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アドベントカレンダー12月3日 お題「うさぎ・犬」BYうさぎと犬さん

息子が通っていた幼稚園では、鶏とウサギを飼っていた。
鶏たちは昼間は放し飼いで、夜になると自分で小屋に戻ってくる。
ウサギたちは小屋で飼育されていたけれど、すぐに穴を掘って脱走してしまうので、逃げたウサギを捕まえるのは、園児たちの楽しい遊びにもなっていた。

ある年の冬、一匹のウサギが子どもを産んだ。
とても寒い雪の日で、初産の母ウサギは、生まれた我が子を放置して小屋の隅で震えていた。

強力な寒気の中、自分の命をつなぐことを優先したのか。
初産の後のパニックで、余裕がなかっただけなのか。
子育て経験がないため、何をしたらいいのかわからなかったのか。

母ウサギの事情は、分からないけれど、生まれた子ウサギたちは、硬い地面に放置され、すぐに冷たくなってしまったようだった。
そんな中、朝までわずかに息があった子ウサギが一匹だけいた。

まだ毛も生えていない子ウサギは、赤い地肌が丸見えで、特徴的なあの耳も短い。
言われなければウサギには見えない、禿げた小さなネズミにしか見えなかった。

先生方は、人間の子どもたちの保育があるので、一日中、子ウサギにかまっている余裕はない。
私は、ウサギ用ミルクと、スポイトを預かり、子ウサギを連れ帰ることにした。
タオルでくるみ、服の下に入れ直接肌に触れさせて、体温で温めながら車で15分ほどの家に戻る。
着いてすぐに様子を見ると、子ウサギはすでに冷たくなっていた。
お預かりしたミルクは、一回も使う機会がないまま、お返しすることになった。
生後、おそらく半日も生きなかった命だった。

その時「ウサギの母は、自分の子を死なせたことを、どう思っているのだろうか」とぼんやり考えた。
たぶん、何とも思っていないのだろうな。
子どもを産んだことすら、忘れているのかもしれない。
わが子への愛情など、みじんも感じることもなかったのだろう。
"生きる”ということだけを考えるなら、それはとても真っ当なことだと思った。
生存確率の高い方を優先するのは、生物の本能だろう。

自分も子どもを産み、「母性」について考える機会が多くなった私は、母ウサギにぶん殴られたような気がした。
ヒトの世界の「母性」にがんじがらめにされ、自分を見失うことが多かったからだ。

「母親ならこうするべき」「保護者として、あれは禁止すべき」「子どもを育てるって、そんな簡単なことじゃない」
世の中に流通する、正しい子育て、正しい母性、正しい愛情に逆らえなかった。
生きたい自分を殺して、子どもを育てなくてはならない気がしていた。
母ウサギの自由さに、あこがれた。

けれど、この件で振り返ってみると、私が縛られていたのは、人の定義する「母性」などではなかったことに思い至る。
私が、母とはこうあらねばと思い込んでいたのは、子どものころに飼っていた犬の姿に強く影響を受けていたのである。

我が家の雑種犬「チル」は、私が6年生の冬に身ごもった。
その時も真冬の寒い時期で、チルのおなかが大きくなったことを知っていた家族は、小屋に古毛布を敷いてやり、出産準備を整え待っていた。

ある日学校から帰ってきた私は、チルの小屋から、みゃうみゃうと猫の鳴き声のようなものが聞こえるのに気づく。
私の足音がするといつも飛びついてくるチルが、小屋から出てこない。
最初は訳が分からず、チルが化け猫に食われたのかもしれないと妙な想像をし、泣いて母に訴えた。
母は
「赤ちゃんが生まれたんだよ。しばらく覗いちゃだめだよ。人が見ると、子犬を隠そうと、食べちゃうこともあるらしいから」
と言った。

ところが、小屋の中から聞こえていた複数の鳴き声は、翌日ほとんど聞こえなくなった。
心配だ。
「産後の気が立っているときに、子犬の様子を見ようと覗いてはいけない」という禁を犯して、犬小屋の屋根を開けてみる。
すると、生まれた5匹の子犬たちは、古毛布の下敷きになって冷たくなっており、1匹だけが無心に乳を吸っていた。
古毛布が仇になったようだった。

死んでしまった子犬たちを、そのままにしておくわけにもいかず、一匹ずつ取り出して、地面にそっと置く。
チルは、慌てたように小屋から出てきて、骸をくわえて、小屋に戻る。
死んでることがわからないのか。
こんなに冷たくなっているのに。
もう、鳴かないのに。
乳も吸わないのに。
子犬を取り出す、小屋に連れ帰られる、取り出す、連れ帰られる。
何度も同じことを繰り返しているうち、泣けてきた。

生きている子も、死んだ子も、おなじようにそばに置いておきたいと願うチルのその様子が、私が最初に母性を強く意識した出来事だった。

母性とは、自分のそばに置いて囲い込むこと。
何があっても、離さないこと。

今になって、なるほどなあ、と思う。
私の第一子の子育ては、まさにこんな感じだった。
新生児期の眠れないトラウマで、赤ん坊といっしょにいるのが辛くて、少しでも離れたいと思いながら、自分のそばから離せない、人に預けられないという苦しい子育てをしていた。
離れた瞬間、子どもが死んでしまうのではないかと恐怖していたのである。
あの妙な思い込みは、ここから来ていたのか。

何が人の思い込みを作るのか、何がそれを壊すのか。
私は犬によって作られ、ウサギによって壊された。
いや、正確には、それを意識できた瞬間に、壊れたのである。

人生って本当に不思議。
神様は私に、何を学ばせようとしているのだろう。
勝手に作り上げた思い込みを見つけ、それが壊れるたびに、いつも思うのである。

**連続投稿305日目**


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