武藤敬司引退試合 プロレス“ラスト”LOVE~HOLD OUT~試合雑感

お久しぶりです。もるがなです。武藤敬司引退試合、とても素晴らしかったですね。本来ならすぐに感想を書くべきではあったのですが、思った以上に武藤ロスが大きく、ここ数日はぼんやりと過ごしておりました。PPVの他の試合も見所が多く、一度に書くと凄まじい文字数になってしまうため今回は厳選してセミとメインのみ書くことにします。やはり語りたくなるのはこの2試合ですからね。ではでは、さっそく語っていくとしましょう。

◼️シングルマッチ 時間無制限1本勝負
SHINING THROUGH
オカダ・カズチカ vs 清宮海斗

戦前の盛り上がりだけならここ数年見た抗争の中では間違いなくベストでした。今だから白状しますが、オカダと清宮なら何かしらの落とし所はつけてくれるだろうという信頼感はありつつも、対戦そのものが実現するか否かに関しては五分五分といった感じで、実は正式決定するまで気が気じゃありませんでした(笑)「どうせ対戦するんでしょ?」と斜に構えていた人もそれなりにいたかとは思いますが、因縁があっても団体間の軋轢やタイミング等で実現しなかった試合というのはかなり多いわけで、それを知っている人ほど今回の抗争でヤキモキしてた印象があります。結果だけ見れば上手く転がされたなと思いますし、清宮もオカダもプロでしたね。

決まった30分一本勝負に対しての清宮の時間無制限要求など、試合開始ギリギリまで飽きさせない仕掛けもさることながら、互いにタイトルホルダーである以上、引き分けも視野に入るなというファンの読みを真っ向から否定したのが素晴らしかったですね。言葉尻だけ捉えると「30分じゃオカダを倒せないのか」と思わなくもないのですが、ボイコットすら辞さない徹底した「焦らし」と意外性のある乱入で心理戦の先手を取ったオカダに対し、試合時間という部分で心理戦を逆に仕掛けたという意味で僕は清宮を評価しています。

あとこの清宮の時間無制限要求は、語弊を恐れずに言えば表現を変えた「正々堂々」だと思っていて、試合を成立するために必要だった顔面蹴り……謂わば不穏試合としてのエッセンスをなるべく排除しようとしたようにも思えますね。たとえば「5分でケリをつける」のような安っぽい煽りも、顔面蹴りという文脈ありきで見ると話が変わってきますし、清宮を知らないファンからすると「試合を壊そうとしている」という不信感はあったでしょう。

一応書いておきますが、個人的には顔面蹴りが卑怯だとは思っていませんし、あれもまたプロレスの一幕です。でもとりあえずはそれを一旦リセットしつつ、自分の実力を満天下に知らしめるために、引き分けや不穏試合というノイズを排して完全決着戦としてリスクを上乗せした。そこにこの要求の凄みがあるわけですね。

そんな果てしないリスクを背負っての一戦はどうなったのか?結果としては残念ながら完敗……ですかね。しかしながら清宮惨敗!オカダの圧勝!とマスコミは宣伝していまして、これは新日に対しての忖度との批判も多いのですが、どちらかというと試合における清宮の無謀な挑戦というコンテクストを過剰に読み取ってのアジテーションといったほうが正確でしょうかね。過度に修飾されたその言葉は我々プロレスファンからすると若干ノイズに感じる部分もあり、オカダと清宮に差があり完勝したのは事実でありつつも、もう少し清宮の奮闘を含めて試合の本質を掘り下げたい……そんな欲求を喚起させるような感じでした。それにしてもオカダvs清宮って、その後のアジテーションとか実際の試合のテイストからして、ひょっとするとプロレス版のメイウェザーvs天心をやりたかったのかななんて考えてしまいましたね。単なる戯言だと思ってくれて構わないのですが。

ではオカダの勝因、もとい清宮の敗因はどこにあったのか?やはり一つは大舞台経験の差。言ってしまえばドームという舞台における経験値の差ですかね。清宮も幾度となく死線を潜ってはいるのですが、初ドームの雰囲気に呑まれた感じは若干あり、それと比較してオカダの表情の完璧さが際立ってしまった印象があります。

