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2024.01.21 Present for me

1年くらい前に生主のRさんが、自分の好きなマンガ5選を紹介するという配信をしていた。その中の1つに挙げられていた、石黒正数さんの『それでも町は廻っている』がなんか良さげだったから、少しずつ買い揃えて読んでいる。

ドタバタコメディとミステリー要素に、高校生の主人公と小学生の弟・妹が関わっているところが特徴的だなって思う。

シャーロックホームズ的な成人のミステリーじゃなく、高校生の無邪気さ、そして小学生特有の、まだ自分の気持ちを上手く言語化できない感じ。これがトリックの動機になることもあるのだから、ますます展開が読めなくなっていく。

かと思えばミステリーなんかすっ飛ばして当たり前のようにSFオチの回もあって、どんな結末になるのかワクワクする。

今日ブックオフに行ったら、その石黒正数さんの初期短編集『Present for me』があった。町廻 ※1 の巻末の告知部分に小さく載っていて、表紙だけで良作と確信していたやつだ。

少女とロボットが砂漠に佇んでいる姿、マンガでジャケ買いをしようと思ったのは初めてだ。それほどまでにこの1人と1体が、胸をかきむしられるくらいの存在感を放っていた。誰もいない砂漠に、命と動力があった。

表題にもなっている「Present for me」は、まぁやっぱり「初期」で「短編」という事情もあって、手っ取り早く文明が崩壊していて、キャラクターも多くは出せないから人類がほぼ滅亡していて、意図したかのように少女とロボットが出会い、物語を進めるためにも1人と1体が旅をすることになる。そうでもしないと物語が遅々として進まないからね。

ただセリフの表現技法やロボットのくだけた口調、突然の別れと結末には胸にグッとこみ上げるものがあった。

巻末のセルフライナーノーツではその表現技法をちゃんと解説してくれていて、自分で自分の表現技法に対して「小賢しいマネをしている昔の自分が憎たらしい」と悪態をつきつつも「短編集の中で一番気に入っている作品」と述べていた。

ここでもう一段階グッとくるものがあった。「小賢しいけどお気に入り」、自分で自分の過去をこう振り返れるような人間になりたいと思った。

昔の自分が小賢しいってのは、それだけかつては何者かに憧れていて、聞きかじっただけのテクニックを見よう見まねで使い、でも初期衝動止まりだったという見方をされているのだろう。それでも石黒さんはその青い自分を、胸を張ってお気に入りだと肯定している。

「そんな大人になれているだろうか」という、現在進行形の自問自答はよく聞く。俺はこのセルフライナーノーツを読んだ時にこのようなことを考えて「そんな若者であれていただろうか」という、取り返しのつかない過去形の自問自答をしていた。衝動に満ちていた中学・高校・大学時代は、今愛するに値する日々だったろうか。

結局過去を自問自答したところでどうにもなんないから、そのためにも今の大人の自分の意識改革が必要になってくるんだろうな。今の自分の器をでっかくしないことにはどうにもなんない。note上での自分は、自分の過去を愛せているだろうか。

最後に収録されている「ヒーロー」もよかった。ヒーローといったらスーパー戦隊やウルトラマンみたいな作品イメージしかなかった。

「もしも悪の組織が解散したら、やることの無くなったヒーローは、そしてコミュニティを失った怪人は、何を思い、どう動くのか」

子供の頃見ていたヒーローの「その先」を描いたこの話は、読んでるこっちまでアイデンティティが崩壊しそうな気持ちに襲われた。高校生ヒーローは大学受験を、大学生怪人は就活をすることになる。こんな青天の霹靂があるかよ、本当に苦しくなった。

もしも俺がある日突然、一番大事にしていた核を失ってしまったら、俺は落ち着いていられるだろうか。いやムリだろうな。数あるラジオ番組の中のたった1つであるネズミの咆哮 ※2 が終わっただけであんなにも空しくなるんだから。

このヒーローという短編は、石黒さんの読み切りデビュー作に当たるらしい。言っちゃ悪いが言われてみれば、確かに画力が他の作品より足りない。そりゃそうだ、初めての作品なんだから。

しかしその拙さがより魅力を引き立てている。主人公がコンビニに出かけて帰ってカップ麺をすするシーンでは、線のヨレがやるせない日々やアイデンティティの喪失と心理的にリンクしているような感覚になる。

