乱入作法〜EVILの介入・反則についての個人的見解〜

EVILが王座に絡むたびに定期的に出てくる話題ではあるのですが、少し前から新日低迷論として語られることが増えましたね。当noteでも試合寸評の形で何度か触れたことのあるテーマなのですが、これ一本で記事を書くのは初めてです。そういえば真正面からこの問題について語ったことがないので、私見を交えつつEVILを巡るダークネスな騒動とその理由を紐解いていきたいと思います。


◼️ワンパターンと言われることについて

EVILの介入や反則に対して、最も多いであろう批判の一つがそのワンパターン性です。「介入はもう飽きた」「反則ばかり」という声に代表されるように、観客の反応は怒りを通り越した「萎え」の段階に達しており、そうした落胆の声は枚挙にいとまがないほどです。

ただしここで注意したいのは、何も批判する人間の全てが乱入や反則を許さない潔癖な人間ではないことで、例えば他団体の超大物による乱入劇には誰もが湧き立つでしょうし、反則もベビーの衝撃的なヒールターンという文脈なら、喝采を持って迎え入れることでしょう。あまり書きたくない事柄なのですが、EVIL=介入・反則という方程式そのものを嫌がっているのであり、その根拠としてEVILの「ワンパターン性」を挙げているのが正確な所だと思われます。

ではEVILの無法ファイトの数々は本当に「ワンパターン」なのでしょうか?特に批判の多い終盤戦の悪の方程式を細かくレイヤーで分けてみましょう。

・能動的なレフェリーダウン
・椅子攻撃、ベルト攻撃等のEVIL自身の凶器攻撃
・ディック東郷のスポイラーズチョーカー
・邪道、外道、裕二郎等の第三者の乱入
・金的攻撃
・場内暗転


こうして見ると、単なる反則・介入といってもそのバリエーションは多岐に渡っており、一人悪の総合商社とでもいうべきバリエーションの多さですね(笑)EVILの反則はほぼ終盤戦に集約されてる関係上、それ自体がクライマックスの呼び水であり、単なるワンパターンというわけではなく、この手札から状況に合わせて適宜カードを切っていると言ったほうが正しいですかね。これらはゲームでいうところの高難度のギミックボスといったカテゴリに近いもので、対策必須なこれらの即死攻撃から、どう対戦相手が生還するかというアトラクションに近いものだと個人的には認識していますね。味方側の乱入による対抗は、コンティニューやサポートキャラのようなものだと思えばいいでしょう。とはいえ、これで嫌われるなというのも難しく、この手のボスはクソゲーとして嫌われるのが世の常であるので仕方ないとは思うのです(笑)ただ、全てを反則・介入として一括りにしてワンパターンで処理してしまうと、こうした展開になった瞬間に「萎え」てしまうので、EVILの攻撃をパターン分析してクライマックスになった瞬間に、脳内でその手札を一つ一つ消していけば、それがEVIL側の「残機」として判断できますので、ある程度はEVILの試合も楽しめるかもしれませんよ。

これは以前も書いたことなのですが、元々EVILは序盤戦〜中盤戦にかけての小技が意外と上手い反面、終盤戦の展開力に難のあるレスラーでした。フィニッシャーであるEVILの一撃性とそれによるジャイアントキリングを担保にする代わりに、オカダのツームストン、内藤のコリエンド式デスティーノやバレンティアといった、フィニッシャー前の大技の畳み掛けをやらず、その一撃必殺であるEVILを凌がれた後はどうしてもラリアット一辺倒になりがちという悪癖があったわけです。ヒールターンによる反則三昧は、その終盤戦の難点を補いつつ、展開力を持たせたのではというのが私見になりますかね。

まとめるなら、EVILの反則・介入のオンパレードというのは事実でありながらも、イメージによる部分も非常に大きく、またEVIL自身も団体側も率先してそのイメージをつけようとしているフシもあるので、多少惑わされているのでは?ということになりますかね。ただこれだけでこの悪評を完全に分析したとは言えません。EVIL自身、無敗というわけではなく、負ける時はしっかりと完敗しているわけで、それならそこでひと段落ついているはずなのです。なのになぜ、昨年から今に至るまでこの評価が継続しているのか。お次は技としてではなく、シチュエーションの問題として分析してみましょう。