しかしですね、オカダに抗ってエルボーを乱発しているときの清宮の表情……ぶっちゃけた話、武藤引退以上に涙腺が緩んだのはここなんですよ。初ドームにオカダ相手、絶対に負けられない対抗戦と押し潰されそうなプレッシャーの中で、もがこうとするその表情は、よもやすれば泣き出しそうにも見てとれて……。清宮はオカダにビビってんのか?と言いはしましたが、それはひょっとしたら自身が抱いていた「恐れ」の裏返しかもしれず、それでいながらも必死に雑念を振り払い、歯を食いしばって喰らいついていこうとするその姿。あの顔は今の年齢、今この時にしか見せることのできない輝きであり、全身全霊をかけて困難に挑み続けるあの表情を見て、清宮を叩くことなんて僕には到底できないですよ。オカダの表情や立ち振る舞いは完璧の一語で非の打ち所がありませんが、清宮のあの表情は清宮にしかできないものです。

単に顔の見栄えが良かった、だけの話で受け取られそうなので、清宮の試合内容で話すなら、清宮のエルボーはかなり強く、オカダもさすがに苦悶の表情を浮かべていましたね。それ自体が1年前のオカダのカタいエルボーに対する返礼であり、あれだけでも成長を感じさせました。

途中に見せたレインメーカー対策の腕へのピンポイントの膝攻撃も面白く、ジャンピングニーとシャイニングウィザードを並行して使うレスラーってかなり珍しいんですよ。オカダvs清宮戦のポイントの一つは清宮はレインメーカー を二度被弾しているため対策が立てやすいのに比べ、オカダは清宮を「知らない」んですよね。ここに打倒オカダの鍵を見出したのは興奮しましたし、ここからの一連の腕攻めはとても良かったです。

清宮の試合の何が面白いかって、試合の中にちゃんとタクティクスがあるんですよ。非常に合理的かつ理に適っていて、TCGっぽい言い方で恐縮ですが、一番それが如実に伝わるのは武藤戦での武藤メタとでもいうべきドラスク対策だと思います。今回のオカダメタはより効果的に機能していて、そこに武藤から学んだ低空ドロキによる腕殺しフルコースとして披露したのはとてもよかったですね。

あとシャイニングウィザードの技としての完成度が清宮を通して改めて伝わってきたというか……。プロレスにおける「理」の観点でシャイニングウィザードの右に出る技はそうそうなく、ドラスク→足4の字で膝立ちにして技のセットアップに入りやすくするのが武藤タクティクスなわけですが、これを腕殺しに変換しても相手が痛みで崩れ落ちてグロッキーになるのは変わらず、またシャイニングウィザードのブロックがそのまま痛めた腕への攻撃になるという理屈が成り立っているのが素晴らしいんですよ。清宮の武藤継承は攻め時を選ばず、また相手の姿勢をコントロールする上で凄く身になっていましたね。オカダの長身を捉えたスタンディングのシャイニングウィザードも最高で、単なる武藤のコピーではないことは十二分に伝わったと思います。

だがしかし、げに恐ろしきはオカダであり、清宮が局地的な戦術ならオカダは大局を見た戦略で勝ったなという印象で、思えば最初の仕掛けの早いジャーマンからオカダの術中にハマっていた気はしますね。清宮が得意とするグラウンドでのレスリング勝負では恐らくオカダはやや分が悪いかな、というのが贔屓目抜きの感想ではあるのですが、そこをすっ飛ばすように序盤で清宮を場外に放り出してあしらったあと、ジャーマンの奇襲をかましてハイペースの短期決戦で仕掛けたのはオカダの作戦勝ちでしょう。特にクライマックスは圧巻の一語であり、レインメーカーから引きずり起こすという屈辱的な仕打ちからの、オカダの延髄斬り、旋回してのエメフロ式のオカダドライバー(仮)、そして二度目のレインメーカーという「オーバーキル」でオカダが勝利をもぎ取りました。

オカダはパターン化しているとはよく言われる事柄ではありますが、勝ちパターンが決まっていることほど強いことってないんですよ。ようはカタにハメてしまえばいいわけで、また逆にパターンが周知されているからこそ、少しそのパターンから外すだけで耳目を集めやすく、試合のペースもコントロールできるという。いつもより早いレインメーカーアピールがその証左であり、清宮はそれに付き合ってしまったという感じですかね。所謂「客人効果」というやつです。わからない人は『ホーリーランド』を読みましょう(笑)

とはいえ、オカダがグラウンドでレスリング勝負する姿が見たかったというのは本音としてあるのですが、勝負論で考えるなら、いくら王者だからといってわざわざ相手の得意領域で勝負をする必要性ってないんですよね。体格や力で勝る相手に劣る側が真っ向から力で挑まないのと同じ話で、不利を避けて有利を押し付けるのは戦いの基本です。シビアな話ではあるのですが「強さ」というのはそういうものです。

