日常の謎②〜コンビニトイレ事件〜

「ちょっとトイレ行ってくるわ」
コンビニに着くなり、友人Aはそう言って車から出ると、足早にトイレへと駆けていった。よほど我慢していたのだろうか。手持ち無沙汰になった僕は、雑誌コーナーの前に立ち、適当な雑誌を広げて時間を潰すことにした。ファミレスで二人して飯を食い、だらだらととりとめもないことを喋っていたらいつのまにか日付が変わっていた。そして友人を送りがてら、途中にある行きつけのコンビニへと車で足を運んだというわけだ。二人とも手ぶらで、深夜のコンビニに立ち寄るという明日を考えない気楽さは、大学生だった頃を思い出して少しだけ懐かしい。

深夜1:00のコンビニには、僕ら以外に客は一人しかいなかった。店内にはベテラン店員と思わしきおばちゃんと、そのおばちゃんと何やら熱っぽく話し込んでいる常連客と思わしき少女。そしてカウンターの奥には私服姿の壮年の男性が一人、所在無さげに佇んでいる。立ち読みを続けるのも気が咎めたので、店内を見渡していた所、その男性と目が合ってしまった。男性は軽く会釈をし、そのままレジへと立った。私服でカウンター内に立っても許される立場から察するに、この店のオーナーかもしくは店長なのだろう。なんとなく気まずくなったので、広げていた雑誌を閉じ、本棚に戻すと僕はレジへと歩いて行った。入店したら何かを必ず買う。マナー代わりのマイルールは無駄遣いの遠因でもあるのだが、友人がトイレに入ってる現状、咎める人間は誰もいない。店員のおばちゃんにアイスコーヒーを頼む。「今日は暑いですね」「そうですねえ」そんな記憶にも残らない適当な雑談をした後、アイスコーヒーを受け取り、氷のぎっしり詰まったカップを揉み崩しながら友人を待った。

5分。10分。刻々と時間だけが過ぎていく。飲み物片手なので先ほどのように立ち読みで時間を潰すわけにもいかず、そもそも立ち読み自体あまり褒められた行為でもない。座ってくつろげるイートインも店内には見当たらないため、僕は雑誌コーナーのタイトルを目視で流したり、陳列されてる文房具等を眺めながらひたすらに友人を待っていた。

それからさらに10分が経過した。友人Aがトイレに行ってからかれこれ20分が経つ。友人Aのトイレが長いのはいつものことだが、だからと言って慣れるわけではない。居心地の悪さを感じていた。その時だった。

「すいません……お連れ様、随分と長いようですが、倒れたりしていませんか? 救急車とか呼びましょうか?」

急に背後から声をかけられ、驚いて僕は振り返る。おずおずと話しかけてきたのは、先ほど私服で会釈してきたオーナーであろう男性だった。態度こそ慇懃ではあったものの、その断定的な口調と救急車というやや飛躍したその申し出に、僕は面食らった。

「いえ、大丈夫です。長くて申し訳ありません」
「ひょっとしてお酒でも……」
「いえいえ、酔っ払っているわけではないです。ただ、ちょっと長いだけで……」
「すいません。深夜で長時間トイレをご利用される場合、こうしてお声かけをする手筈になっておりますので……」

オーナーの男性は訝しげな表情を崩しはしなかったが、一応の説明に納得したのか、そのまま引き下がっていった。まったく、なぜ友人のトイレの弁護を僕がしなければいけないのだ。軽い憤りを感じながらも、迷惑をかけていることに変わりはないため、いたたまれなくなりながらも、早く出てきて欲しいと僕は切に願った。店の奥まった所、雑誌コーナーの隅にあるトイレの方を見ると、先程おばちゃんと話していた少女が女子トイレへと向かっているのが見えた。女子トイレのドアの開く音。しかし対面の男子トイレのドアは相変わらずかたく閉ざされたままで、友人は一向に出てこない。

