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親子三世代のコロッケは、究極の愛情表現だったのかもしれない。

こんにちは、もろちゃうです。
先日デートでトップガンを観に行ったという話を書きましたが
今日はその後のデートの続きを書いてみようとおもいます。
でも恋愛というよりは家族寄りの話になります。

「もろちゃうの大好物は?」と聞かれると、いつも決まって「ばあばのコロッケ!」と答える私。
私の祖母(ばあば)は料理上手で、その中でも一番だいすきなのがコロッケでした。何度か一緒に作ったことはありましたが、特に作り方を覚えようという気も無いまま、ばあばは亡くなってしまいました。
諸事情によりお葬式が無かったこともあり、「ばあばが亡くなった」という事実を痛感したのが、ふとばあばのコロッケ食べたいな・・と思ったときでした。もう、私の大好物は一生作られることはないし、一生食べられないんだ・・と気づいたら、なんだか無償にさびしかった。

ひとり暮らしを始めて少し経った頃、意を決してコロッケを作ってみようとしたことがありました。その結果は散々で、タネが上手くまとまらなくてボロボロ、ヒヨって低温で揚げてしまい衣はきつね色にならず、その割に準備や後片付けも大変で。ヤケクソ気味の私は、市販のもの買った方が安上がりだし、もう作らなくていい!と心が折れてしまったのでした。

そこから数年の月日が流れ、件のデートの折、彼が机を組み立ててくれることになりました。小一時間かかるものだったこともあり、何かお返しをしたいなとおもったので、数年ぶりにコロッケにチャレンジすることにしました。やっぱり、作ってみたら終始しんどい・めんどいのオンパレードで。

  • 丸っこいじゃがいもの皮剥きと芽取り、またそこから柔らかくしてから潰すのがめんどい

  • 玉ねぎのみじん切りで、感覚過敏もあり10分ほど涙と鼻水が止まらずしんどい

  • 油ハネに怯えながらの揚げ作業、そしてその後片付けがめんどい

  • パン粉・生卵・油など余った物を捨てるのがめんどい

  • 使用する容器が多く、油にまみれた洗い物の山がしんどい

そんな紆余曲折を経て、きつね色になんとか揚がったコロッケの愛おしさよ。そして手塩にかけたコロッケ達を食べるのは、だいすきな彼と私。
自分ひとりであれば、きっと前回同様三日三晩コロッケ三昧で、(いったい何のためにわたしはこんな大変な思いをしてコロッケを揚げたのだ・・?)と虚しさに押しつぶされていたでしょう。

一人で食すコロッケは、コンビニやスーパーでの調達で十分。
果たして、しんどい・めんどいの権化であるコロッケをわざわざ手作りする理由とは、
一人で作って一人で食す自己完結したものではなく、
家族や友人、恋人などじぶんが大好きな人達のために作る愛情表現の究極形体であり、みんなでワイワイ言いながら食すものだったのだ・・。

ふと思い返せば、いまは音信不通の私の母も、ばあばに負けず劣らずのコロッケを作ってくれていました。彼女のコロッケが登場するのは大抵お弁当箱で、いい感じにソースが染み込んでいるのです。ばあばの楕円とは異なり丸っこい形で、具材が細かく刻まれ、食べるとホロホロと実が崩れるものでした。そして私が作るコロッケは、ばあばよりも母のものに近い。

私はきっと、大好物をあえて「ばあばのコロッケ!」と答えることで、暗に「じぶんにとっての母親」であることよりも、「女」であることを優先する母を否定したかったのかもしれない。
だけど、そんな母が「じぶんにとっての母親」役割をする時に作ってくれる、ソースじみた崩れかけのコロッケも大好きだったな、と今回はからずも思い出すことができました。

親子三世代にわたるコロッケは、愛情表現の歴史でもあったのだとおもう。もしも私がこれから先、子供を生み育てる日がくるとしたら
きっと私もコロッケを何度もなんども揚げてあげる。
めいっぱいの愛情表現のつもりで。
それがきっと今回のように、時間差で伝わることもあるのだと信じたいから。

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