洞窟探検をしていたら密航者に間違われたっぽい話
2年前に「龍が住む洞窟の話」というnoteを書いた。
「船でしか行けない場所」
「龍が住んでいたという伝説」
「洞窟の奥にある、雨乞いの際に神社に奉納する玉石」
などなど、魅惑的なフレーズが並ぶ、最高におもしろそうなスポットである。
通称「蛇の穴(じゃのあな)」。
敦賀市から海沿いに越前方面に向かうと、杉津・横浜という2つの集落がある。
「蛇の穴」は、これらの集落のちょうど中間にあり、海に突き出した岡崎山の先端にぽっかり口を開けている。
敦賀を去る前に、なんとかしてこの中に入ってみたいと思っていたのだが、蛇の穴の周囲は断崖絶壁なので、山からはどうやっても行けそうにない。
最近では、水上バイクに乗る人たちが、洞窟探検に来ることが増え、「蛇の穴」の存在自体は、ひっそりと知られるようになっている。
だが、泳いで蛇の穴に行く人は、今では皆無に近いらしい。
そうなると、ますますやってみたくなる。
先日は、山の北側、横浜のビーチから蛇の穴目指して泳いでみたのだが、ながーいテトラポッド帯を迂回するだけで、疲れ果ててしまい、諦めて帰ってきた。
しかし、南側の杉津からなら、防波堤と山の境目に人が通れる隙間があって、テトラ帯を迂回せずとも、すぐに外海に出られるらしい。
そこからなら、泳ぐ距離も短くてすむだろう。
私に抜け道を教えてくれたおじさんは、
「どうせ蛇の穴までなんて、泳げるわけがない。諦めて帰ってくるだろう」
と踏んで、懇切丁寧にルートを教えてくれたものらしい。
その上で、
「海でも携帯電話は繋がるから、何かあったら連絡せいや。ボートで迎えに行ったるから」
と言ってくれた。
よし、バックアップ体制は万全だ。
ありがたい。
バイクを港に停めて、教わった抜け道を探すと、海に降りるコンクリートの階段があった。
人の気配は全くない。
行くなら今だ。
マスクとフィンをつけて、岩の間から泳ぎ出す。
海はベタ凪で、波もほとんどなく、流れもない。
それでも、沖はどうなっているのか分からなくて怖いので、ずっと岩壁沿いに進む。
蛇の穴までは、直線で片道1キロに満たないくらいだろう、と予想していたのだが、凸凹した海岸線を辿ったために、もう少し泳いだだろうか。
右手に見えている岡崎山の岩壁は、花崗閃緑岩だ。
かつての火山活動の様子が伺える。
この岩壁は、ほぼ垂直に海の底まで落ちこんでいるので、一帯には、浅瀬があまりない。
疲れたら、その辺の岩に捕まって休憩し、90分かけて「蛇の穴」の近くまできた。
すると、穴の前に先客がいる。
水上バイクの訪問者が2組、蛇の穴の手前で、中に入るかどうか迷っているようだった。
私は私で、ここまでベタ凪だったのに、岬の突端を越えた途端に、急に波が荒くなったため、もしかして変な流れがあるのではないかと心配になっている。
そこに、この出会いだ。
「ラッキー!」と思った
この人たちが、「蛇の穴」から無事に出てきたら、中の様子を聞いて、行くか戻るか決めればいい。
そこで、声をかけようと近づくと、まさか、こんなところに泳いでいる人がいるとは思わなかったのだろう。
盛大にギョッとされてしまった。
この方々は、きれいな標準語を話していたので、たぶん関西圏の人ではないのだろう。
私が、
「蛇の穴の中に入りたいのだけれど、中の様子がわからないので、もし、先に入るなら、生身で入っても危険がないかどうか教えてもらえませんか?」
と正直にお願いしてみると、
「ここ、蛇の穴っていうんですか?」
と逆に質問されて、今度はこちらが驚いてしまった。
目的地を決めて走ってきたわけではなく、たまたま流していたら、洞窟の入り口を見つけたのだという。
偶然見つかるようなものなのか、これ。
水上バイクの機動力って、すごい!