そして特に、ヒーローと怪人が正体を晒し合って口げんかをするシーンでは、面白いくらいにタッチがギャグ漫画チックになっている。怪人は3頭身くらいになってガーっと喚き立てているし、ヒーローは泣きじゃくって鼻水を垂らし顔がぐしゃぐしゃになっている。その画力の足りなさがストーリーをますますリアルにさせている。

そしてこの作品の裏事情が書かれたセルフライナーノーツがまぁすごいこと。そんな話、マジであり得るんですか!?とビックリした。事実は小説より奇なりとはまさにこのことだ。若さ故の衝動は、時にお偉いさんの心をも震わせるのかと。

福満しげゆきさんの初期短編集『まだ旅立ってもいないのに』を読んだ時にも、同じように在りし日の衝動に打ちのめされ、読み手のこっちまで没入して一喜一憂・感情移入していたのを覚えてる。俺はマンガの中でも特に「初期短編集」が好きなんだなって思った。

初期ならではの、テクニックじゃなくて衝動と感情で読む人を圧倒させる力。そして短編集ならではの、次々と世界が様変わりしていくトリップ感。なのに漫画家さんの芯は全体を通して1本貫いていることがありありと見えている。それらの特徴がかけ合わさるのが、初期短編集の魔力だと思う。

じゃあ漫画家さんは作品数を重ねるにつれてあの日の勢いを忘れてしまい、テクニックに重きを置いて、つまんなくなるのかというと、そんなことはない、年数を重ねると人間性にも厚みが出て、それはそれで言葉に重みが出るんだと、ブックオフで同時に買った『ぼのぼの』37巻を読んでそう思った。

37巻時点で作者のいがらしみきおさんは、漫画家生活30周年を超えている。人間は、若くても面白いし、年を重ねても面白いのだ。人間が一番おもしれーんだ ※3。


※1 『それでも町は廻っている』は、表紙に「通称それ町」という指定の略称が書いてあるのだが、公式側が略称を指定しているのが納得いかない。「その作品をどう略そうが読み手の自由じゃんか」という逆張りの気持ちがあるため、俺は頑なにそれ町のことを「町廻」と言っている。

※2 「ザ・マミィのネズミの咆哮」という番組。俺が胸を張ってヘビーリスナーだと言えるラジオの1つ。昨年末を持って最終回を迎えた、寂しい。

※3 「好きな動物は何?」というクソみたいな質問をしてくるヤツへの怒りも込めている。犬より猫より人間の方がおもしれーんだろうが。


そんな若者であれていただろうか。小賢しいけどお気に入り、そんな自分だっただろうか。何者かになりたくて、身の丈に合わない背伸びをして、アーティストとか芸人さんとかに憧れて、気取った日記なんか書いて、そんな自分を今、肯定できているだろうか。

いや、今からでも遅くない。過去の自分を肯定しに行こう。情けなくて、恥ずかしくて、報われなくて、救われたくて、誰にも言えないことをずっと吐き続けてきたこの日記を使って、あの日の自分の背中をさすりに行こう。

…ということで始まったのがこのnoteである。note上での自分は、自分の過去を愛せているだろうか。大丈夫、めっちゃ愛している。愛しすぎてもう甘やかしている。結構なワガママも許しちゃってる。

仮に初期衝動があったとしても、漫画とか小説、楽曲みたいな感じで何かしらの創作活動をしてない限りは、普通残せるものではないのだろう。9割がたの人は何かしら抱えていたものがあったとしても、いつしか砂のように崩れ去って、風に流れて消えていくものなのかもしれない。

そう考えると、何の創作活動をしていなくても、そういった才能を持っていなかったとしても、そんな自分の心の機微を残すことのできる日記というのは、あらゆる人への救済措置のように思える。

そんな若者であれていただろうか。中学・高校・大学時代は、今愛するに値する日々だったろうか。そんな自問自答にアンサーを出すのであれば、日記を書き続けていた自分に「よくやった」と言う。「言いたい」ではなく「言う」。

生きてるだけで初期衝動、ありのままの姿でいられるのが日記。そんな過去の自分に勇気を出して肯定の声を上げるのがこのnote。確かに小賢しい、でもお気に入り。この春で12周年になる僕の日記は、12年前から送られてきた僕へのプレゼントである。