それからさらに数分後。再びオーナーが声をかけてきた。

「あの、すいません」
「申し訳ないです。電話で呼びます」

オーナーの返答を待たずに、僕はスマホを取り出した。流石に誤魔化すのも限界だった。いくらなんでも長過ぎる。数度鳴らすが出る気配はない。

「ノックしてきていいでしょうか?」
「あ、はい」

しびれを切らせたのか、オーナーは急いでトイレへと走って行き、止める術を僕は持たなかった。

「すいません。大丈夫ですか? 体調とか問題ないですか?」

2〜3回の控えめなノックの後、オーナーが扉の前で問いかける。慌てた声が聞こえたが、ここからでは内容は窺い知れない。ただ、いきなりのノックに焦ったのは事実であろう。ノックして1分も経たない間に、友人Aは慌ててトイレから出てきた。

「どうにも便秘気味で……すいません……」

顔を真っ赤にしながら、友人Aはしきりに頭を下げる。手を洗い、詫びの印なのか、それとも僕と同じマイルールなのか、手近にあった清涼飲料水のボトルを抱えて足早にレジへと向かっていた。レジに戻ったオーナーの前で、友人Aは小銭を取り出しつつ、あらためて謝罪した。

「本当に申し訳ありません」
「すいません。こちらもマニュアルで決まっていまして……」

オーナーもそう返しながら、手早く会計を済ませる。入り口付近で成り行きを見守っていた僕もレジへと頭を下げながら、二人して小さくなりながら店から出た。

「トイレ長過ぎるよ。迷惑かけたし、もう深夜にこの店に行けないじゃないか」
「ごめん。本当にごめん」

行きつけだったのに。車に乗り込みながら怒る僕に対し、友人Aは申し訳なさそうに頭を下げる。車のエンジンをかけた時、店内のガラス越しに、オーナーが雑誌コーナーを横切ってトイレの方向へと足早に走って行くのが見えた。僕たちは申し訳なさを抱えながら、深夜のコンビニを後にした。

僕自身、コンビニのトイレを利用することはよくあるので偉そうな口を聞ける立場ではないのだが、なにぶん注意をされたのが初めてだったので、その気まずさも手伝ったのだろう。運転しながら話してはいたものの、少々語気が荒くなっていたように思う。ただ口論にはならず、二人とも迷惑をかけたという見解だけは一致しており、これからは気をつけよう。そんな風に話がまとまった、はずだった。

運転しながら、先ほどの出来事を反芻する。生じた違和感に、僕はふと考える。急に言葉少なになった僕に友人Aが言う。

「……怒ってる?」
「いや、怒ってはないのだけど、少しだけ気になることがあって」

クレームをつけたいわけではないが、先ほどのオーナーのやや過剰とも思える注意にやや引っかかるものを僕は感じていた。

「さっきのオーナーの反応、何か変じゃなかったか?」
その言葉に、友人Aも考え込む。実は友人Aもコンビニ店員であり、だからこそ、注意されたことを内心かなり気にしていた。僕もかつては接客業であり、接客業経験者は同業者に気を使う傾向にある。

「言われてみれば、少し過剰だった気がする。確かに深夜帯で、長時間のトイレ利用があった場合、俺でも気にはする。ただ、今日より長い時間トイレに篭っていたことはあるし、同じ時間帯の別店舗では特に何も言われることはなかった。威張れることではないが」

これからは気をつけるよ、そう付け加えるのは忘れなかったものの、友人Aもオーナーの態度に若干の違和感を覚えていたようだ。 友人Aは言葉を続ける。

「まず疑問な点が1つ。確かに深夜帯のマニュアルという、オーナーの言葉は嘘じゃない。ただ、それはあくまで口実で、真意は別にあったんじゃないか?」

マニュアル重視で、融通の利かない店員がいることは、接客業経験者である友人Aからすればよく分かることだ。しかし、

「規則に厳しく、マニュアル重視ならば、エプロンをつけずに私服で応対をするのは少しおかしいね」
「確かにそれはそうだし、バイト店員クラスならありえないけど、オーナーならそういうこともある。あと付け加えるなら、トイレ掃除の時はエプロンを外すぞ」

流石に現役のコンビニ店員というだけあって、友人Aは目敏い。

「トイレ掃除のために早く追い出したかったとか?」
「それはおかしい。トイレ掃除は別に厳密に時間が決まっているわけじゃないし、見た感じ他に客もいなかった。急がなくても掃除は後に回せる。そうじゃなくて、オーナーがトイレを我慢していたんじゃないか? それならエプロンを外していたのも、トイレに行くためだから理解できる。女子トイレが詰まっていて、男子トイレしか空いてなかった。そこに俺が入っていたから、追い出したかったのかも」
「それはありえないよ」