恐らくここが一番勝負を分けたポイントかなと僕は思っているのですが、オカダは完全に「勝ち」にいき、清宮は「全て」をぶつける気でいった。この意識の差が分水嶺になったなと。

これはプロレスに限った話ではないのですが、全てをぶつけるという行為は全て受け止めて欲しいという願望の表れでもあり、謂わば理解を求める行為なのです。それを踏まえると最初の顔面蹴りの時点で勝負は決まっていたようなものというか、ああいうやり方をしたのであれば、試合としては制裁マッチにならざるをえず、キツい言い方をするなら問いに対する解の決まった因果応報なんですよ。王者として相手の全てを受け止める。プロレス帝王学とでもいうべきそれらは作法や美学としてはとても正しいです。しかしながら試合の文脈はそうではなかった。これに尽きます。「次は蹴らないでね」というオカダの言葉は、ひょっとしたらこれを指していたのかもしれませんね。

色々と手厳しいことも書きましたが、まずはちゃんと「決着」を着けたこと。これが本当に素晴らしいですよ。格の差や団体の力関係はありつつも、結果をつけることを恐れなかった。ここにまずは賞賛を贈りたいと思います。

いい経験だ。次は頑張れ。いずれリベンジを。そうした言葉を書くのもいいでしょう。実際、そういう気持ちはあるのですが、やはり完敗は完敗で、完勝は完勝です。勝ちは勝ちで負けは負け。対抗戦とはそういうものです。圧勝や惨敗というプロレスマスコミのセンセーショナルな煽りに与したくはなく、むしろ清宮はその年齢にそぐわないほどのグッドジョブだったと思いますが、対抗戦である以上、負けたリスクとしてちゃんと認識する。それが全身全霊でオカダに挑み、自分の存在証明を賭けてこの大一番を戦った清宮海斗という一人の男に対する、自分なりの礼儀です。男は男として生まれるのではなく男になるのだ、という古臭い言葉があるのですが、武藤引退の日にスタア誕生という甘い話ではなく、これは一つの青春の終わりだなと。清宮に飛ぶ罵詈雑言は見るに耐えないものではありますが、一つ上の評価の壇上に立った証であり、成長物語を好意的に受け止めてくれる人ばかりでないという厳しい現実。この一戦を終えたことで、ようやく清宮がアリかナシかで語れるほどの存在になったことが、今はただひたすらに喜ばしいものです。

そんな失意の前に現れたのはジェイク・リーで、挑戦表明がかなり独特で見入ってしまいました。今までのノアにいないタイプだなというのが初見の感想で、オカダ敗北後で落ちた商品価値に対し、新しいビジネスモデルとして成り替わるという表現は凄く面白いですね。それにしても清宮の少年漫画の主人公感たるや……。ラスボス、オカダ・カズチカに対しての敗北という劇的なストーリーから、全日の太陽のエース・宮原健斗に対して、逆サイドの月として君臨したジェイク・リーと戦うなんて、まさに少年漫画の理想的な展開ではないですか。今までの清宮の王座戦は拳王やジャクモリといった一部を除けば、やはり上の世代や時代といった相手が目立っていたのですが、ここにきて現代へと再び照準を合わせた感じがあり、目が離せませんよね。アフター武藤のあとのNOAHが心配だとは微塵も思いません。むしろこれからが楽しみですよ。清宮海斗は最高のレスラーの一人です。

◼️ シングルマッチ 60分1本勝負
PRO-WRESTLING “LAST” LOVE
武藤敬司 vs 内藤哲也

オカダvs清宮戦に話題性は持っていかれた感はあるものの、こちらはジワジワとその良さがわかる一戦というか、武藤引退という平成という一つの時代の終わりに対して、その平成を走り抜けて夢を叶えた内藤少年の抱いた夢の一つの終わりという物語を対比として持ち出したのは上手いですよね。

当初こそ、内藤か……というようなやや落胆した声こそありましたが、平成プロレスのど真ん中で過ごした世代からすると、今回の内藤の武藤に対する思いはとても感情を投影しやすくて、平たく言えば共感力がめちゃくちゃ高かったんですよね。好き嫌い問わず武藤敬司の影響というのはファンからしても強いもので、そんな中で自分がレスラーとなり武藤敬司と戦うというのはある種の夢の一つでもあるわけです。過去にドームで内藤は武藤に敗北しているのですが、そのリベンジの機会がギリギリで訪れたのは嬉しい反面、そんな瑣末な星勘定に左右されないだけの価値がこの試合にあります。

