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「発見」について

昨日16時ごろ、釣りに出かけて敦賀半島を走っていた時に、天頂に虹ようなものを発見した。

それまで、ボウズであった私は思った。
「これは吉兆だ。こちらに行けば、魚が釣れるに違いない」と。

この7色の光の方角を目掛けて走ると、果たして半島の西方で、無事に魚をゲットできた。

帰宅後、魚をもたらしてくれた吉兆の正体が気になり、「これなんだろう?」とSNSに投稿したところ、友人が「環天頂アークかな」と教えてくれた。

へえ!
はじめて聞く言葉である。
わかりやすい図がネットにあったので載せる。

ウェザーニュース より

太陽が地平線から登った2時間後、または沈む2時間前の、低い位置にある時に見えやすいらしい。
ざっくりと、太陽より上にあれば「環天頂アーク」、下にあれば「環水平アーク」と覚えた。
いずれにせよ、空が広くないと見つけにくいので、ビルに囲まれた都会では、目撃することが難しいのかもしれない。

それにしても、よくある天体現象だと言うが、「環天頂アーク」などというものを目撃したのは生まれて初めてだ。
アークの発現には条件がある。

 幻日と同様に雲の中に六角板状の氷晶が存在し、風が弱い場合に現れる。
 このとき氷晶は落下の際の空気抵抗により六角形の面を地面に水平にした状態で空中に浮かぶ。この氷晶の上面に入射した光が氷晶の側面から出る場合、氷晶が頂角90度のプリズムとしてはたらく。太陽高度が32度より高い場合には氷晶から光が出る際に、全反射してしまうため環天頂アークは現れないことになる。また、氷晶の屈折率は光の波長によって異なるため、色が分かれて見える。
Wikipedia  より

「本当によくある現象なのか? この条件が揃うことって、珍しいんじゃないか?」
と気象素人である私は思った。

「自分が「発見」したものは、レアものであってほしい。私だけの「発見」であってほしい」
そう願ってしまう。
この気持ちは、人類に共通のものだと思うのだが、どうだろう?
未知なもの、希少なものに触れた時、それが未知で希少であるというだけで、自分まで稀有な存在になったように錯覚することがある。
私は、たとえ錯覚でも、そんなワクワクした高揚感をもたらしてくれるがゆえに、「発見」が好きなのだと思う。

けれど、コロンブスの新大陸「発見」を持ち出すまでもなく、あらゆるものは、誰かに発見される前からそこにある。
私は、敦賀にきてウミウシを「発見」したが、日本中、どこの海でもウミウシはいる。

物理法則の発見も、新種のウイルスの発見も、「すでに存在していたものに気づき、ほかと違うことを認識した上で、個別の現象として名前をつけた」というのが正確な言い方で、無を有にしたわけではない。
発見した途端に、それが生まれたわけではないのだ。

私たちは、日常生活を送りながら、未知のものに「出会う」ことはしていても、それに「気づいていない」ことが多いのだろう。

今はネットで調べれば、それが「未知」なのかどうかはすぐわかる。
なかなか「発見」し辛い時代なのかというと、そうではない。
人類が知っているものが、これだけすぐわかるところに並んでいるのだ。
ちょっと調べれば、それが「発見」なのかどうかはすぐにわかる。
逆に、とても「発見」しやすい時代に生きているのだろうと思う。
あとは、珍しさに反応するアンテナだけの問題なのだろう。

**連続投稿425日目***



【追記】
ついでに、「ハロ」と「幻日」も見えていたので載せておく。

ハロ
幻日(左)
幻日(右)

幻日の右は、写真ではよくわからないと思うが、赤色がどちらに現れているかで見分ける。
太陽に近い方に赤が現れる。

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