彼らは、中の広さが分からないため、バイクで入れるかどうかを心配していた。
そこで、かつてテレビクルーが取材のために蛇の穴に舟で入ったこと、中で向きを変えられるくらい広いスペースがあることを伝えると、安心して入って行った。
しばらくすると、2組がOKサインをしながら出てきたので、入れ違いに私も入ってみる。
中は、案外静かだ。
波もなく、外の音もあまり聞こえない。
来た方を振り返ると、水上バイクの2組は心配そうにこちらを見ている。
入り口に背を向けて、突き当たりまで進むと、洞窟は奥でいくつかに枝分かれしていた。
神社に奉納する玉石があるのは、たぶん1番暗くて細いこの穴だろうというのを見つけたが、さすがに1人では怖くて入れない。
光が見える複数の方向を確認しに泳いで行くと、入ってきた大きな入り口以外に、2箇所に穴が開いていることがわかった。
(本当はもっとあるのかもしれないが、私が見つけたのは2箇所で、そのうち1箇所は、岩をよじ登らないと外に出られないくらい高いところに、穴が開いていた)
水は澄んでいるが、潜ってみても生き物の気配がない。
ウミウシもいないのは残念だったが、フナムシがいないのは大きな喜びだった。
こんなところで、ヤツらの大群に出会ったら、パニック必至だ。
こんな時、1人だと記念写真が撮れない。
自撮り棒でも、持っていけばよかった。
とりあえず、私のフィンだけでも、と思って撮ったのがこちら。
洞窟探検の証拠になるだろうか。
15分ほど、蛇の穴の中で遊んでいたかと思う。
入り組んだ内部を、あちこちに気を取られながら泳いでいるうちに、私は迷った。
自分がどの穴から来たのか、わからなくなってしまったのだ。
でもまあ、とりあえず、外に出られればどこでもいいか、と人一人がやっと通れる狭い穴から出てみると、目の前に海上保安庁のゴムボートが待っていた。
「そこで何をしているんですかー?」
ボートの上から声が飛んでくる。
ここで、あやしい態度をとって密漁者だと疑われると、あとあと大変面倒なことになると聞いている。
「洞窟の写真を撮りにきました!」
とカメラを見せながら答えると、
「先程、水上バイクの人たちに会いませんでしたか?」
と返ってくる。
ん?
どういうこと?
「&/##!,&$€☆♪ー!!」
何か言っているが、波の音でよく聞こえない。
近くまで泳いで行くと、どうやら私は、遭難者だと思われているらしいことがわかった。
水上バイクの方々が、なかなか出てこない私を心配していたところに、保安庁のボートが通りかかった。
そこで、彼らは
「女の人が1人、洞窟に入ったまま出てこない」
と訴え、保安官は遭難者として私を捜索していた、というわけだ。
別に遭難はしてないし、至って元気ではあるけれど、私は知らない間に遭難者ということになっていた。
なっちゃったものは、仕方ないというか、その立場を最大限利用させてもらった方が良い。
私は、保安官のお二方に、ゴムボートで波の穏やかなところまで引っ張って行ってもらえないかと交渉してみた。
すると、
「どちらから来ましたか?そこまでお送りしますよ」
と、大変ジェントリーな答えが返ってきた。
そこで、これ幸いと、ボートに引っ張り上げてもらい、杉津の港まで送り届けてもらったのだった。
来た時は、90分かかったのに、船は10分程度で港についてしまった。
不思議だったのは、そのボートの上で、顔写真を撮られ、住所、氏名、生年月日、電話番号を聞かれたこと。
遭難者って、常にそこまで問われるものなのか。
帰宅後、夫にその話をすると
「それは、おまえ、密航を疑われたんじゃないか?後から、お前が書いた名前や住所が、本当に実在するのかどうか、調べられてるはずだぞ」
と大笑いされた。
あっ!
そっか、これか!
どうりで
「言葉がこの辺の方じゃないですね?」
「ご出身はどちらですか?」
「杉津までは、どうやってきたんですか?」
と、やけに踏み込んだ質問をされるなあ、と思っていたのだ。
そうか、私は、脱北を疑われていたのか。
こうして、私の敦賀最後の大冒険は、遭難者兼密入国疑い者リストに名を残して終わったのだった。
**連続投稿596日目**
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