◼️ベビーフェイス側のカタルシスの弱さ

EVILの乱入・反則は昨年からの継続ではあるのですが、そうした「負」のイメージと比較して、ベビー側の勝利という多幸感の「正」のイメージは驚くほど少ないです。大きなものでは2020.8.29の神宮でのEVILvs内藤戦後の打ち上げ花火、細かな所ではG-1でのvsザック戦、vs矢野戦等の一発逆転のフォール勝ちぐらいでしょうか。端的に言うなら、ヒールに対抗するためのベビーの光が絶対的に足りないのです。これは単に会場人気No.1、ファン人気No.1のレスラーを当てればいいという単純な話ではなく、「正義は必ず勝つ」をちゃんと体現しなければいけないのです。

そしてそれは試合結果以外にも、試合のクオリティにも直結してくるわけです。EVILの反則・介入の嫌なイメージはすぐに思い浮かんでも、それを払拭するベビー的多幸感に満ち溢れた現場で、かつEVILが関わった試合となると非常に少なく、すぐには思い浮かんでこないんですよ。vsEVIL戦はそこそこの好勝負こそあれど、いまだ名勝負と呼ばれる類の試合はないんですよね。語り継がれる名勝負で勧善懲悪が実現していれば、今ほど叩かれてはいなかったようにも思います。

そうした状態が続いたせいか、EVILに対するヘイトが臨界点を超えてしまい、これらの悪行を一括返済するだけのベビー側のカタルシスを出すのはかなり困難になってしまいました。それはある意味EVILのやっていることが「一線を超えている」ことの証左でもあり、だからこそ批判が根強いのではないでしょうかね。


◼️完全決着戦ではないエンドレスの抗争

上記に関係することなのですが、EVILとの一連の抗争において完全決着がないというのも渦巻くヘイトの理由に挙げられるでしょう。今までのEVIL相手の勝利は大逆転という文脈が多く、それらはあくまで試合に対しての勝利という意味しかありません。これらの悪行三昧に対しての成敗になったかと言われれば疑問が残りますし、制裁マッチめいた文脈の試合もまた存在しないのです。そしてEVIL自身も当人の人格を封印した「共感されない悪役」に終始しているせいか、イデオロギー闘争もやりにくく、EVIL一個人に関わってくるストーリーとしての深みに欠けている部分が大きいのです。だからキャラクターvsキャラクターとしての遺恨の精算にはならず、試合決着という区切りはあっても、エンドレスに抗争が続いている印象があり、それが度重なる反則のワンパターンイメージやスッキリしないことの遠因ではないかと思われます。EVILって、個人というよりはもはや「現象」であり、悪そのものなんですね。

たとえば、ユニットメンバーを乱入させるのなら、そのままユニット同士の一大抗争に発展してもいいわけです。しかしながら乱入に対抗しての助太刀といった形や、互いにパートナーを連れてのタッグマッチという表層的な部分でしか消化されず、互いのユニットの存亡を欠けて争うような、謂わば敗者ユニット解散マッチのような大掛かりな試合にはならないわけです。もちろん、やれない理由も分かります。ユニットが固定化されて数年経ち、それがアイドル的な消費のされ方をしてたり、見る側の色分けとしてしっかり機能していることを思えば、そうした大博打は打ちにくく、そんな試合のためにユニットを賭けて欲しくはないでしょう。それ以外だと大流血による制裁などが挙げられますが、これも今だと難しいでしょうね。

あくまでこれらは一例であり、つまりはEVILの「悪行」に対してのストーリー展開の幅は驚くほど狭く、発展性がないのが恐らく「マンネリ」と言われてる部分の正体ではないですかね。

今後仮にこの路線を続けるのであれば、vsEVILにはストーリー面での補強が必要となります。なんならワンピースのデイビーバッグファイト編のような(あれは評判は悪いのですが……)変化球や、EVIL自身の心情の吐露によるイデオロギー闘争など、悪行が単なる悪行で終わらない、何かしらの理由が必要になってくるわけです。もしくは誰が見ても分かる形での文句の出ない完全勝利。そうした形で見る側の意識を変えていかないと難しいのではないでしょうか。EVIL自身、それを熟知しているからこそ受けっぷりの良さには定評がありますし、またvs矢野戦のようなコミカル方面にも触れていってるわけですよ。EVIL自身、他のトップヒールと比較するとチープな部分はあるのですが、それが上とも下とも戦えるちょうどいい格になっていますし、あとはそうした悪行の幅をどう拡張していくかが今後の見所だと思います。

◼️ヒールの絶対数の少なさについて

こうして色々と振り返ってみると、EVILが嫌われているのは当人の問題である以上に、ヒールとしての役割の重さもあると思うのです。反則のバリエーションの多さを見ても分かる通り、悪に対する批判を一身となって受けているのは、何を隠そう他に悪役がいないせいでもあるんですよね。これは立ち位置ではなく消費としての問題で、ちゃんと「嫌われようとしている」のは現状ではEVILしかいないわけなのです。

