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アドベントカレンダー12月6日 お題「ハマのメリーさん・敦賀」BY michiyoさん

恥ずかしながら、お題をいただくまで「ハマのメリーさん」を知らなかった。
故・中島らも氏の短編小説「白いメリーさん」は知っていたのだが、その都市伝説のモデルが、実在の人物だとは思っていなかったのだ。

ハマのメリーさんとは、横浜に実在した女性の通り名である。

メリーさん(本名不詳、1921年ー 2005年1月17日)は、神奈川県横浜市の中心部でしばしば目撃された伝説的な娼婦。白塗りの厚化粧にフリルのついた純白のドレスという印象的な風貌や謎に満ちた人物像から、数多くの歌や文学、演劇の題材となった。
Wikipediaより

何かを成し遂げたわけでもなく、際立った才能にあふれていたわけでもなく、ただ、全身真っ白で異彩を放っていた老娼婦というだけで、Wikipediaにも名を遺す人。
晩年はホームレスとなり雑居ビルの廊下で寝泊まりしていたという。

福富町のGMビルに住みつき、「エレベーターガールとしてチップをもらい、生活していた」
(写真提供:森日出夫)

横浜の伊勢佐木町界隈で暮らす人たちは、ほぼ例外なくメリーさんを知っているのに、生前の彼女と深く交流した人はおらず、誰も彼女のプライベートを知らない。

娼婦をしていたというのだから、他人とコミュニケーションをとることはできたはずなのに、ピロートークで半生を語ることもしなかったのだろうか。

世の中には「知られたい・認められたい」という、外部からの承認欲求で生きている人と、他人の目を一切気にすることなく、自分の内的欲求だけで生きている人、それに、自分の欲求がわからない人の三種類がいる。

メリーさんは、人の目を引く、全身真っ白な出で立ちでありながら、目立ちたい、知られたいとは、かけらも思っていなかったに違いない。
知ってほしいなら、捏造や脚色を盛り込んだ派手な半生を語って、見た目以外でも有名になろうとしたはずだ。

ところが、メリーさんは、良くしてくれた人にも、自分のことは一切語らなかったというのだ。
とすると、あのファッションは、たぶん、目立つ戦略のためというより、メリーさん頭の中で、ファッションのアップデートができなかったから、というのが正しそうな気がする。

おそらく、純白のゴシックロリータファッションが似合っていた若い頃、その出で立ちを褒められることが多かったのだろう。
それが、そのまま「かわいいとは、こういうこと」と定着してしまい、似合うかどうかより、白を守り通すことが、ルール化してしまったのではないか。
私は、メリーさんに何らかの障害があって、自分の欲求がわからず、決まったルーティーンを変えられなかったのではないかと疑っている。

そんなメリーさんが、もしも敦賀にいたら、と考えてみる。
そもそも、敦賀には、メリーさんが勝手に入り込めて、寒さをしのげるビルがなさそうだけれど、彼女を苦境から救い出そうと躍起になる人たちは多そうだ。
福祉のまち・敦賀では、きっと彼女は早々に福祉につなげられ、年金と生活保護で、毎晩温かく眠れる場所を提供されることだろう。
土地柄なのか、倫理観がそうさせるのか、本当に、敦賀は困っている人に手厚いところなのである。

しかし、それがメリーさんにとって、幸せだとも限らない。

横浜には、異色の娼婦メリーさんを、怖がる人、気持ち悪がる人、あからさまに避ける人もいたようだが、それでも、彼女がそこを離れようとしなかったのは、おそらく、横浜には、日本三大ドヤ街の一つ「寿町」が、あったからではないかと推測する。
老、病、貧がひしめく、ドヤ街「寿町」。

「天国と地獄ね……」。ある時、メリーさんがそう呟いた。横浜の小高い丘に広がる富裕層が住む山手と、その麓にひしめく浮浪者街、そんな対極の地を見たときのことである。
映画「天国と地獄」の舞台となった横浜には、数十年経った現在でもそんな世界が現存している。
「ヨコハマメリー」より

メリーさんは、おそらく、自分が「天国の住人にはなれないこと」を知っていた。
純白の天使のような出で立ちをしながら、その日暮らしで帰る家すら持たず、一生この地獄から抜け出せない人間だと思っていたのだろう。

同じ地獄を生きるなら、仲間が多い土地で暮らす方がよい。
地獄を生きる連帯感が、彼女を横浜につなぎとめていたのではないかと想像してしまう。
孤高の存在であったメリーさんは、実は、心の底では横浜に、ある種のシンパシーを感じていたのではないだろうか。

メリーさんが亡くなって、すでに17年。
いまだに、ちょろっと調べただけの私が、こんなに妄想を掻き立てられてしまうのだ。
そりゃ、本や映画やWikipediaにも残るはずだよなあ。

**連続投稿308日目**


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