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反・自殺論考 2.3 自殺しかけたヴィトゲンシュタインの前半生

ヴァイニンガー

論理と倫理は結局、同じものである。──つまり自己に対する義務である。

 有名な『論理哲学論考』の一節である。
 そう言われたら信じそうになるが、現代では無名の『性と性格』という本の一節である。
 著者はオットー・ヴァイニンガー。
 ヴィトゲンシュタインが生まれた十九世紀末、ハプスブルク家の治下で成熟した文化が衰亡し、画家のクリムトや建築家のアドルフ・ロースといった新進の芸術家が輩出し、しかし社会と人心は頽廃し、ほどなく始まる世界大戦で敗れて解体されるオーストリア=ハンガリー帝国の首都であり、他の他民族国家の行く末も暗示する「世界破壊の実験室」と云われた街、ウィーンを象徴する思想家の一人である。
 ただし、こうした「破壊」の印象を世紀末ウィーンに付与し、百花紊乱のイメージを植え付けた一人でもある。

 そんなヴァイニンガーが「頽廃」の元凶と見なす「男女間の相違の心的諸問題を解明し、あらゆる女性の問題に決定的解答を与えたと信ずる」と謳った本、それが『性と性格』であった。
 人間を男性と女性に分け、論理及び倫理的に己を律する義務を負う男性を賛美し、そうでない女性を「論理的思考力がない」「倫理観がない」「宗教心がない」「性欲そのもの」「無」などと貶める彼の持論が徹底して説かれ、今の世なら出版不可になること確実のトンデモ本である。

 もっとも、ヴァイニンガーのいう「女性」は、あくまで概念の「女性性」である。
 つまり現実の女性全般のことではなく、男性の中にも忌むべき女性的な人間は存在し、ユダヤ人は全員そうであるとも述べられているから、ユダヤ人の同性愛者である著者の自分自身も正にそうなのだ、という含意も行間からは読みとれる。
 それでも現代では世界中の大半の文化圏で、論理的にも倫理的にも容認されえない主張であろう。

 しかしながら『性と性格』が注目を浴びたのは、その過激な内容よりも、著者の自殺だった。
 発刊から四か月後の1903年10月3日、ヴァイニンガーはウィーン市街のアパートメントの一室で、自らの胸を拳銃で撃つ。
 その部屋は、彼が「天才」と称えたベートーヴェンの終の棲家だった。
 ヴァイニンガーの死はセンセーショナルに報道され、それは彼の主義主張の論理的帰結にして、死すべき女性的人間が実践した倫理的な英雄行為、などと讃える声もあり、国内だけでなく他国でも本が売れに売れた結果、感化された人間の自殺が相次いだと云われている。
 これまたヴァイニンガーに天才の一人として称えられたゲーテの小説『若きヴェルテルの悩み』に感化され、ヨーロッパ中で若者の自殺が急増した、いわゆる「ヴェルテル効果」が引き起こされたのだ。
 ちなみに1980年代、自殺予防協会がマスメディアに対するガイドラインを策定し、世界に先駆けて自殺に関する報道が禁止されたことで、自殺率が減少した国が他ならぬオーストリアだった。

 我らがヴィトゲンシュタインもまた、ヴァイニンガーに感化された人間の一人である。
 彼の自殺には「動揺した」と友人に語っており、私的なメモでも「影響を受けた」人物としてボルツマン、ラッセル、ロースらとともに、ヴァイニンガーの名を挙げている。
 思春期のみならず、生涯を通じたヴィトゲンシュタインの人間形成に最も寄与した本は『性と性格』である、という見方すら可能である。

 ただしヴィトゲンシュタインが最も強く影響を受けたのは、件の「女性論」よりも、ヴァイニンガーのもう一つの根本思想である「天才論」であろう。
 ベートーヴェンを始めとする世の天才を、女性の対極にある存在として讃美し、彼らのように偉大な仕事を成し遂げて、己の義務を全うする人間だけに生きる権利がある。
 
 だから天才でなくば、死ね!
 
 というこれまたトンデモな極論である。
 ユダヤ人に天才はいないと断言し、己が邪悪になったら赴く「立派な男の退場門」が自殺である、と明言した著者による劇的な有言実行とも相まって、これまた本の行間から極論を読みとる人間が続出した。
 その一人が、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインだったのである。


ヴィトゲンシュタインの前半生(4)「天才か、死か」に続く

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「良いプレゼントを贈るのにお金を沢山かける必要はない。しかし時間は沢山かける必要がある」 そうヴィトゲンシュタインは言いました。 良いサポートにも言えることかもしれません。 ごゆるりとお読みいただき、面白かったらご支援のほど、よろしくお願いします!