより、それでお金をもらっているのだから、私が製品の粗探しをしてどうするんだ、と思うようになった。
ようやくプロ魂が芽生えたということなのか、心を殺す技術を身につけたということなのか。

だが、そんなのは、どちらでも構わない。
求められたオーダーに100%応えられるようになることが、私にとって、今最も重要なことなのだから。

今日は、あまりに正直に書きすぎた。
仕事がなくなることを危惧しているが、他に思いつく話もないので、このままいっちゃえ。

**連続投稿255日目**

この記事が参加している募集

ライターの仕事

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。