トイレに篭っていた友人Aは知らないが、オーナーがノックする前に、店にいた少女が女子トイレに行くのを僕は見ている。それまでは女子トイレは無人だったはずなので、我慢するほどなら客の少女が向かう前にオーナーが先んじてトイレを借りているだろう。客ならば女子トイレに入るのには緊急事態でも抵抗はあるが、店員で、さらに漏れそうなら迷いなく女子トイレに入って用を足すだろう。店員のおばちゃんが店内にいた上、客は少女を除けば僕ら以外にいなかった。ワンオペではなく他にレジを任せられる人間がいる以上、仮にトイレを我慢しているのならば、一時的に席を外すぐらいはわけはないはずだ。

「声かけマニュアルがあったのはAの言う通り間違いないと思う。ただ、僕らが出て行った後に、すぐにトイレの様子を見に行ったのが気になるんだよ

僕が疑念を抱いた最大の理由がそこにあった。単に注意をしただけなら、僕らが出て行った時点でその目的は達成している。その後にトイレに走って行ったということは、他に何か確認しなければいけない理由があったと考えるのが妥当だろう。

何か疑われていたんじゃないか?」

友人Aの言葉が、僕たち二人の疑念の方向性を明確にした。そう、僕らは疑われていたのだ。迷惑をかけたのは事実だが、その迷惑の範囲に収まらない、何かしらの決定的な誤解があった。それがこの収まりのつかない後味の悪さに拍車をかけていたのだ。

「俺の入ったトイレには壁際に緊急呼び出しボタンがあった。なので何かあれば押すはずだ。ただ、オーナーが危惧した通り、酔っ払っているならば押せないし、トイレで倒れているかもしれないと心配するのは理解できる」
「でも僕はオーナーと話した時に、Aが酔っ払っている可能性は否定したよ。それにオーナーだけでなくおばちゃん店員とも話したわけだし、疑われるのはちょっとなあ。加えて、それなら用を足し終わった後にトイレをすぐに確認に行くのは引っかかる。酔っ払いだと誤解されているのなら、トイレから出した時点で目的は達成しているわけだから。まあ酔っ払いであることはすぐに否定はしたんだけど、そんな言葉、信じられないと言われたら返す言葉もない」

愛想の良かった客が問題を起こした事例は沢山あるし、客の言葉を真に受けて痛い目を見たことも何度もある。それが頭によぎればよぎるほど、自然と声のトーンが下がっていく。オーナーが疑うことに、責める道理はないのだ。接客業なら仕方がない。

「お前は運転手だから素面なのは間違いないだろう。だが同行者はそうとは限らない。なので泥酔の可能性を気にしたのは理解できる。これは仮説なのだが、トイレが詰まりやすかったんじゃないか? これは経験なのだが、嘔吐物って、結構詰まりやすいんだよ」

確かにそれなら、飲酒の話を出したのも理解はできるし、不自然なほどに長いトイレの後に気になって確認しに行くのも理にかなっているように思える。

「ただ、それは泥酔を前提にした話だ。Aもオーナーと話したから素面であることが証明されたはず。だから、その後にトイレの様子を見に行くのはやっぱり妙なんだよ」

僕だけでなく、友人Aもトイレから出た後に、謝罪という形でオーナーとは話している。酔っ払っていたのではないことは、呼気の匂いや振る舞いでその時に分かったはずだ。会話をしたのはトイレのドアの前であるため、個室の中の様子はオーナーからも見える。酔っ払った結果による嘔吐なら臭いもあるしすぐに分かったはずだ。なので吐瀉物を気にしたというのはどうにも腑に落ちない。

「じゃあトイレの呼び出しボタンが壊れていたというのはどうだろう? 普通は業者に頼んで直すのだが、店側で自力で直した。だからこそ呼び出しボタンに信用がおけず、気になっていたというのは?」