内藤の特別仕様のコスチュームも良かったのですが、トリの入場を務めた歴代武藤の入場曲リミックスが凄すぎて完全に呑まれてしまいました。あんなの反則じゃないですか!武藤敬司は引退までの2年間、NOAHの第一線で戦い続けましたが、その代償として武藤敬司にあったプレミア感というものは徐々に失われつつあったんですよね。それだけ武藤敬司がノアの日常になっていたということであり、対中邑真輔戦など、入場の存在感で喰われたなと思ったシーンが多かったのも正直な感想としてはあるのです。しかしながら最後の最後で引退というシチュエーションをフルに使い、その存在感を思い出に刻み込みにきた……大袈裟な表現ではなく、魂が震えましたよ。武藤敬司はどこまでいっても武藤敬司でしたね。

試合としては負傷があったわりには武藤敬司はかなり動けていたほうであり、それでいながらも人間・武藤敬司としての苦しさが目立ったような感じというか、同じく膝に爆弾を抱えているとはいえ、現新日のトップ戦線を張っている内藤とのシングルは年齢もあって流石にキツそうではありましたね。多少内藤が調整はしつつも、あの武藤敬司が現代新日本のリズムの中で試合をしているという興奮は確かにあり、要所要所の勘所で見せ場を奪いかかったのは最高でしたね。

やはり試合の一番の見どころはムーンサルトでしょうかね。武藤なら飛びかねないなと思って気が気じゃなかったのですが、二度に渡るトライの結果「飛ばない」選択を武藤はしましたね。潮崎戦で見せた飛ぶか飛ばないかの逡巡のリフレインではあるのですが、あの頃とはまた意味が違っていて、Cyber Fight Festivalで丸藤相手に一度解禁したのもあって、まるで妖刀のように引退間際に再び魔力が宿ってしまったわけなんですよ。つまりは一度は鍵をかけてたはずのムーンサルトの封印が解けかかっていたわけで、誘惑を断ち切り、飛ばないことで改めて「封印」の儀式を行った。僕はそう解釈しましたね。武藤敬司の中でそれを決断したのは、レスラー・武藤敬司だったのか。それとも帰りを待つ家族のいる人間・武藤敬司だったのか……。つまりは「封印再度(WHO INSIDE)」なんですよw(森博嗣脳)これが言いたかっただけですw

対する内藤もスターダストを解禁するかどうかは個人的に注目していて、武藤敬司の膝の具合の次第だと、デスティーノを仕掛けるのが厳しいならこれもアリかと思っていましたが、ここは逆に外れましたね。内藤のスターダストを放つタイミングはフレキシブルかつ計算された無造作な感じがあり、個人的にはめちゃくちゃ好きなんですよ。しかしながらムーンサルトが出ない試合にスターダストプレスが出ないのもまた運命的であり、この選択もまた良かったように思います。逆に内藤が繰り出したシャイニングウィザードは選別としては極上でありつつ、思い出を前にしてやる最上級のプロレスごっこ技で、あれは技の華やかさと精度に相反して、とても感傷的な一撃でした。

最後は一度仕掛けてやや崩れつつも、再びトライして成功したデスティーノで内藤の勝利。普段の尻もち落下のデスティーノと違い、半回転で腹ばいに落ちたデスティーノ。繰り出した内藤も受けた武藤も天晴れです。終わった後の内藤の表情には涙が浮かんでいて、この時点で涙腺はかなりヤバかったですね。そして最高のカーテンコール……かと思いきや、武藤敬司一世一代の仕掛けは最後の最後に起きました。

◼️ 特別試合 シングルマッチ 時間無制限1本勝負
武藤敬司 vs 蝶野正洋

サングラス越しでもわかるぐらいに泣いていた蝶野の表情は、唐突な武藤敬司の対戦要求でガラッと変わりました。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔というのはああいう顔を言うんだなと(笑)あれは完全に不意打ちでしたし、絶対に蝶野が逃げられないタイミングでやりましたね(笑)

