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こんなとき、どうする?

10年ほど前、埼京線の中で私の斜め前に座った女性が、どこかで見たことがあるお顔だった。
切りそろえた肩につくくらいのボブ。
特長のないシルバーフレームのメガネ。
やや小柄で、細身のその人は、もしかして、もしかすると……。
私は必死で、文庫本のカバーに載っていた彼女の顔写真を思い出した。
似ている。
やっぱり似ている。
あのお方は、私が高校生から大学生にかけて、ドはまりしていた新井素子大先生ではないか?

その時点で、私は彼女の顔を、穴が開くほど見つめていたのだろう。
けっこう距離があったのに、彼女は私の視線に気づいたようで、できるだけこちらを見ないようにしているのがわかった。

ああああ。
不審者だと思われてる!
ちがうのに、大ファンなのに。
せめて、著作の一冊でも持っていればよかったのだが、さすがにそんなに都合よく持ち合わせているはずもなく。
けれど、このまま、不審者だと思われて終わるのは、私がつらい。
せめて、ファンだと告げて、電車を降りたい。
タイミングを計っている間も、ずっと彼女の方を無意識に見ていたので、彼女の方でも、ついに「きっ!」という感じで私を見返してきた。
こ、これは今なんじゃないか?
今を逃したら、もう話しかけるタイミングはないんじゃないか?
そこで、何とか彼女の席まで近づき、一礼して訊いた。
「あの。SF作家の新井素子さんではありませんか?」

彼女は、なんでこの人がさっきから私を凝視しているのか、やっとわかった、という風な安堵した顔でこう言った。
「いえ、ちがいます。よく、似てると言われるんですが、残念ながら、違います」
「えええっ? 親戚とかでもなくて?」
「はい、赤の他人です」
「そうでしたか。残念です」

……今思うと、この返しは、とんでもなく間違っている。
最悪だ。
何が「残念です」だ。
まずは、非礼を謝るべきだった。
じろじろ見てごめんなさいと、最初に言わなきゃ、大人としてダメでしょうに。
しかし、その反省とは別に、やっぱりあの人は、新井素子さんご本人だったんじゃないかと、今も思っている。
電車の中で、サインなんかねだられたら恥ずかしいし、この人、なんだか圧が強くてちょっと怖いから、違うってことにしておこう、と思われちゃったんじゃないかと、そう思っている。
だって本当にそっくりだったんだもの。

同じようなことが昨年もあった。
それは、新横浜駅に停車した新幹線の中で起きた。
乗り込んできた、眼鏡の紳士が、あの方にそっくりだったのだ。
若干癖のある、フワフワした髪。
丸、というよりベース型の顔の骨格に、知性を感じる優しい瞳。
いかにも彼が好んで着そうな、厚手のヘリンボーンのジャケット。
背中からも、ただようユーモア。
この人は、今を時めくロシアの軍事評論家、イズムィコ先生では?
私は、斜め後ろの席だったのをいいことに、目で射抜けるくらい凝視した。
もうちょっとこっち向いてくだされば、ちゃんとわかるんだけどなあ、と思いながら。
しかし、紳士は、その10数分後に東京駅の雑踏に消えていってしまった。
あの方も、新横浜から東京まで新幹線に乗ってしまえる財力が、本物のイズムィコ先生なんじゃないかと、やっぱり思っている。

ファンです、BSフジのプライムニュース、見てます。
と、お伝えしたかった。

けれど、考えるまでもなく、そんなの自己満足だよなあ。
東京に住んで、しょっちゅう推しに出会えちゃう人達は、こんな時どうしているのだろう?
話しかけていいのか、悪いのか。
例えば、オードリーの若林さんなら「ドーム行きます!ラジオ聴いてます」と言っても、嫌な気持ちにはならないだろうと思う。
彼は、リトルトゥースには情けをかけるタイプなので。
それ以外の方には、正解がいまだにわからず、とても困るし、気になっている。

**連続投稿568日目**

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