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反・自殺論考2.13 自殺しかけたヴィトゲンシュタインの前半生

自殺は罪である

 その後も論理と倫理を巡る考察が絡み合いながら、1917年1月までノートは書き継がれ、以降は『草稿』も日記も現存していない。
 しかしながら1918年の夏には『草稿』の記述がまとめられ、ついに『論理哲学論考』として完成することになる。
 こうしてヴィトゲンシュタインが工学から数学を経て、論理学を用いる哲学に転向して以来 およそ七年間を費やした仕事が成し遂げられ、彼は「義務」を果たしたのであった。
 よかった。ほんとによかった。

 ん?
 ちょっと待てよ。
 自殺は?
 戦争の途中から自殺の話をしてなくないか?
 ヴィトゲンシュタインは自殺に憑かれた人生を送ったんじゃなかったか?
 それは誤解だとしても、少なくとも前半生は自殺の危機にあったのでは?
戦場で死に瀕して「生きたい」と願い、自殺念慮も消滅したってこと?

 はい、そうです。 

 最早そうとしか言えないくらい、以前は死ぬ死ぬ言っていたのが嘘のように、この時期のヴィトゲンシュタインの人生には「自殺」の影が見られない。
 ところがである。
 それでは、ヴィトゲンシュタインが自殺について全く考えなくなったのかといえば、否なのだ。
 どういう思考過程の結果こうなったのか繋がりはつけられないが、奇妙なことに1917年1月10日、日記ではなく『草稿』に書かれた、現存しているノートの最後の記述は、突如こう結ばれるのだ。 

自殺が許されるなら、全てが許される。
何かが許されないなら、自殺は許されない。
このことは倫理の本質に光を投げかける。というのも、いわば自殺は基本的な罪だから。
そして人が自殺を研究するとすれば、それは蒸気の本質を把握するために、水銀蒸気を研究するようなものである。
それとも自殺もまた、それ自体は善でも悪でもない、とでもいうのか!


自殺しかけたヴィトゲンシュタインの前半生(14)「再び最前線へ」に続く

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「良いプレゼントを贈るのにお金を沢山かける必要はない。しかし時間は沢山かける必要がある」 そうヴィトゲンシュタインは言いました。 良いサポートにも言えることかもしれません。 ごゆるりとお読みいただき、面白かったらご支援のほど、よろしくお願いします!