もうここからは感情がジェットコースターのようになって過去の思い出が一気にフラッシュバックして、画面を見ているようで見ていなかったですよ。相対する武藤と蝶野。実況は辻よしなりで、レフェリーはタイガー服部。90年代中途からプロレスファンになった僕にとって、ガキの頃に見ていたあの時の光景がそのまま甦ったんですよ!こんなの無理ですよ。後継だけ見たら凄くメモリアルではあるのですが、胸に去来したのはあのとき幾度となく見た武藤vs蝶野の、本当にただなんでもないシーンが一気にブワッと堰を切ったように溢れたんですよね(涙)

冒頭に続き、もう一つ白状すると武藤vs蝶野って僕にとっては「背伸び」の印象が強い一戦だったのです。当時プロレス偏差値が低かったせいか、この試合の価値や良さがわからず、探り合いで唐突に終わった!みたいな印象で。でも二人とも素晴らしいレスラーで好きだったので「何かよく分からないけどこの試合は凄いに違いない!」と無理に自分を納得させていたんですよね。G-1の公式戦だったような気がします。武藤vs蝶野は「通ぶれる」と思っていたんですよ。小学生だったんで。可愛いものでしょ(笑)二人の良さがわかるようになったのは、もう少し先の話です。

蝶野の表情……最高でしたね。杖をつきながらも、リングに上がった瞬間にレスラーとしてのスイッチが入ったというか、あれはやはりプロだなと思わされました。そしてシャイニング式ヤクザキックもそうですが、何よりもSTFですよ。あの、カチッ、カチッ、カチッと三拍子で入るタイミングが当時のままで、この時点で僕はもうダメでした。その後に武藤がタップアウト。技を解いて、背後から抱き合って労う蝶野。もう言葉になりませんね。人によっては単なるエキシビションに見えるかもですが、これはまごうことなき武藤敬司と僕たち平成のプロレスキッズの思い出の終わりでした。

内藤はすっかり前フリのようになってしまいましたが、内藤って武藤のルーツがあるようでいて、実際のスタンスは蝶野に近いと思っていたんですよね。だからこそ引退試合の相手も納得したわけなんですが、実際の蝶野正洋を引退試合のボーナストラックとして選んだことで、令和から平成へとシームレスに時間が巻き戻った気もするのです。内藤の役割は過去への動線、謂わばタイムマシンであり、あらためて引退試合の相手は内藤で良かったと思いました。内藤ってどこか90年代感があるというか、今のレスラーの中で最も色濃く平成の空気感を残しているんですよね。これはとても大事なことなのです。最高の引退試合でした。武藤、内藤、そして蝶野。この3人のバトンは確かに受け取りましたよ。

◼️総括

さて、最後に自分にとっての武藤敬司について語りましょう。

何度か書いた通り、プロレスファンになったのは90年代の途中であり、そんな僕からすると武藤敬司は最初から最後まで伝説のままでした。総合格闘技の風当たりが強くなりつつあった当時、武藤敬司の存在は僕にとってプロレスを信じ続けるためのアジールであり、好きな表現ではないのですが純プロの片翼を担っていたと思います。

武藤敬司は一言で言うなら「俗物の天才」です。60歳のプロレスリングマスターと言えば仙人のような人を想像するかもですが、世俗から離れるどころか平気で俗情と結託し、口を開けば金に名誉と俗物根性丸出しなあたりが凄く好きです。その反面、私生活はストイックでありながら、そこに悲壮感や哀愁は微塵もなく、ひたすらに明るくプロレス LOVEを邁進する。超人的な底抜けの明るさと、俗物的な感情が同居した、不世出の怪人だとも思うのです。色々と物議を醸した発言の数々も、アイドル的な人気があった過去を思えばそこまで不思議でもなく、むしろ年齢関係なく今でも自分が通用するアイドルだと信じ込んでる強さがあり、それが武藤の最大の魅力と言っても過言ではないかもしれません。

ここまでスターという言葉が似合う人間もそうはおらず、武藤敬司以上に天才という言葉が似合うレスラーもそうはいないでしょう。間違いなく時代の寵児で、引退するその日まで武藤敬司は現在進行形の伝説でした。武藤敬司選手、本当にお疲れ様でした。僕にとっては子供の頃から変わらない永遠のスターであり、レスラーとしての憧れです。





こんな感じになりますかね。3試合しか書いてないのにこの長さ……。もう少し文字数考えて削れたらなと思いつつ、書いているとついつい長くなってしまうんですよね。武藤敬司という一つの時代が終わりを告げ、武藤敬司以前と以後に分かれてしまったかもしれません。武藤のいないプロレス界が寂しくないように、これからもプロレスに夢中になり続けることをここに誓います。ではでは、今日はここまで。