一時的なスタンスとしてヒールっぽく振る舞う選手は多くとも、キャラクターとしての消費のされ方はアンチヒーローやダークヒーローのそれであり、それは「敵役」であって「悪役」ではありません。ヒールターンした当初は誰でも、それこそタイチやプリンス・デヴィッド、内藤も乱入や反則をやりまくることで「悪」の色付けをやってきたわけですが、ファンがつき、そのキャラクターが定着するに従って徐々に上記のアンチヒーローとしての側面を強めていき乱入や反則はなりを潜めてしまったわけです。その方法論を否定はしないのですが、それだと最終的に単なる立ち位置の違いでしかなくなってしまい、ヒールとしての「消費期限」は驚くほど短くなってしまうんですよね。そうした中で乱入や反則をやり続けることで、安易にファンに迎合せず、ヒールで居続けようとした気骨はもう少し評価されてもいいのではと思ってしまいます。

◼️新日はなぜこの状態を続けているのか

よく言われる批判の一つに「なぜ新日は乱入劇を繰り返すのか」というのがあるのですが、これはある程度明確な意図があってやっていることだと思います。もちろん、僕は新日の中の人ではないですし、その意図が全て成功しているとも思ってないわけですが、しかしながら、常識的に考えればこれだけ批判が多いことを新日が分かっていないはずがないんですよ。周りが過少評価するほど新日という団体は馬鹿ではないのです。前述のヒールターンの消費期限の問題に対する実験的な解答のような気もしますし、ジャイアントキリングができつつ、下に負けても格が下がらない、謂わば格が高すぎず低すぎずマッチメイクのやりやすい絶妙な悪役というスタンスのEVILを、便利に酷使しているという見方もできますね。

安易な刺激策に流れているという批判も見ましたが、そもそもあれだけの選手を抱え、様々な試合スタイルを見せられる懐の深さのある団体が、わざわざそんなことをする必要もないでしょう。タレントが足りていないわけでもなく、鉄板な黄金カードがいくつもある以上、それをやり続ければいいだけの話です。

現に新日が全く考えてないことに対する反論に、世界ヘビー級王座戦線は昨年の反省を踏まえてなのかベストバウト路線への移行が挙げられますし、批判の多かったEVILのドームでの襲撃も、鷹木のマイクが終わった後のプロモによる通達と、攻撃ありの挑戦表明であって、乱入と呼べるものではありません。バッドエンドというかto be continuedの範囲だと思います。直近の鷹木vs裕二郎戦の乱入も、幕切れこそあっけなさがあり、せっかくの裕二郎のシングルという個人闘争を王座戦の前哨戦にしたセンスはつまらないなと思ったのですが、普通に考えれば王座戦が決まった中でバレクラの一員とやるわけですから、介入がないと考えるほうが不自然ですし、また行われたのはセミなのでバッドエンドというわけでもないんですよね。

つまりはファンの反応を見つつ試行錯誤している感じでもあり、個人的には大荒れだった昨年を丸々「失敗」としてEVILを王座戦線に絡ませないようにするのは避けて欲しいなと思っていたので、今回の王座挑戦は一安心したというのが正直な所です。NJCのシリーズを丸々使ってオカダ、内藤を2タテしての戴冠という「投資」はまだ回収しきれていないですからね。あとは観客の反応次第で、ヒールであり続けるために根付いてしまったEVIL=反則・介入というイメージを、どう払拭させつつ部分的に受け入れさせるかというのが気になっている所ですね。





今回はこんな感じでしょうか。EVILに関してはわりと掘り甲斐があるので個人的には好きですし、反則・介入は上記の高難度ギミックボス理論でわりとワクワクしながら見てます。その反面、怒らせようとしてやった行為に対し怒るのは当然の反応だと思いますし、また反則をやるならば絶対に勝たなければいけません。破れば勝てるからこそルールがちゃんとあるわけですし、単なるリングの登場人物としてではなく、厳格なレフェリングがあってこそそうした側面も浮かび上がってくるわけです。

鷹木vsEVIL、鷹木の発熱でやや黄信号が灯っていますが、ロスインゴとしての因縁は思った以上に薄く、また「名勝負製造機」である鷹木がどのような「完全勝利」を見せるのか。かなり気になってきますね。またEVIL自身も、昨年のEVIL政権が単なるフロックではないことを証明する戦いになりますし、これだけの批判がある以上、EVIL自身もまた後のない戦いとなります。どうなるかまだわかりませんが、注目して見ていきましょう。ではでは。

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