抜歯
30年ぶりくらいに、歯を抜いた。
驚いたことに、ほとんど血が出ない。
抜いた歯はかなり前に虫歯になって、神経を取った歯だった。
なのに時々、ズキズキ痛む。
それが謎だった。
神経がないのに、なんで痛いの?と。
先生は
「たぶん隣の歯の痛みを勘違いしていたのでしょう。隣の歯は神経が残ってますし。ブリッジの負荷がかかって、噛むたび横に引っ張られていたわけですし」
と説明してくださった。
そうなのかもしれないし、違うのかもしれない。
どっちでも構わない。
これからは痛まないことの方が重要だ。
3本の歯にまたがるようにかけられたブリッジを外し、グラグラになっていた歯を抜く。
この歯は、もともとは一本の歯だったのに、ブリッジの下で硬いものを噛む際に、変な方向の圧力がかかって、2本に割れていた。
本当なら歯が真っ二つに割れるなんて、とても痛んだはずなのに、神経がないためわからなかった。
神経を抜かれた歯は、
「この歯は死んでるから栄養は要らないね」
と、自ら根をどんどん回収し短くなっていくらしい。
だから抜いた後も、ほとんど出血しなかったのだ。
抜いた歯をもらって帰ってきたが、根の先端が短くまあるくなっていた。
この歯が、歯茎にかろうじてくっついていた。
砂場に突き刺したアイスのコーンみたいな状態を想像するとわかりやすい。
そういえば抜く時も、まるで手ごたえがなかった。
畑の大根を抜く時の方が、まだ手ごたえがありそうな感じ。
ほどなくして血の味は消え、鏡で抜歯箇所を見ると歯茎に大きな赤黒い穴ができていた。
経血の塊のような黒さだった。
死んだ歯だったのに、周りの血管はそれを支える歯茎に血を送り続けていたんだなあ。
そんなことをしたって、もう手遅れだったのに。
自分は口の中にずっと、死んだものを死んだままつけて暮らしていたのかと思うと、とても不気味な気がした。
なんだか、これ、親みたいだ。
実際の生活の中ではすでに、いないものとして扱っている。
死んでるのと同じなのに、記憶の中ではまだ生々しく生きていて、血を送り続けている。
歯を抜くことは、こんなに簡単なのに、親の根っこは深くて抜ける気がしない。
これを引き抜いたらどくどく血が出るんだろうか。
もういい加減に終わりにしたいのになぁ。
**連続投稿786日目**
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