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末木文美士『死者と霊性の哲学 ポスト近代を生き抜く仏教と神智学の智慧』(朝日新聞出版、二〇二二年一月)

※ 『比較思想研究』(49), 156-157, 2023に掲載された紹介文を転載します。

「願わくば、軽小な今日の文化と正反対な本書に食らいついてくださる読者が一人でも多からんことを」(「あとがき」)という挑発に見られるように、本書は「西洋」的な合理主義、普遍主義に染まった我々読者、そして我々の社会に対する挑戦状である。

本書の特に前半では、かなりの紙幅を割いて、筆者(末木氏)の「西洋近代」理解やその哲学的・思想的背景、日本における「西洋近代」の受容、そしてそれが崩壊したあとの「ポスト近代」的な現況が概観されている。率直に言って、この概観は(新書というメディアの特質があるにせよ)ステレオタイプすぎるように思われる。日本仏教思想史研究において、それまで注目されることのなかった学僧などに光を当てることで日本仏教の多様性を明らかにし、その多様性を尊重しながら総体的に把握することを提唱してきた筆者の研究に触れてきた評者(師)としては、相当な違和感を覚える。

しかし一方で、評者は、筆者の哲学者としての側面も知っている。筆者は『現代仏教論』『冥顕の哲学』などを通じて、膨大な日本仏教思想史研究の蓄積のなかから、現代社会という現実(本書の言葉を使えば「公共的な世界」)での実践につながるような理論を見出すことができないかを模索し続けてきた哲学者であった。本書でも議論されているように、筆者は死者や神仏を含む「他者」を組み込んだ哲学や、菩薩の倫理学などを練り上げてきた。それを社会における実践にどのようにつなげるのか。その回路として見いだされたのが、本書で大きく取り上げられる「霊性」や神智学である。

本書のなかで筆者が「私はこれまでの著作でこの言葉を使うことを避けてきた」(119頁)というように、神智学などの伝統にある種の危うさを直感してしまうことは、おそらく誤っていない。一方で神智学は、本書で指摘されているように、ユネスコ憲章前文の「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という考え方の背景にもなり、現実の社会における実践につながっている。筆者はここに「もう一つの近代」を実現し得る「東西の融合の中から生まれた霊性的な普遍主義」(270頁)の可能性を見出している。本書前半のステレオタイプ的概観は、この「もう一つの近代」を浮き彫りにするための〝方便〟であると考えるべきか。

本書の白眉と評者が考えるのは、第九・十章で展開される日本国憲法をめぐる議論である。この二章では、ここまでに展開されてきた「もう一つの近代」の哲学を憲法に組み込むことが提案されている。言うまでもなく日本国憲法は、日本社会における社会実践に大きな影響を与える。これを新しい「霊性的な普遍主義」に基づいて書き換えるべきだ、という本書の提案は、末木哲学の一つの完成形と言えるのかもしれない。


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