見出し画像

アウトプットで身構えない5つの心構え

「アウトプット」というとどうしても高尚というか、意識の高い層やガチ勢だけが成しうる高度な何かしらのように捉えてしまいがちですが、結論からいえば単に期待値的にやったほうがお得な可能性が高いものでしかありません。
厳密には、アウトプットの内容やクオリティと「お得さ」は一定相関にあるのでしょうが、少なくともマイナスになることはごく稀です。

以下で雑に解説します。

誰にも見られなくていい

アウトプットしたものの誰にも見られず悲しい、こうも見られないのならもう自分がアウトプットする意味なんてないのでは、みたいな経験は、一度でもアウトプットを試みた方ならどなたにもあるのではないでしょうか。
長期的には人はみな死ぬので真理といえば真理ですが、短期的には誰にも見られずとも決して小さくない意味があります。

そう、クローラーです。
noindexしていない限り、遅かれ早かれだいたいのアウトプットはやつらに嗅ぎつけられ、大なり小なりドメインの養分となります。

また、以前Twitterか何かで見たのですが「おもしろツイッタラーのアホほどバズったツイートが、実はずいぶん前から繰り返し投稿されているもので、全く同じ内容にもかかわらず長らく泣かず飛ばずだった」みたいな話もあります。
仮に現時点で誰にも何の反応も貰えずとも、半永久的に公開状態に保てるウェブにおいては永遠に途中経過でしかありません。

二番煎じでいい

あらゆる現代音楽はビートルズのパクリ、なんていう話もありますし、46億年の歴史と80億人の営みの前で、一体どれほどのコンテンツがオリジナリティを主張できるでしょう。

また、少なくとも「あなたの言葉で発信した」という主体と「今このタイミングで発信した」という時間軸に関しては唯一無二であり、誰かの言葉を現代の言葉として更新することには少なからず意義があるはずです。

ただし、場合によっては引用元を明記することは必須ですし、先人へのリスペクトは欠かさないようにしたいものです。

余談ですが、世界人口64億人とかで情報のアップデートが止まっていたのでぐぐってびびりました。

しょぼくていい

例えば書籍を執筆したなら間違いなく立派なアウトプットでしょうし、ブログ記事を書いてもアウトプットでしょう。

では、ツイートはアウトプットでしょうか。
140字だとちょっと弱いとしたら、有料会員になって長文を投稿したらアウトプットでしょうか。

さらに、テキストを含まないInstagramの投稿はどうでしょう。
データ容量でいえばプロの写真家のそれと大差ないはずですが、やっぱり弱いでしょうか。

結論として、このあたりは受け取る誰かの主観でしか測りえないもので、それはアウトプットして初めて明らかになるものです。

もし弱いと判じられても、弱さを知ってもらうことに成功したに過ぎません。

炎上してもいい

炎上は恐ろしいものです。
恐らく主観ではこの世の終わりのようにすら感じられるでしょうが、多くの人にとってはすぐに風化する対岸の火事でしかありません(もちろん内容によります)。
過去の炎上に対して、いつまでも憎悪の火を燃やし続けられる人がいたとしたら、むしろそいつのほうがヤバイ奴ではないでしょうか(もちろん内容によります)。

悪名は無名に勝るという言葉もありますし、むしろ私は炎上に怯えるあまり何か大きなチャンスを掴みそこねているのでは、みたいな感覚すらあります(もちろん内容によります)。

先述のとおり、多くの場合そもそも誰にも見られすらしないのがアウトプット。
自分が信じる本心からの発信であれば、炎上すら糧にできるはずです。

とはいえ、自分が信じる本心からの発信というのも時としてまた移ろうものなので、やっちまったら素直にごめんなさいしましょう。

結果は受け止める

突然高度な話になったように感じるかも知れませんが、行動には当然結果がついて回るもので、良かれ悪しかれ評価は受け止めなくてはなりません。
むしろ、一度アウトプットしたが最後、否が応でも受け止めずにはいられません。

誰にも見られなければ、どうしたら誰かに見てもらえるか自ずと知恵を絞る羽目になります。
二番煎じであれば、オリジナリティとは何か考えざるをえないでしょう。

そうした積み重ねが、アウトプットには価値があると感じさせる所以ではないでしょうか。

さいごに

白状すると、つらつら講釈を垂れるには私の実績はやや弱いと言わざるを得ません。
さいごになりますが、

  • 登壇とかする

  • 楽器関連のデザインとかする

  • 個人開発とか再開する

あたりを2024年の目標にしたいと思います。
誰か人助けだと思って声をかけてください。

良いお年を!

がんばります!!!!!1🙇‍♂️