なるほど、本来こういう自体を防ぐための機能に問題があったから、呼びかけとノックという古典的な方法に頼らざるを得なかった。そう友人Aは言いたいのだろう。

「でもそれはおかしい。仮に自力で修理したのなら、絶対にやるはずのことがある。直ったかどうかのテストだよ

さらに言うなら、呼び出しボタンが壊れていたのならそうした注意書きが貼ってあるはずだ。また詰まりやすいことを認識しているのならば、やはり注意する貼り紙があると考えるのが自然である。しかしA曰く、そんなものはどちらもトイレにはなかったらしい。

「だとするとトイレへの悪戯か。深夜帯に、ひょっとしたらトイレへの悪戯があったのかもしれない。それで警戒していたのかもな。エプロンを外していたのは休憩中だと考えても、オーナーなら事務所で店内の監視カメラを見るぐらいはするだろう。でもトイレへの悪戯は大抵個人の犯行なんだよな。二人組でやるというのはあまりない」

友人Aの言う通り、それは一番に考えた可能性の一つだが、それなら二人組よりも個人の方を先に疑うだろう。それよりも、二人なのに疑ったという事実の方が気になってしまう。

残った可能性は一つ。そしてこれは、あまり考えたくないことだった。仕方なく、僕は口を開く。

「防犯の線が一番可能性が高いのは間違いない」
「盗撮とか?」
「共用ならともかく、男子トイレだからなあ。男子トイレの盗撮も無いとは言わないけれど、注意するなら女子トイレのほうだろう」
「だとしたら盗難か。トイレットペーパー、洗剤、芳香剤。ああいうのをちょろまかす奴は多いと思う」

二人組でも起こる可能性のある犯罪と、それに対する警戒。そう考えれば疑われるのも理解できる。僕は店員であるおばちゃんと会話していたが、店員の注意を引きつけているうちに残った一人が盗むというのはよくあることだ。

「だけど僕たちは手ぶらだ。鞄を持っていない。トイレットペーパーも芳香剤も洗剤もそれなりに大きい。盗んでも持ち出す時に隠す場所が無いだろう。冬なら上着に隠せるけど、今は夏で僕たちは薄着だ。それに盗むならなるべく迅速に。時間をそこまでかけないはずだ」
「それはあくまでトイレにあるものの話で、書籍とかならどうなる?付録なら取り出すのに時間がかかるぞ」
「監視カメラがあるだろう。死角はあるだろうけど、僕らが入ってしばらくしてオーナーは事務室から出てきた。もし疑っていたのなら、奥で確認していたはずだ」

もし盗難を疑っているのなら、入店の段階でマークするのがセオリーである。しかしオーナーが気にしていたのは、トイレに入っていた時間なのだ。個室で何かが行われているのではないか。そこに疑いの根拠がある。長時間のトイレ……。盗難……。

盗電だ
「充電器か!」

そう、トイレにあって、長時間かけなければ盗めないもの。それは電気である。ウォッシュレット。ハンドドライヤー。それらのコンセントを引き抜けば充電は可能である。そして充電は時間をかけなければ行えない。

「なるほど。充電器ならポケットに入る大きさだし、慌ててトイレから出たのなら証拠隠滅も難しい。加えて、ハンドドライヤーやウォッシュレットはコンセントを抜いて挿せば元に戻るものばかりではないし、設定しなければならないものもある。つまり、話をまとめると以前に盗電の痕跡があった。そしてそれは深夜帯だった」
「だから僕らが疑われたわけか」

納得のいく推理はできたものの、後味の悪さと迷惑をかけたという後悔は消えない。潔白だからと言って居直ったり、疑われたことに憤りを感じるほど、僕らはもう若くはない。大学生のように遊び歩いても、僕らはもう大人で、そんな時にも働いている人間はいる。友人Aを家まで送り届けた後、接客業の大変さを噛み締めながら、僕は帰路についた。

後日、そのコンビニに訪れた際、僕はためしにトイレを借りてみた。トイレのウォッシュレット。そのコンセント部分に、盗電防止の鍵付きのセキュリティカバーが付けられていた。「いつもトイレを綺麗にご利用いただき、ありがとうございます」真新しい張り紙を見て、僕はコンビニ業務の過酷さに想いを馳せた。