珈琲と。

 誰も起きていない朝、昨日、お店で挽いてもらった珈琲粉を棚から取り出す。紙フィルターをいつものマグカップに広げる、大匙二杯の珈琲粉を入れて、熱湯で表面を濡らす。一五秒、珈琲の香りがキッチンに充満する。数回に分けて熱湯を注ぎ、珈琲殻をゆっくりと持ち上げる。熱いマグカップを持ち、窓を開け、朝の清々しい空気を体に取り込む。珈琲を口に含む。エネルギーが充填されるように、今日の儀式が終わる。

 珈琲メーカーを買おうかと家人に言わるが、私はこのやり方を変えない。今日という一日をちゃんと始めるための儀式だからだ。迷うことはない、不便だと言われようと、不器用と言われようと、十年後も同じような朝を送っているだろう。

 以前は豆を挽くことからしていたが、音がうるさくて止めた。儀式に音は必要ない。静かな空間では、静かな所作だけが似合っている。

儀式】  法やしきたりなどにのっとったきまり。 また、日常の立ち居振舞の作法。

 珈琲を飲むことを目的にしてしまえば、雑に淹れてしまうかもしれない、朝の忙しい時間ならインスタントコーヒーでもいいのだ。だけど、私はひとつの儀式をとらえている。時間がかかろうと、ちゃんと、ちゃんと、珈琲を淹れる。

#私のコーヒー時間

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